「☆☆☆☆ これは全ての証言が嘘で塗り固められている作品。 その中か...」三度目の殺人 松井の天井直撃ホームランさんの映画レビュー(感想・評価)
☆☆☆☆ これは全ての証言が嘘で塗り固められている作品。 その中か...
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これは全ての証言が嘘で塗り固められている作品。
その中から観客自身が、本当の真実を記憶・反復しながら真実を導き出す事を委ねられる。
作品中に重盛は三隅に対して、(間違えていなければ)計7回接見する。
1度目
どことなく重盛自身はこの裁判に対して大した関心を示してはいない様に感じられる。同僚からの依頼に対して半ば「めんどくさい!」…とゆう態度を露わにする。
更には立場の違いが有るにはせよ、絶えず被疑者に対しての口調はタメ口だ!
2度目
週刊誌の記事を読み大慌てで飛んで来る重盛。しかし、ピンチはチャンスとばかりに裁判の戦術を変え、刑の軽減を考える。
3度目
初めて1対1で三隅と対峙する重盛。
この時、三隅は「手を見せて下さい!」と重盛に言う。
ガラス越しに手を合わせる2人。
ほんの少し三隅の闇の深さを覗いたのか、思わず重盛は手を引っ込める。
この後、彼が三隅と接見する際にはタメ口が少なくなる。
4度目
2人の間で本格的に事件の真実に対する対話が始まる。
三隅は言う!「命を弄んでいる人間が居る!」…と。
その一言こそは重盛本人に突き付けられた言葉で有り、ひいて司法制度そのものに対して突き付けられた刃でもあるのだ!
5度目
重盛は三隅の本当の胸の内を探る。
しかし三隅は言う!「死んで当然な人間は存在する!」…と。
その言葉に対して重盛の若い部下は思わず一言呟く。
「産まれて来たのが間違いな人間なんていませんよ!」…と。
だが重盛の中での思いはどうだったのか?
部下と話す彼の言葉は、三隅の気持ちを理解している風に見える。
以前に三隅を裁いた裁判官は自分の父親だった。
上京した父親は言う。
「殺す人間と殺される人間との間には深い溝が有る」…と。
だが…。
6度目
判決が近づき、三隅は一転して証言を覆す。当然の様に慌てる重盛。
三隅の想いは何処に有るのか?重盛の自問自答は続くが、司法制度の歪みがその答えを赦さない。
映画は殆ど重盛側の目線で描かれている。時系列は違うが、被害者の娘と母親の目線から描かれるエピソードが時折入る。
母親役の斉藤由貴と娘役の広瀬すずが2人で話合う場面。
この時に広瀬すずの顔半分に影を作り。闇に堕ちる娘を想起させる演出は、思わず身ぶるいを起こすかと思った程に凄かった。よくぞ思い付いたものだ!
この演出による母娘の会話から。観客にはこの母と娘に対して疑惑の目が向けられるが、勿論真実は観客には分からない。
本来、保険金殺害を疑われた場合。マスコミ各社がこの母と娘を追い掛け廻し、普通の生活が出来ないのでは?とは思い。ちょっとだけ違和感を感じない訳では無いのだが。作品本来が描きたいのはそこでは無いのは最後に判明する。
7度目
重盛は三隅に対し、自身の想いを全身全霊を込めて真実を追求する。
が…重盛は弁護士として本当の真実を法廷で示す事が叶わず、なす術が無かった。今、彼は父親が言った言葉の本当の意味を知る。
重盛は、極めて薄い善と悪との間に存在する僅かなガラスの隔たりを今すり抜け、三隅と同調し三度目の殺人に加担してしまったのだ!
これは是枝版の『藪の中』
始めに書き込んだが、これは全てが嘘で塗り固められている。
1番確実な事は、被疑者の娘は(重盛の夢、又は妄想以外には)登場しない…とゆう事だけで。重盛の娘と被害者の娘(広瀬すず)は表裏一体の存在として描かれる。
その部分は必ずしも上手く処理されてはいない。
いないのだが…作品を良く読み込むと、重盛と三隅は最終的には。お互いの存在が、一対として描かれているのを観ても解る通り。登場人物達全てのセリフをほじくり返す事で、間違いなく真実に到達する。
個人的には『歩いても、歩いても』に迫る、是枝作品最高傑作の一つ。
(2017年9月10日 TOHOシネマズ/スカラ座)