「けっこう後からジワる」ディストピア パンドラの少女 ハルさんの映画レビュー(感想・評価)
けっこう後からジワる
原作者が本を書いているということで、徐々になされるSF的な状況説明があまり破綻せずにこちら側の謎を解いていくのは丁寧かつ上手いなと思う。絵作りに関してはバジェットのこともあるだろうがこういう"Z"モノではチープさが逆に活きる気がする。チェルノブイリの空撮ショットも取り入れたりと実際のところ力作だと思える。
ある意味円環構造なのだけどラストではメラニーとジュスティノーの状況が逆になった。しかし同じ教室のシーンでもラストの方が遥かに健全に見えていることで問いが生じる。「何がまともで正しいのか」。この提起で深掘りしたところで、ではあるのだけど極めてユニークな仕上がりになっていた。
今作では重要なところはあえてわかりにくくしているのだろうか。まずメラニーがコールドウェルに答えた数字が「4」でコールドウェルは「いいの?」と聞き返すシーン。そして翌日に解剖されそうになるのだが、あれはメラニーの部屋の番号でつまり「単純な数字」と捉えられる。だからコールドウェルの立場からすれば「より知性を感じさせない材料」になるということだろう。だからメラニーは半ば自暴自棄になっていたということで、それはむしろ卓越した知性を発揮している彼女を嫌悪していた軍曹の仕打ちからくる疎外感や、大好きなジュスティノーに対して感じた欲への罪悪感ゆえだったということになる。メラニーは多感でとても弱い存在の普通の女の子でもあったのだ。
そしてもう一つ。基地から逃げ出した後に逃げ込むショピングモールでのシーン。バックヤードのような場所で偵察をしていたジュスティノーが、音のする方向へ向かうとそこには鎖に繋がれて飢えを満たすために自らを食べていたハングリーズの男を撃ち殺す。これも考えられるとしたらトリガーを引く前に彼女が何を思ったかというと、おそらく基地に残されたあの子供達のことだろう。
こういうところで人間とハングリーズ、とりわけ第二世代との対比がなされてこちらの印象も変わってくることになる。悪くない。そして第3幕でメラニーの覚醒に繋がっていく。
変わった映画だなあ〜というのがまず印象としてあったが、思い返すとジワる。ジェマ・アータートン含めて。
ちなみに菌と人間の共生という設定では星野之宣の「共生惑星」を、ハングリーズが樹になっている描写は諸星大二郎の「生命の木」を思い出した。