「浮き彫りになる心のことわり」三度目の殺人 sさんの映画レビュー(感想・評価)
浮き彫りになる心のことわり
愛と悲しみは、同一のものである。
悲しみの裏には必ず愛が隠されている。
人は悲しみを感じることが辛く耐え難いが故に、愛情を感じることも諦めてしまうものである。
人間の生き死には、何か人知を超えた無秩序なものによって
決められているのではないか。
それは司法制度であっても同様で、死刑でさえ
人が裁いた命のようで本当はそうではないのかもしれない
という根源的な疑念を持っていた弁護士は、
同じ理解を持つ罪人の中に、それでも愛や悲しみといった
人間の感情の理(ことわり)を見出そうとしてしまう。
結局、人が善悪を裁く時は、愛情の有無によっているものだから
罪人もまた、愛によって裁きを行っただけではないかと。
けれど、二人の影が重なりかけたところで
罪人は愛による理や裁きではなく、
それよりもっと大きな、善悪を超えた
神の気まぐれやゆらぎとでもいうようなものが現世に表出される時の
ただの器に過ぎないもの
感情の理の無い空っぽのものであるかのように振る舞い
影は重ならずに離れてゆく。
これでこの罪人の死もまた、真実によって裁かれたものではなくなった。
「悪いことをした罰だから」「本当は愛情からのことだったので罰を免れるべき」
というようなわかりやすい理屈を離れた、不条理な死。
攝津さんは経験から、この人のオーロラのように変わってゆく供述に
本能的に危険なものを感じ取ったのだろうなと笑
反対に、ぬかるみにはまってゆく福山さん。
犯人を、自分が感じていた絶望の理解者、共感者かと思っていたら
犯人自体がその絶望だった。
けれど、その絶望と対峙し、照らされることで、
逆に福山さんや広瀬すずや、その他登場人物の奥底にある、
愛情や悲しみといった感情の理が
次第にはっきりと浮き上がって見えてくる。
茫漠とした絶望の支配するゆらぎの中で。
是枝さんの作品は、見ているといつしか
登場人物の心だけを見つめているようなトランス状態に陥ってくる。
ここまで複雑な感情は、抽象的すぎてさすがに説明できないだろう
というようなところまで深く手を伸ばす。
理解されること、理解することを諦めていた領域まで。
なので、悲しい話であるのに、なぜか深く癒されて、幸福な気分になる。
役所さんの存在は恐ろしいけれど、福山さんがいるから救われるのである。