「絵は綺麗、動きも素晴らしい・・・でも、映画としては・・・」メアリと魔女の花 よしさんの映画レビュー(感想・評価)
絵は綺麗、動きも素晴らしい・・・でも、映画としては・・・
ある花の力により魔法を取得した少女の不思議な体験を描く物語。
他の方も書いていますが、ジブリを想起させる映画ですね。「千と千尋の神隠し」「魔女の宅急便」「天空の城ラピュタ」・・・
本作中に出てくるシャーロット叔母様と家政婦さんが、「魔女の宅急便」に出てくるパイ包み焼きのおばあ様と家政婦さんにそっくりで、流石にやり過ぎのように感じます。
そう感じてしまうからでしょうか?ジブリ以外にも、魔法学校から「ハリーポッター」を想起させますし、動物たちとの疾走シーンは「SHIROBAKO」の劇中劇(元々は「君よ憤怒の河を渡れ」のオマージュかな?)が想起され、継ぎはぎだらけの作品に感じられました。
例え「真似」でも「継ぎはぎ」でも面白ければ良いのですが、設定・ストーリーが薄くて、面白みを感じないのは致命的。
例えば、校門に入る前に「入学希望でなければ変身させられる」って設定。『何故?』ってなりますよね。「千と千尋・・・」では千尋の両親がブタになっていますが、神と人間が明確に分かれているからこそ説得力が出てくるものです。でも、この映画ならどうでしょう。魔法使いと人間は明確に区別されているようには見えませんし、区別されているのであれば易々と校門から中に入れるわけがありません。設定自体雑なのに、その設定を用務員さんが読み上げる演出には、空いた口がふさがりません。
例えば、「シャーロット叔母様が魔法使いだった」という設定も、『だから?』と言いたくなる設定です。序盤からメアリが「何故魔法が使えるの?」という謎かけがしっかりとあれば、その伏線回収になるのでしょうが、その謎かけがないので『だから?』にしかなりません。
ピーターを助けるアドバイスや方法を与えられれば、意味があるのでしょうが、それもなし。本当に『だから?』です。
この設定を入れるタイミングは、物語の構成上とても大切なものだと思います。中盤で敵に敗れる主人公達が、闘いの意味や方法を考え最後の闘いに挑む。大切な「間」になるところです。例えば、「ルパン三世カリオストロの城」では、ルパンがクラリスとの過去を思い出し、闘いのモチベーションを改めて高める場面です。
後半の盛り上がりが乏しく感じてしまうのは、この「間」が中途半端になっているのも一因だったと思います。
敵役の力不足も致命的です。魔法学校の校長と教授とはいえ、たった二人。そもそも決して悪人ではなかった二人では敵役としては力不足のように思えます。
折角、「学校」なのですから、生徒たちを巻き込むべきだったと思います。積極的に校長に協力する生徒と、反対する生徒を登場させたらどうでしょう。敵役はより強大になりますし、反対する生徒たちとの連携はカタルシスを感じる展開になったように思います。
酷評しましたが、それでも映像の美しさ、キャラデザイン、動き・・・等は、素晴らしいクォリティだったと思います。