「「何が真実か?」よりも「自分がどう思いたいか?」だった。」三度目の殺人 ヤスさんの映画レビュー(感想・評価)
「何が真実か?」よりも「自分がどう思いたいか?」だった。
最後まで見ても、役所(犯人)の供述のどれが真実で、どれが虚偽なのかは分からない。ただ、この映画としては、それはどちらでも良いのだと思います。役所(犯人)の言動は、コロコロ変わるように見えて、一貫していることが、最後に分かる。彼は「器」でしかなかった。
死刑判決後、役所と福山がガラス越しに話すシーンが、この映画のメッセージだと思います。二人の顔を透明なガラスに重ねていて、印象的でした。役所は透明で、「器」でしかなくて、福山の思いたかった犯人がそこにいるだけだ、ということだと思います。
「何が真実か?」よりも「裁判に勝てるか?」を重視してきた福山(主人公の弁護士)が、自身の本当の行動原理ーー「自分がどう思いたいか?」に導いているだけだったことに気付くプロセスが興味深いです。
自分の娘を守りたい気持ち。そこから生まれた、自分の娘と同じ年頃である被害者の娘を守りたいという気持ち。その気持ちが福山から伝わり、役所に新たな供述をさせた。その結果、役所の死刑判決が決まる。これが、役所が自身を死刑判決に導くという「三度目の殺人」だと思います。広瀬(被害者の娘)の気持ちが役所に伝わり、二度目の殺人(この映画の冒頭の殺人)が起きたのと同じ構図であることに、最後に気付くわけです。
そうして思い返してみると、福山だけでなく、福山の家族も、司法関係の全ての人も、被害者の家族も、誰もがそれぞれの立場で「自分がどう思いたいか?」を述べているだけで、理不尽の提供側です。あぁ、世の中って理不尽だなと思いますし、また私たち自身も理不尽の提供側であることを認識することになります。
ただ、そういう世の中のネガティヴな側面だけを写し撮った映画かというと、そうでもありません。思ったより暗くなくて、真実はどうあれ、最後には広瀬(被害者の娘)を守る物語のなので、後味は悪くなかったです。「何が真実か?」なんて分からないわけですから、私たちは世の中の理不尽を受け入れながらも、自身が理不尽の提供側であることを理解しながらも、「自分がどう思いたいか?」に素直に従って行きていくしかないですよね。
ラストシーンで十字路から空を見上げる福山の気持ちって、そういうことじゃないかなと、私は解釈しています。