「生きる術を伝える親子三代のドキュメンタリー」ギフト 僕がきみに残せるもの Naguyさんの映画レビュー(感想・評価)
生きる術を伝える親子三代のドキュメンタリー
原題は、「Gleason」(グリーソン)。米国のNFL(アメフト)の元スター選手、スティーブ・グリーソンの名前である。
NFLニューオーリンズ・セインツで活躍したグリーソンは、現役を2008年に引退。そのわずか数年後、難病"ALS(筋萎縮性側索硬化症)"と宣告される。それとほぼ同時に、妻との間に子供を授かったことが判明。グリーソンは、これから生まれる子供のためにメッセージを残そうと、ビデオダイアリーを撮影しはじめる。本作はその膨大なビデオダイアリーを編集した、ドキュメンタリー映画である。
本作は、本人と家族が撮った、いわゆるセルフ・ドキュメンタリーなのだが、クレイ・トゥイール監督の巧みな編集力によって、単なるドキュメンタリーではなく、まるでストーリー計算された実話フィクション作品のような構成になっている。
例えば、エディ・レッドメインがアカデミー主演男優賞を獲った「博士と彼女のセオリー」(2015)で演じた、スティーヴン・ホーキング博士も同じ"ALS"の話であった。ハリウッド俳優が本人になりきって演じる実話フィクションものは、俳優自身の肉体改造や演技力はもちろん、近年のVFXやメイクの進化によって、信じられないリアリティを持っている。
ドキュメンタリーは、主観を含まない事実の描写と誤解されているが、実際は撮影者の主観に依るものなので、中立性はもちろん、厳密には真実性もない。装飾しようとすればいくらでもできる。つまり一見すると、ノンフィクションベースのフィクション(劇映画)と、人物ドキュメンタリーの境界線は極めてあいまいである。
「ギフト」が秀逸なのは、"ALS"への支援や同情をことさら煽ることなく、"父と子の関係性"というテーマを持って描かれていることだ。それは生まれてくる息子"リバーズ(Rivers)くん"と父スティーブ・グリーソンの関係、そしてグリーソンとその実父との関係である。そこには父親として、社会人として、人として、生きることの意義や、生きていくための術を伝えていく親子三代の姿がある。
さらに"映画"の成り立ちから考えたとき、本作は映画文化のメインストリームにある。言うまでもなく、興行的な成功や人気は"劇映画"に軍配が上がるわけだが、映画の祖であるリュミエール兄弟の撮影した記録映画はドキュメンタリーに等しい。寫眞(写真)から進化した"活動写真"としての映画は、人々の営みや社会現象をありのまま捉えることが本質である。
1500時間におよぶビデオ素材は、GoProをはじめとする家庭用ビデオカメラの可搬性のよさや、基本性能の進化に支えられており、今だからこそ撮れた(撮れる)映像ばかりといえる。シロウト撮影のような手ブレもなければ低解像度でもない。だから完成度が高い。膨大な収録時間は、映画のテイク数に相当し、意図されたテイクばかりではないにせよ、編集における自由度を増し、あらゆる演出の可能性を残す。
さて、この映画は"ALS"という難病の現実についても、多くを知ることができる。特にその生存率の低さは、経済的な要因が大きいことも察することができた。症状の進行スピードに個人差があり、リニアリティがあるわけでもないのだが、多くが、"周りに迷惑をかけまい"と思い、"諦めること(=安楽死)"が経済的負担を回避する唯一の手段となる。
実際、本作の主人公グリーソン氏は40歳になった現在も存命で闘病中である。先のホーキング博士も75歳である。このあたりに触れることはナイーブで、この映画の知識だけで判断することは難しい。この映画に感銘は受けつつも、"泣けた"と感想を漏らすことは簡単ではない。
(2017/8/22 /ヒューマントラストシネマ有楽町/ビスタ/字幕:額賀深雪/字幕監修:NPO法人ALS/MNDサポートセンター さくら会)