「美しき天才と、神が与えた宿命との和解」ダンサー、セルゲイ・ポルーニン 世界一優雅な野獣 天秤座ルネッサンスさんの映画レビュー(感想・評価)
美しき天才と、神が与えた宿命との和解
この作品で一番に感じるのは「天才として生まれることの苦しみ」だ。凡人である私には、経験することのないであろう苦しみであるはずだが、この映画を観ているとセルゲイ・ポルーニンが天才故に苦悩する様子が非常に良く伝わってきた。この映画が見つめているのは、彼の栄光の様子ではない。むしろ、栄光が彼に重くのしかかり、試練に変わってしまう様。そしてその試練に耐えきれずに逃げ出してしまったり潰れてしまったりする様である。天才の背中を美化するドキュメンタリーとは一風違うところにこの映画の魅力を感じた。
セルゲイ・ポルーニンは本当に、踊ることの天才なんだろうと思う。そして踊ること自体は単純に好きなのだろうという気がする。しかしながら、天才だから踊り続けるべきだというのは我々凡人の考えだし、セルゲイ・ポルーニンにしか出来ないことだから是非ともやってくれとせがむのも凡人の身勝手だ。その美しさと才能とカリスマ性と人気故に、彼は多くを求められすぎてしまい、肉体と精神を酷使することを強要される。そして限界が来るたびに、彼は逃亡するようにして重荷を外そうとする。それは確かに無責任かもしれないし反逆的かもしれないけれど、それも天才として生まれた苦悩故なのだろうなぁと、なぜだか凡人のくせに共感できるような気がしてしまった。
そうして苦悩の積み重ねが行き付いた先が、あの「Take Me to Church」だったのだろう。YouTubeで一度再生させると止めることもスキップすることも出来なくなるほど見入ってしまう凄まじいポルーニンのパフォーマンスがそこにある。どうしてそこまであの動画に惹かれたかは、単純にセルゲイ・ポルーニンが凄いダンサーだからだと思っていたけれど、なるほど、あのパフォーマンスは彼の人生を凝縮したものであり、彼の苦悩がそのまま肉体を通じて表現されたものだったからなのだ、とこの映画を観て合点がいった。だからあんなにも目が離せなくなるほど力強く神々しいまでのパフォーマンスだったのだな、と。
「Take Me to Church」がなければ、彼は踊るのをやめていたのではないかと思う。「Take Me to Church」で彼はすべてを出し切って、終わるはずだったのではないかと。しかし皮肉なことに「Take Me to Church」が逆に彼の背中を押して、再び彼を踊らせることとなった。「Take Me to Church」の中で、”Good god, let me give you my life…(神よ、こんな命なんかくれてやる!)と彼は踊った。それに対し神はどんな答えを出したのか。神がセルゲイ・ポルーニンに下した答えは、彼を再び踊らせることだった。踊りやめようとした彼に、踊り続ける使命を更に与えた。踊ることからは逃れられないとでも言わんばかり。それが天才として生まれた人間に課せられた人生なのか。天才の気持ちをすべて理解することは難しいけれど、それでもなんだか「Take Me to Church」以降の彼は、それまでの彼とは何かが違うような気がする。「Take Me to Church」を通じて、天才として生まれた運命や宿命と和解したようなカタルシスを感じた。でも、それもまた、凡人の勝手な解釈でしかないのかもしれない。
ただただ、セルゲイ・ポルーニンのバレエはとにかく美しい。容姿も端麗であるが、その肉体の美しさ、筋肉のしなやかな動きの美しさ、所作の美しさ、身体能力の美しさ、表現力の美しさ。なにからなにまで本当に美しくてたまらない。そして皮肉なことに、苦悩する天才はことに美しい。苦しめば苦しむ程に、彼のバレエは美しいのだろうなぁと思うと、神は時々天才を世に送り出すけれど、それってちょっぴり罪深いことのように感じられるのだった。