「マッチポンプ」ダンサー、セルゲイ・ポルーニン 世界一優雅な野獣 曽羅密さんの映画レビュー(感想・評価)
マッチポンプ
筆者はクラシック・バレエに関して全く詳しくない。
デアゴスティーニから発売されたバレエDVDコレクション全61号を買い揃えたが、創刊号の『白鳥の湖』以外全く観ていない。お恥ずかしい限りである。
日本人ダンサーとしても熊川哲也を知っているぐらいであるが、このセルゲイ・ポルーニンなる若者の踊りが図抜けてレベルが高いことはわかった。
たしかに素人目に見ても一目瞭然で素晴らしいのがわかってしまう、そんな天才ダンサーのドキュメンタリー映画である。
ポルーニンはウクライナの貧しい家庭の出身らしくバレエ学校に通わせる金銭の工面のため、父はポルトガルへ、祖母はギリシャへ出稼ぎに行かざるをえなかったようだ。
ポルーニン1人のために多大なる犠牲を一家が払い続けたせいで、ついには一家が崩壊、それに諸々の状況が合併症を起こして堪えかねたポルーニン自身も精神の限界を迎え、行方が定まらないさまよう日々が続いていく。
個人的な事情だが、筆者はこの映画を『ターシャ・テューダー』と同じ日に鑑賞した。
この映画の対象へのアプローチは『ターシャ』とは全く正反対と言っていい。
前回『ターシャ』の回で書いたのでくどくどしい説明は割愛するが、この映画は制作側が大きく対象に働きかけたドキュメンタリー映画である。
ポルーニンから撮影の了解を得るまで数年かかったらしく、その頃彼はプリンシパルにまでのぼりつめたロイヤル・バレエ団を突然退団してスキャンダルの渦中で苦しんでいる時期であり、そこから撮影は始まったようだ。
この時点ではどのような映画にするか方針は決まっていなかったらしい。
その後ポルーニンの母親から彼の幼少時の大量のビデオを見せられたことで方針が決定したようである。
だがそれでも抜きん出たダンスの才能はあっても方向性の定まらず飽きっぽい性格の若者を追うのは相当苦労したことだろう、制作側の苦労が偲ばれる。
そして業を煮やした?制作側がついに禁断の果実に手を出す。
『Take me to Church』という音楽にあわせて踊らないか?
実際に制作側がポルーニンにそう言ったかは知らないが、彼は全身全霊でそれを踊る。
申し訳ないが、もうこの時点で筆者は白けてしまった。
おそらくそれまでに撮れ高と劇的なドラマがなかったのだろう。
監督のスティーヴン・カンターも前作などで数々の受賞歴のある売れっ子監督らしいので、すでに次のスケジュールがあったのかもしれない。
いずれにしろ制作側がポルーニンを動かし、さらにその踊りを編集して動画としてYouTubeで世界中に向けて配信する。
時間をかけて彼の変化を追うのではなく劇薬を投じたのである。
世界中から返ってきた反応でポルーニンに新たな反応が生まれたので効き目は十分にあったが、副作用はこの映画自体がありきたりな凡作に堕ちたことだろうか。
ポルーニンの踊りとしてはハイライトにはなっても映画の流れを自分たちの望む方向に力技で無理矢理軌道修正したようにしか見えない。
『ザ・コーヴ』のような明らかなやらせや改竄されたプロパガンダ映画とは違うがマッチポンプと言われても仕方がない。
融資などの資金問題もあり短期で結果を出さなければいけないことはわかるが、ドキュメンタリーの基本は対象の変化をまずは見守ることではないだろうか。
もはや『ターシャ』のようなドキュメンタリー映画の方が希有な例なのかもしれない。
ただ映画を離れてしまえばポルーニン本人にとってはとても意義深かったのだろうと思う。
再度強調したいが彼の踊りは最高であり、特に女性にはこの映画を通して観る彼の肉体の躍動美は目の保養になるかもしれない。
「ヌレエフの再来」とうたわれた彼が今後レイフ・ファインズ監督の下その伝説的ダンサー、ヌレエフの伝記映画に出演するらしいし、ジョニー・デップやジェニファー・ローレンスとの共演映画も控えているらしい。
それらを楽しみにしたい。