「劇的ではないからこそ良い大人のロマンス」しあわせの絵の具 愛を描く人 モード・ルイス つとみさんの映画レビュー(感想・評価)
劇的ではないからこそ良い大人のロマンス
1930年代のカナダから始まる画家モード・ルイスの半生のドラマだが、内容は夫であるエベレットとの出会いから夫婦になるまでと、その後、ほとんどエベレットとのロマンス映画のようだ。
雑貨店まで10キロ、隣の家などどこにあるか見えない。エベレットの家には電気もない。そんな田舎の町に越してきたモードはリウマチのせいで誰からも厄介者扱いされている。
孤児院で育った魚売りのエベレットもまた、どこか町から浮いた存在のように見える。
そんな二人は出会うべくして出会ったように思える。回りの人間から少しだけはみ出した二人。
若者のような運命の恋や劇的な恋などは、この二人には存在しない。
愛の言葉を言ったり、抱き合ったりキスしたりしない二人の気持ちの距離は、歩くときの距離として表現されていて、なかなかニクい。
少し離れて歩くモード、すぐ隣を歩くモード、最後はエベレットの手押し車に乗るモード。
このように、全編を通して、モードの描く絵のような素朴な演出が本作の一番の魅力だろう。
エベレットは言った。俺が面倒をみて欲しいんだと。物質的には部屋の片付けをしたり食事の準備をしたりすることを指すだろうが、その本質は、粗野な自分と共に過ごしてくれる人ではなかったかと思う。
古くなったヨレヨレの靴下の、その片割れを求めて。
モードもまた、厄介者扱いされている自分を必要としてくれる人を求めていた。
愛よりも深い、強い繋がりのような、自分の居場所と言えるところを。
穴だらけの靴下の片割れを求めて。
綺麗な靴下、見栄えのいい靴下、新しい靴下を求めるような若者とはもう違う、自分に合う人を求める大人のロマンス作品で、ただ優しいとか、暖かいとかを越えた先にある、人のあり方や夫婦のあり方のような、美しさに溢れた良作でした。
モードが初めて必要とされた、家政婦の求人の貼り紙。それを大事に持ち続けていたことはとても自然なことだったと思う。
モードが亡くなり彼女の残された絵を売ることをやめたエベレット。モードが最初に売るのを嫌がった絵があったように、残された絵を売るのを嫌がったエベレットの姿は、残された求人の貼り紙と相まって、猛烈に涙を誘う。