しあわせの絵の具 愛を描く人 モード・ルイスのレビュー・感想・評価
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ザンパノとジェルソミーナの関係を思い出した。
『人って自分と違う人間を嫌うの。』
『俺は皆んなが嫌いだ』
『向こうもよ』
『そうだな』
『でも、私は好き』
そして
『わたしが必要よ』
主人公が足が不自由なのを隠すために嘘を付く。
『新しい靴って歩きづらい。靴ずれしちゃって』
鶏を捕まえる時にヒールの部分が少しだけアップになって映る。この俳優さんは右側のヒールを削っていた。凄いです。
『お前は犬よりも手がかかる』
『いいえ。イヌよりはましよ』
映画は瞼の母になるのかと思いきや
『また、犬を飼えば』
『いや、お前がいる』
この会話のつながりが。
『家政婦を求む。掃除用具を持参する事』
このチラシが彼女達の一期一会を作り出す。だから、幸せなんだよ。
『幸せな時を絵に描くの』
ピーテル・ブリューゲルの描いた「雪中の狩人」になんとなく彼女の絵が似ている。
このモードさんの絵を目黒区のある内科医の待合室で見た記憶がある。
色が綺麗だ。
フェデリコ・フェリーニのザンパノとジェルソミーナの関係を思い出した。
一発だけだと思うが、人前で手を上げている。許せない行為だが、それをえを描き出す根拠の様に絵描いているので、許す事にする。
劇的ではないからこそ良い大人のロマンス
1930年代のカナダから始まる画家モード・ルイスの半生のドラマだが、内容は夫であるエベレットとの出会いから夫婦になるまでと、その後、ほとんどエベレットとのロマンス映画のようだ。
雑貨店まで10キロ、隣の家などどこにあるか見えない。エベレットの家には電気もない。そんな田舎の町に越してきたモードはリウマチのせいで誰からも厄介者扱いされている。
孤児院で育った魚売りのエベレットもまた、どこか町から浮いた存在のように見える。
そんな二人は出会うべくして出会ったように思える。回りの人間から少しだけはみ出した二人。
若者のような運命の恋や劇的な恋などは、この二人には存在しない。
愛の言葉を言ったり、抱き合ったりキスしたりしない二人の気持ちの距離は、歩くときの距離として表現されていて、なかなかニクい。
少し離れて歩くモード、すぐ隣を歩くモード、最後はエベレットの手押し車に乗るモード。
このように、全編を通して、モードの描く絵のような素朴な演出が本作の一番の魅力だろう。
エベレットは言った。俺が面倒をみて欲しいんだと。物質的には部屋の片付けをしたり食事の準備をしたりすることを指すだろうが、その本質は、粗野な自分と共に過ごしてくれる人ではなかったかと思う。
古くなったヨレヨレの靴下の、その片割れを求めて。
モードもまた、厄介者扱いされている自分を必要としてくれる人を求めていた。
愛よりも深い、強い繋がりのような、自分の居場所と言えるところを。
穴だらけの靴下の片割れを求めて。
綺麗な靴下、見栄えのいい靴下、新しい靴下を求めるような若者とはもう違う、自分に合う人を求める大人のロマンス作品で、ただ優しいとか、暖かいとかを越えた先にある、人のあり方や夫婦のあり方のような、美しさに溢れた良作でした。
モードが初めて必要とされた、家政婦の求人の貼り紙。それを大事に持ち続けていたことはとても自然なことだったと思う。
モードが亡くなり彼女の残された絵を売ることをやめたエベレット。モードが最初に売るのを嫌がった絵があったように、残された絵を売るのを嫌がったエベレットの姿は、残された求人の貼り紙と相まって、猛烈に涙を誘う。
二人が愛を育む中で男は愛を知り、女は自分のアートを世に示す。
人の愛し方を知らない頑固で孤独な男エベレットと、家族に捨てられた体にリウマチの障害を持つ女モード・ルイスが、家政婦という雇われの形からではあるが徐々に絆を深めていく。その中でモード・ルイスは二人で生活する小さな幸せを絵画という形に昇華させていく物語。
一言で言ってよい作品だった。自分はどうも『孤独で頑固な男』キャラが好きだし、アートが関わる作品には自分もアートに興味があるためどうしても手に取りたくなる。01:28あたりのモード・ルイスの自分の創作姿勢の述懐(描きたいように描くだけ、鉛筆が目の前にあれば満足、深くは望まない)も勉強になる。
妻と接する中で徐々にユーモラスさを持っていくエヴェレット、夫との慎ましい生活の中で自分の中から素敵な世界を表現する力を発揮しそれが世間に広まっていく過程が醍醐味。この作品のように人の感情や『人が変わっていく』様子が丁寧に描かれた作品はあまりないと思う。
エンタメとしてのこの作品の欠点は、この作品にキャッチーなエンタメ要素が無い事。ドキュメンタリー的に平凡に慎ましく生きた個人の伝記を真摯に伝える作品であるのだから当然な傾向だと思う。どうすればいいかと考えると夫意外ももっと外見の良い役者を揃えて二人と外部の人間の葛藤のやりとりをより劇的なやりとりにして家も最初は汚くとも最後はとてもきれいで豪華な家にしたり最後のザマー感をより充実させたりすればより受けると思うが書いてて虚しくなった。堅実でテーマ性のある作品はどうしても売れないしつまらない部分があるのはしょうがないと思う。それをどうすれば本質に抵触せずに面白くするかが創作をする人間がもつべき肝なのだと思うが。
もう一つは、エヴェレットの今を作る原因の手がかりを何も描写していない事。材料がなかったのかもしれないし、フォーカスをモード・ルイスに絞ったからかもしれないが、どうして彼は頑固で孤独に生きているのだろうと気になった。
その他として、調べてみるとサリー・ホーキンスはシェイプ・オブ・ウォーター(2017)の主演女優だった。しあわせの絵の具が2016年公開なので身体障害の表現によりどうしても少し老けて見えるところがあって少しびっくりした。サリー・ホーキンスの顔立ちについてそれ以外の作品でもなんとなく既視感があるような気がして調べてみるとロッキーのエイドリアンに似てるというのがわかった(個人的感想)。役のあり方も今作と少しにてるかも。
実際のご夫婦の姿と映画の内容(少々DV気味、時代が時代なので許されるの?)に違和感
夫婦の愛の物語として感動をよぶ作品とのことなんだけど。。。
主人公のモードは家政婦として雇われたい一心で、「病気ではない」(リウマチでは?)「人の5倍働く」(実際は指示がないと働けなかったり、基本絵をかいてエベレットがいない間楽しく過ごしている)とか適当な嘘をついてエベレットの家に入り込む。エベレットは忙しいから家政婦を雇ったはずなのに、余計忙しくなってて、イライラするのもまあ仕方ないかと思ってしまった。
すぐに上目遣いで人に媚びを売ろうとするし、相手に拒絶されるとキレて叫ぶところも気になった。
エベレットはエベレットで気に食わないとモードを殴るし、突然興奮して襲ってくるし(結婚を求められると逃げる)いいの?これで?寡黙で素敵な男性像にはとても見えなかった。
終始イライラの香りが漂う映画で、役者さんの演技はとても素晴らしいと思うものの、こんなに荒っぽい夫婦の愛から、あんなに可愛らしくて幸せな香りのする素敵な作品が生れるものかと疑問に思ってしまった。
あとで調べたら、夫婦の記録がほぼないので夫婦のやり取りとか監督が「こうだったのであろう」と想像の元作られたお話とのことだった。(監督へのインタビュー記事より)
WIKIによるとモードは親から愛されて育った少女で結婚前から絵を売っていたようだ。結婚後も絵を描く事をエベレットに薦められていたようだ。だから家事もエベレットがやっていたみたい。(エベレットはモードの絵のファンだった?)
子供を産んだ経験の記録はいろいろ探したけど見つからなかった。これも監督の想像?
実際のモードの絵も、夫婦の写真も暖かで素敵なものだけに、映画に違和感を感じたし、これが夫婦の愛と感動する人が多いことにも少し悲しみを感じた。時代が時代だから殴ったり家畜のように命令しても夫婦の愛でいいの?(愛しててもそれはちょっとと感じない人が多いことが寂しかった。)
エンドロールで流れるエベレットはとても優しい雰囲気のおじいさんで、モードはおちゃめな雰囲気のおばあさんだった。あんな優しい絵をたくさん自由に描けるのは暖かな夫婦の関係があったからだと思った。
言わずとも聞こえる『愛している』
障害のある彼女は手がかかると身内から疎まれて
街に出れば馬鹿にされニワトリ以下だと罵られる
自立したい、皆と同じように生きたい
多くは望まない好きな絵を描いていたい
欲張らないモードの心には
窓から見える景色には命が見える
しかも輝いて見える
心が豊かな人の感性だから
人を惹きつける絵が描けるのだと思います
絵が売れても有名になっても
絵の具と愛をくれた夫がいれば
彼女は幸せなのだと思いました
夫になる前は、手をあげてしまったり
ひどく罵ったりしてしまいますが
彼女と過ごす中で徐々に成長があり
最終的には最高の妻だと伝えれるほど
心が豊かになっていて観ていて温かかったです
落書きを許したり
網戸をつけたり
絵を売らなかったり
家事を変わったり
兄を冷たくあしらったり
娘を探したり
全てが彼なりの『愛している』だと思います
ラストシーンの病室での
『私はずっと愛されていた』は
《ちゃんと聞こえていましたよ》
という意味だと思います
また新婚した際に2人が
コットンの白だ、カナリア色だと
お互いを慎ましく褒めあったのも
微笑ましい素敵なシーンでした
ベッドサイドにあった未完成だった女性の絵が
夫婦2人の絵として完成されていてグッときました
モードが亡くなっても落書きだらけのお家はあって
そこに一緒に居てくれるような、
あったかい遺産だなと思いました
生きているとどうしてもお金が大事
お金の余裕が心の余裕だと思ってしまいますが
心の豊かさの重要性を教えてくれるいい作品でした。
観て良かった。
パディントンの素敵なお母さんっていうイメージしかなかったんですがサリー・ホーキンスの演技がすばらしかったです。
シェイプオブウォーター気になってきました、、
しみじみ泣けました
カナダの国民的な画家で、こんな生涯を送っていた女性がいたとは知らなかった。
持病があって親戚の中で厄介者扱いを受ける中、自分で道を切り開いて行ったこと、成功しても変わらないライフスタイルを続けたこと、意地悪な叔母を赦したこと、亡くなる前に後に残るご主人に犬を飼うように勧めたこと、などなど感動のエピソードがいっぱい。
主演のサリー・ホーキンスさんの脚、本当にお悪いのかと思ってしまうくらいの演技で素晴らしかった。ご主人のイーサン・ホーク氏もとても渋くて良かった。
カナダとアイルランドの合作。メジャーどころでは出ない味わい。ノヴァスコシアの景色も風趣を添える良作だった。
とてもよかった
あまりに悲惨で壮絶な環境でも創作に対する情熱が支えになるのが素晴らしい。絵が売れるようになって旦那さんが拗ねてしまうのはいかにもありがちだ。エンドロールでご本人登場していたら、旦那さんはそこまで偏屈な感じがしないし、ご本人もまだずっと見た目も表情も穏やかだった。
アカデミー賞ノミネート作品
カナダの有名な画家。モード・ルイスの生涯を描いた真実の物語「しあわせの絵の具」を観て来ました。ルイス役のサリー・ホーキンスは、どんな映画でも世界を作ってしまうから凄い女優さんだし、イーサン・ホークは寡黙でぶっきら棒な役がぴったりでした。
映画を見ていて好きなことは誰がなんと言っても諦めてはいけない。小さなことでも楽しめば必ず良いことがやってくると教えられた気がしました。
暫く忘れてましたが私が大好きなイーサン・ホークが素敵な映画に出演していたので嬉しかったです。ガタカ以来の感動です。ルイスの絵は単純な感じだけど絵の中に温かさと明るさがあって、とても気に入りました。
夢の国は絵の中に
この手の映画は苦手なのに分かっていても観てしまう自分が分かりません・・。
愛と言っても美男美女の登場する映画的な恋愛感情とは異質、絵とは裏腹に飾りのない愛なのです。どう描いてみても横たわるのは辛い現実、モードさんにとってささやかな救いは絵を描くこと、絵本の挿絵のような童心溢れる心象風景は夢の国なのでしょう、サンドラという理解者を得たが心も貧しい人達には対価でしか見てもらえなかった、それでも働きづめの夫の助けになれることは生きがいになったのだろう。妻が世間の評価を受けて卑屈になる夫、自尊心の裏返し、情けないが時代を考えれば分からないでもない。妻想いのシーンも描かれるが本当に愛があるなら出来ない仕打ちや見下したような言動は心が痛む。兄も叔母も利己的、誰からも疎んじられたモードにとって時には辛く当たられても本気で向き合ってくれたのは夫だけだったのだろう。貧困は罪なのか、弱者は厄介者なのか、同情は容易いが現実を思うと心が重い。
モードさんのご冥福を祈ります、神様もあなたの絵が好きだといいですね・・。
ご夫婦の生活は質素ながらも豊かなものです
映画「しあわせの絵の具 愛を描く人 モード・ルイス」
(アシュリング・ウォルシュ監督)から。
物語としては、主人公は、カナダの女性画家モード・ルイス。
だけど、もしかしたらそれを支えた「夫」かもしれないな、
そんな気持ちを感じて観終わった。
彼女の魅力に気付き、厳しい言葉を吐きながらも、
いつも寄り添っていたのは「夫」(エベレット)だった。
一所懸命に絵を描いている彼女を見つめながら、
「掃除はしてやる、今日だけだぞ」と掃除をするシーンはいい。
彼女も、それを承知で「・・・わかってる」と静かに喜ぶ。
そして、2人で自分たちのことを「靴下」に例える会話がある。
「1組の古い靴下みたいね。片方が伸びてヨロヨロで」
「もう片方は穴だらけ、色も灰色に」
「あなたは真っ白なコットンよ」
「じゃお前はロイヤルブルーだ。それか、カナリヤ色」
このお互いを認め合う関係は、ニュースでも伝えられた。
「ご夫婦の生活は質素ながらも豊かなものです」
まさしく、そのとおり、と拍手を送りたくなった。
その後、彼女に訪れるどんな名声や評価よりも、
「私はあなたと暮らすのが幸せ。幸せよ」のワンフレーズが
輝いていた気がする。
物語冒頭「私を雇って!」と哀願するシーンが始まりだったな。
心があったかくなる
素晴らしい!!!!
もぉその一言に尽きる。
サリーホーキンスも素晴らしいが
イーサン・ホークの不器用な役も然り。
まぁイーサン・ホークが若すぎたのよね。
私が監督なら、クリントイーストウッドに
お願いするなぁと思うけれど!笑
時に愛って時間のかかるものでもあるのです。
と思える映画でした。それに彼女は
命の尊さをだれより分かっている。
言葉1つ1つに、それが響いてきて自然を愛でる
そんな彼女の描く絵が人の心を温める。
五体満足放蕩者の私でさえ彼女に今日また
心を温めてもらえた。温めてもらえると
人を温めてあげられる。好循環を学べる
そして夫婦とは、幸せとは、、、という
素晴らしい映画です。
シンプルな生活に幸せは宿るのでしょうね。
命が輝いているって言葉に泣けました。
見て良かったなぁ…幸せだなぁ…
絵の具が紡ぐ夫婦の愛
レンタルした「モリのいる場所」の
宣伝に入っていて気になり借りました。
映画の中の風景も綺麗でした。
ゲームで言ったら unlavel の世界観。
実話を基にした映画を通して
こういう夫婦がいたことを知る事が出来て
心がデトックスされました。
画家の方やアート系を題材にした映画は
性的な表現を普通に入れてくる事が
私は苦手だったのですが、
この映画は
女性向けの映画かなと思います。
シェイプオブウォーターの
主演の女優さんの演技も
本人を再現している感じで
もう一度観ようと思いました。
缶の中に入ってた 求人の紙を見つけた時
旦那さんは何を思ったのかも気になります。
居場所なき者たちの至福
街の人々に疎まれながら孤独に生きるエベレットと、リューマチを患い常に親類縁者から無能扱いされてきたモードの、不器用な心の通い合いに涙しそうになる場面がいくつもあった。
人間は、自分の暮らしこそがスタンダードを満たしたものだと信じるあまり、自身の線引きから外れる者を蔑む傾向にある。
そうしないと、自分の幸福感が足下から崩れ落ちることが怖いのだ。自己防衛のための攻撃本能なのだろう。
エベレットとモードにも、それぞれの線引きがあり、互いの存在は始めはマイナス要因でしかなかった。
しかし、マイナス×マイナスはプラスなのである。
互いの得手不得手が次第に逆転し、不可侵の領域を決して犯すことなく共存していくさまがユーモアと慈愛たっぷりに描かれる。
エベレットとモードが連れ立って歩くシルエットが印象的な遠景、エベレットが荷車にモードを乗せて草原を走る姿、カナダの小さな街の色とりどりの家並み、美しい岸辺や草原の夕焼けなど、映像のひとつひとつが全てモードが描く作品のようであった。
モードが窓から見る世界の意味を語る場面は、人が重ねる経験の意味を根底から覆してくれる。
モードが世を去った直後のエベレットの姿を演じるイーサン・ホークは、『いまを生きる』の頃のいたいけな青年の脆さと、武骨に生きてきた男の優しさや悲哀があますところなく表現されていて、ここ最近の作品の中でも白眉の名演であった。
『シェイプ・オブ・ウォーター』でオスカーノミニーとなったサリー・ホーキンスは、本当は本作でノミネートされるべきだっただろう。
かつてウェルメイドな小品という言葉があった。本作には、その冠がふさわしい。
しあわせは今あるものからみつける。
シェイプオブウォーターに続いてのサリーホーキンス主演作です。これはこれでよかったです。
モードは割と裕福な家庭出身なのに両親早世ののちは辛い日々だったみたいですね。兄も叔母もひどいったらない。
モードは自立しようとしてエべレットの家政婦募集に応募します。
はじめの頃のエベレットはまぁ粗野で無愛想なヤローで、そんなに怒鳴らんといてよ、なんなん?とスクリーンのこちら側から怒っていましたが、何年もかけてゆっくりゆっくり近づいて行き…という、過程が良かったです。
わたし、好きなんです、はみだしっ子が傷を癒し合うように寄り添い、やがて愛し合うというプロットが。自分にとっておとずれてほしいとかすかに願っているからなんですが。
シェイプオブウォーターもそういう物語で、この映画もその類でしょ?だから、ね。すきなんですわ。
モードの絵が売れても小さな小屋で二人ちんまり生きる。
もっといろいろ便利にできそうなところを、そうはせず昨日と同じような今日をもとめ、明日も求める。
体が言うこと聞かなくても、目の輝きは昔のまま。
そんなモードから見いだしたのは、しあわせはどこか遠いところから見つけるのではなく、今自分が持っているものから見つけるってことなのかな、ということ。
確信はないけど真実味があるなぁと思っています。
自分の幸せや彩りのある人生について考える映画
サリー・ホーキンスさんの大ファンになってしまって、ずっと彼女のお芝居が観たくなっちゃって、シェイプ・オブ・ウォーターとはしご!
カナダの画家モード・ルイスと夫のエベレットの物語。観るまで存じ上げなかったけれど、人が出会って共に暮らすこと、人生の伴侶とは如何なるものか、ということがどんな物語よりもリアルな気がした。
輝かしいハレの日だけじゃなく、遠回りでも地道に心を通わせてゆく過程、またはすれ違う瞬間、人生の殆どを占める「日常」を丁寧に追っていき、それをゆっくりと眺めている時間はとても贅沢で多幸感に満ちた映画体験だった。まるで彼女によって色づいてゆくあのおうちのように。
生まれ故郷の周辺から一度も離れず生きたモードが窓の外を見て「命の輝きが1つのフレームに」と話す所。
全体的に窓越しのショットが多かったけれど、そのフレームから見える世界が1日として同じ風景でないことを知っていたし、その美しさと尊さを毎日感じ、絵に残しながら生きたんだね。
エベレットは不器用な人だけど、雲を見て笑うモードを見つめ、“I see you as my wife.”と最後に言えた。
彼は彼なりに世界を縁取りまなざし(=フレーム)をモードに向け続けていた。その静かな愛情の豊かさに心が震えたし、ラストであのメモを見つけた瞬間私も涙腺決壊した…
モードの「人って自分と違う人間を嫌うの」という台詞は、奇しくもシェイプ・オブ・ウォーター にも繋がる話だ。その「違い」にひそんでる何かをお互いに見出せた夫婦だったのかな。
心が絵の具のように鮮やかにあたたかく染まる物語。主演のおふたりは言わずもがな素晴らしかった…
【2回目 4/24@Bunkamuraル・シネマ】
観納めかなと思っておかわりして来たけど、もうじんわりあたたかいものが身体にしみてゆく名作…あの時こんなこと言ってたのか、そんな表情を見せていたのかと再発見が。
このお話を見つめている時間はそんな細やかな気付きをゆるやかに、でも確かに積み重ねてゆく時間。
今日は完全にエベレットの視点になってて、モードが笑ったり怒ったり拗ねたり楽しそうに絵を描いたりする、そのくるくると変わる表情や言葉の1つ1つをきっと好きになっていったんだな…と追体験したみたいだった。
「皆はあなたを嫌うけど、私は好き」なんて言われたらなあ…
そもそも、エベレットは「俺の人生に入り込めると思うな」って言ってたのにさ…モードは突然現れて、彼の心をノックし続けいつのまにか人生のパートナーになり、先にいなくなってからエベレットがあの貼り紙ラストで見つけるわけじゃん…ほんと見事すぎて泣く…
さて、2人の関係性について改めて考えてみると、エベレットもモードも思うことを、適切な瞬間にきちんと伝えてる。嘘偽りのない自分の言葉で。
だからお互いの想いが私達にも透けて見える。人として尊いと心から思った。
本当に人生の中ではとてもさりげなくささやかな一瞬なのだろう、でもその美しさが沢山きらめいていた。
今日は私より年上の女性達が沢山で、涙目になりながらいそいそと帰って行ったり、感想を丁寧に書いていたり、いつまでも愛おしそうに看板の写真撮ったり、いろんな人がいてそれがじーんと来た。
私が好きなものに対して、その人なりの「好き」が滲み出る瞬間に立ち会えて嬉しかった。
ノバスコシアの景色が本当に本当に美しくて、特に空の色とそれを反射する海と空気の透明感にため息が出るくらい。
モードが窓から見ていた景色を私もいつかこの目で見るのが夢になった。
カナダはシェイプ・オブ・ウォーター も撮ってるから本当に聖地巡礼するために頑張ろうと思う…!
黒猫の絵欲しい‼︎
不器用なのはわかるけど
仕事仲間に
からかわれたぐらいで
いや
殴らなくても...
なんかあのシーンが
引きずっちゃった...
モードは
身体は不自由だし
子供や家族の事で色々あったけど
死ぬまで
好きな人と暮らせて
好きな絵を描けて
しあわせだったのでしょう
とても
ホッコリする
優しい絵だなと思います。
慎ましき映画
この映画の面白ポイントは一種の慎ましさだったと思う。
若年性リウマチを患ったモード・ルイスが、自立のために漁師として働くエベレットのもとで住み込みの家政婦として働くようになるが、そのまま結婚し生涯を共にする。
モードは病気のために、エベレットは育った環境のために、不器用な一面を持っていて、2人とも大多数の「人々people」と折り合うのが苦手。
モードはエベレットのそうした不器用な一面をいち早く見抜いて魅力を感じ取っている。だから、なのかはわからないが、モードは彼にひどい扱いを受けながらも彼のもとに居続けた。
この映画には、著名な画家、若年性リウマチ、暴力など様々な話題性のあるテーマが潜んでいる。映画を見る前にネット上に転がっていたあらすじを読んでいたのだが、それを読む限り、病気を患ったか弱い女性が、厳しい環境の中で絵を描き続け、やがて認められ幸福な人生を送る、という(物語としては)ありきたりな展開が予想できた。
しかし実際には、そういったキャッチーなテーマはほとんど強調されない。たしかに彼女の振る舞いには病気の影響が見られるし、最初から絵が売れたわけではない。彼女は普通の人が望む環境より厳しい環境で生きている。しかし、それが脚色され強調されるわけではない。この映画は、ただ彼女のあり方そのものを描こうとしている。彼女自身と同様に、この映画も慎ましさを保持している。
この映画は素晴らしい。
キャッチーなテーマを見せれば、万人に分かりやすくなるし、商業的には成功しやすい。そうした分かりやすさのアンチテーゼとして、分かりにくい映画を撮ることもできる。だがそれはどちらもいい方法とは言えない。重要なのは、映画が描く対象(今回はモードルイスの生き様)の本質と、映画そのものの特性とが共通していることだ。いい表現は、内容と形式が一致するものだから。
この映画にはそうした本質がある。慎ましき人を描く慎ましき映画。
とはいえ、そんな素晴らしい映画を慎ましいの一言に還元しようとする僕の感想に重要な意味などかけらもないので、ぜひ映画を見ていただきたい。
スタイル
人の生活には沢山の
分岐点があるけど
それを活かすのはむずかしい。
前向きに、少しでも
自分がかんがえる
方向に歩き出せるか。
イキイキした鮮やかな
色使いの絵が
なにか心の中に入ってきます。
エンドロールもよかったです。
2人の世界、つましさにほっこり…
カナダの小さな港町で暮らしたモード・ルイス。幼い頃からリウマチを抱え、一族からは厄介者扱いされながらも、死ぬまで生涯に亘って、そこに息づく人々の暮らしや動物を美しい四季の中に織り込み、素朴ながらも色彩溢れる愛らしいタッチの絵画を描き続けた。今や、カナダを代表する画家として名を連ねているが、その人生は決して順風満帆なものではなく、様々な悩み事を背負いながら強靭な精神力で生き抜いてきた結果であった。
モードルイスの絵画は知っていたものの、彼女については知識ゼロで、ただただ、役者の魅力に惹かれて観賞したのだが、サリー・ホーキンスの演技は抜群で、エンドロールで流れるモード本人のわずかな映像を見るだけでも、その人柄や生き様を熟考し、よく練り抜かれたものであることが伝わってきた。顔色を伺うような上目遣いの表情。もどかしい時の爪を噛む仕草。筆を持っている時の内に秘めた高揚感。臆病で不器用でもあるが、好き嫌いはハッキリしていて自由に生きたいと願う強さも兼ね備えている言動。…等々、彼女の表現する全てが素晴らしかった。
生きているうちに人は、いろんなしがらみを背負わされる。その中にあって自由な精神を貫くことは簡単ではない。ハンデがあることも特別だし、自由を愛して信念を追い求めることも特別なことだ。モードも『特別な』たくさんの荷物を背負って生きた特別な存在の中のひとりだったんだなぁ〜と、あらためて思い知らされました。
のちに夫となるエベレットや、彼女の才能を受け入れた最初の客であるサンドラを始め、モードの才能や人柄に触れて、周囲が変化していく様子も、良くも悪くも間接的に皆がどこかしらで相互作用を及ぼしている様子が伝わってきて、「人の営みってこういうもんだよなぁぁ」って思ったし、モードとエベレットの不器用な関係性や、のんびりとした港町の雰囲気は、時にゆっくり、時にもどかしく、そのつましさがほっこりとした気分にさせてくれて、観る者に人間らしさを思い出させてくれるところは、この作品の良さだと思いました。
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