セールスマンのレビュー・感想・評価
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人生の無常、小津の映画のよう…
この映画についての基本的知識は、例によってほとんどなし。
中東のどこかの国の映画だとはわかっていた。なぜ見ようと思ったのか。劇場のチケットが7月末までだったので、何か1本見ておかないといけない、というくらいの理由だった。
アカデミー賞外国語映画賞受賞というのも、頭の片隅にはあったが、見に行った段階では覚えていなかった。
舞台はイラン…。この国の現状についての知識がないとちょっと感情が入りづらい気もした。
妻がひょんなきっかけで暴行され、その復讐をしようとうする高校教師の夫の行動がアーサー・ミラーの「セールスマンの死」を演じる市民劇団(この夫妻も参加している)の稽古と本番の時間進行ともに重層的に描かれていく。
「ここってどこなんだろ…、どこの国なんだろ…」との思いが見始めからついて回った。
イラン? テヘラン? 女性はこんなに顔を出してて大丈夫なのか…。ぼろいマンション暮らしだけど、みんな車は持ってるんだ、携帯電話も普及している…などという生活水準への疑問もちらついていたが、終盤、夫が暴行犯を突き止めてから話も引き締まり、「悲劇的」なエンデイングにいろいろ考えさせられた。
パンフレットを買って、開いてみたら、監督のアスガー・ファルハディが1972年生まれ、と若いのに驚いた。
いや、評者の僕が年取りすぎなだけで、若くもないんだが。
なかなか、人生の苦さをうまく表現した、印象に残る1本である。
人間の感情
意味深い作品
人間はこんな風にして生きていく
カンヌ映画祭で高い評価を得た作品。アメリカのアカデミー賞も受賞したが、トランプの政策に反対して授賞式はボイコットしている。それがいいことなのかどうかは別にして、権威に媚びない毅然とした態度は立派である。日本の映画人にも同じ心意気があると信じたい。トランプにヘーコラするのは暗愚の宰相だけでいいのだ。
イランでは映画も演劇も検閲を受ける。イスラム教の国としてコーランの教えに反した作品は上映も上演も認められない。この映画でも過激な描写はなく、必要な場合は前後のシーンで暗示する。イスラム教が影響しているのは検閲だけではない。人々の暮らしはコーランに束縛され、あるいは守られている。
この映画にもイスラムの戒律がそこかしこに感じられるが、人々はそれほど窮屈な生活をしているようには見えない。スマートフォンを持ち液晶大画面のテレビのある生活だ。未来を案ずるのは世界中のどこも同じである。
本作品が描くのは、夫婦の葛藤だ。起きた事件を自分の心の問題として捉え、何とか精神を立て直そうとする妻に対し、事件を社会的な問題として捉えて合理的な解決を図ろうとする夫。互いに理解しあえぬままだが、なんとか互いに歩み寄ろうとし、また同じ劇団の役者として芝居の舞台に立ち続ける。フランスの作家バルザックの小説のように、人生の不条理を淡々と描く。
夫婦はもともとは他人で、一緒にいることで夫婦となっているが、心はどこまでも別々である。それは日本で1971年に発表された「黒の舟歌」という歌謡曲の歌詞みたいだ。
♪男と女の間にはふかくて暗い河がある
♪誰も渡れぬ河なれどエンヤコラ今夜も舟を出す
誰も他人の生を生きることはできない。誰も他人の死を死ぬことはできない。果てしなく深いクレバスのように、人と人との間には越すことの出来ない溝がある。
人間はこんな風にして生きていく。そんな映画である。人生はなんて惨めで滑稽なんだろうと思うもよし、それでも生きていくと決意するもよし。いずれにしても、見終わった後に胸に重たくのしかかるものがあるのは確かだ。
笑わないセールスマン
秀作なれど要忍耐
静止画の見せ方、明暗、カメラワーク、決して読めはしないけれど美しく魅せるペルシャ語、構図、構成、演出、そして音楽とどれをとっても洗練されたものを感じる質の高い作品。
個人的には、冒頭、光と影そして読めない文字で画面を占め機械的な音が鳴り響きながら静かに始まり、それに続く長回しの緊迫感あふれる導入部分で相当に感服してしまった。
舞台とシンクロさせながら物語がうまい具合に進行していくけれど、その絡み合いはあくまで表層的なものだという認識─もっとも「セールスマンの死」自体あまり知らないのだけれど・・・。それゆえに、この作品のタイトルが果たしてセールスマンというものでよいのかどうか、少しだけ疑問に思ったけれど、あくまで記号的なものとすれば、まぁこのタイトルも納得できるかな…
内容もサスペンス要素が盛り込まれていると感じたし、終始興味を失わなかったけれど、あまりに辛く楽しくない事柄が積み重なっていくので、相当の忍耐を要すると感じた。しかも考えさせられるところも大いにあって、見終わってどっと疲労感を催した。
いろんな意味で凄い作品だと思う。
馬鹿な女と思ってしまう
イラン映画ね。
後味の悪い、面白い映画だった。
アカデミー賞外国語映画賞を受賞という情報だけを持って見に行きました。
今回は「Lucky Now」やレビューも見ずに、一切の予備知識を持たずに行きました。
まさか、サスペンスだったとは。
夫妻が事件に巻き込まれてからの展開は、最後まで目が離せませんでした。
犯人が見つかって「はい、これで一件落着」かと思ったら、なんとなんと、むしろそっからのクライマックスまでが実に面白かった。
振りかざした正義の拳が、ぬかるみを叩き、思いっきり泥が飛び散ったような、とてもとても嫌な感じ。
つい最近、「正義」とは、人の基準によっていくらでも姿を変えるものだということを考えたばかりだったので、ものすごく腑に落ちる映画でした。
許すこと、償うこと、罰を受けること、罪を裁くこと等々、どの人の視点に立っても深く考えさせられ、しかも全部苦しく難しくて、とても脳みそが揺さぶられる作品でした。
晒し者
無視できぬ現実
見終わった直後、納得はできなかった。サスペンスという売りだったので、どんなどんでん返しがあるのか期待したまま終わってしまったのだ。
しかし、この映画はエンターテイメントではなく、イランの現実、日常を表わしていることを知り、納得した。このような事件が日常の中で起こってしまい、さらにそれを生活のワンシーンとして押し殺し霧散させてしまう... 我々は夫の視点で観てしまうのでなぜ被害者である妻が犯人を寛容できるのか、それを理解できず、苛立ちさえも湧かない。
妻の姿こそが今のリアルなのであろう。彼らは傷を負ったが、誰からのケアもなく、ただ生きていくのである。そういった現実に、我々は無知のままではいけない。
家族の姿に心打たれ、赦した加害者が(亡くなったのかは不明であるが)救急車で運ばれていった後の、彼らの茫然自失とした表情は、誰にも幸がもたらされなかったことへの絶望であるか。
設定に無理がある
真剣に見ないと
サスペンスの要素は思ってたより少なかった。
そして目を少し逸らしても理解に問題をもたらすかもしれない。
特に中の劇は日常生活の物語と並行して見せられているが、
表現はとても繊細でよく考えないとその関連性が分かりにくいかもしれない。
また劇は物語とシンクロしているより、映画と正反対の方向に行ってしまい、それと対比する内容になっていると言ってもいいだろう。
クライマックスのところ、サスペンス効果がとても良かった!
夫と共に真相に近づいている感覚は不思議だった!
だが、
犯人が見つけられても、
何となくまた他の事情があるかなーと思うと、
結局そのまま終わってしまう。
最後の最後も、
サスペンスや真相にたどるなどのことは強調されず、ただ全体の日常的な物語の一部にすぎなかった!
むしろ急に「寛容」の話が出てきて、「人を許すこと」が大事だと。これはその社会の独特な事情とも関わるだろうし、観念上に男女の間の差、男女の社会的な地位の差などが見えてくる。
見応えのある映画だが、集中して見なきゃ理解に難ありかも!
いきる
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