エル ELLEのレビュー・感想・評価
全44件中、1~20件目を表示
男なんて災厄したもたらさぬ動物。
この映画では、登場人物の誰もがセックスに振り回されている。イザベル・ユペール扮する主人公ミシェルにいたっては、レイプ被害者であると同時に親友の夫とも妻のいるご近所さんとも関係を持ち放題の性豪で、精神的には親友の女性と同性愛的な繋がりもあるという貪欲レディである。
ただイザベルは男たちと違い、純粋にセックスそのものを楽しんでいるだけで、相手への所有欲をこれっぽっちも持ち合わせていない。このドライさがイザベルの強さであり、それゆえに男たちを余計に燃え上がらせてしまうトラブルホイホイにもなっている。
気がつけば、セックスに自分のエゴを持ち込む男どもは、結局は女たちに災厄しかもたらさない。女性同士の連帯が痛快ですらあるラストに、男性側の一員として「なんだかごめんなさい」謝りたくなってしまうのは、ヴァーホーヴェンの男女観ゆえだと考えて構わないものだろうか。
ヴァーホーヴェン監督の先進性の表れなの?
最近は女性の自立とか、そういったものをテーマにした作品が多くなった。
そんな中、ポール・ヴァーホーヴェン監督は昔からジェンダーレスな作品を手掛けてきたように思う。性差のない未来、強い女性、自立した女性など。
ヴァーホーヴェン監督は脚本を書かないので、たまたまそういった内容が含まれる作品を監督してきただけかもしれないし、プロデューサーがヴァーホーヴェンなら求めるものが撮れると踏んで起用しているのかもしれないし、その辺はわからない。
もしかしたらヴァーホーヴェン監督が過剰に強い女性が好みで、その性癖が出てしまっているだけかもしれない。
そういった意味ではヴァーホーヴェン監督の性癖がだだ漏れしている本作。屈しない強い女性を描いた。
レイプ被害にあっていながら平静を装い何事もなかったかのように振る舞う主人公ミシェル。
声を上げることも出来ず泣き寝入り。したように始めこそ見えるが、だだ耐えるだけで苦しみ続けるような、そんな前世紀の遺物みたいな展開にはなっていかない。
いつものように息子と接し、仕事も普段と同じようにこなす。ことあるごとに頭をよぎる事件の恐怖に襲われながらも、頼らず屈せず闘おうとするが、強すぎる意思は「危険な女性」へと変わってしまう。
ミシェルが何を考えているのか分かりにくいので、人によっては男を求めているだけに見えてしまう可能性もあると思う。この辺はヴァーホーヴェン監督が失敗したとみていいんじゃないかな。
ラスト付近のフラッシュバックから考えると、もしかしたら男を求める気持ちと断罪したい気持ちの間で揺れる姿を描きたかった可能性もあるかなと思うけど、それはちょっと高度すぎて理解が追い付かない。
凄い昔からジェンダーレスを描いてきたヴァーホーヴェン監督は、つまり先進的なわけで、本作もまた先進的すぎて自分のような程度では理解できないだけかもなと思ってみたり。
サスペンスとして普通に楽しめたのは確かだけど、主演のイザベル・ユペールに興味がないしヴァーホーヴェン監督に対してもあまり興味がないので、そこまで乗れなかった。
こんな社会に誰がしたいのか?
これがinclusive Societyの行き着くところなのか?自由は重要だが個人主義、自由主義を突き詰めるとこうなってしまうのだろうか?エゴイストや変態など、誰1人モラルが無い。感情移入出来る登場人物が1人もいない。
一種の変態映画とも
前情報ではヒロインが犯人に復讐する話ということだったので
鮮やかな復讐劇を期待していたのだが、
予想したものとは違った。
性犯罪の場面が何度か出てくるのは観ていてキツイものがある。
被害者の行動としては全く理解ができない。
ただ成長過程で父親の犯罪があったために、
なにか歪んでしまったのだろうと感じられる程度。
なぜそんな行動に出ているのかの説明を
彼女の口から聞くことはない。
そこで受け付けない、意味がわからない、と感じると
あまりこの映画は面白くないと思う。
個人的には良識もあって冷静な女性と思っていた友人が
実はこういう面があるのだと、もし知る側の立場になったら
ぞっとするのだろうと想像した。
それに信仰心篤くて清廉な人かと思った隣人の妻も実は怖い女だったと知れる
一言が怖かった。
しかし自分の夫と不倫していた女と
長年友人だったとはいえ
同居しようよ、とライトに言ってる感覚は
日本人にはまず無いだろう。
タイトルなし
見終わった後、登場人物誰にも共感できない謎の映画。凶悪犯の娘として育った影響からか、警察を信用せず、暴行後にも平然と暮らし、犯人は隣人と突き止め、ラストは息子が殺す。隣人の妻は知っていながら、平然と暮らし、一方では信仰心が厚い。フランス人だから?モラルがどこなんだろうという映画
現代版サンドリヨン
出てくる女性がひたすらしたたか。
レイプされても、
父親のわからない子を産んでも、
夫に浮気されて親友に実は私と告られても、
夫がレイプ魔で隣人が自分の代わりに犠牲になってくれてても、その夫がユダヤ教でも。
全く前知識なくミステリとして見始めたので、途中「なんでそうなんねーん!」と思ったとこあるけど、いや、観てよかったです。
映画のテーマは明確。
父親が大量殺人鬼でも
ゲーム会社社長として手腕をふるえ
人付き合いもし
息子も結婚しようとしている、
そして、
夫が大量殺人鬼でも
若いツバメを飼い整形で美貌を保つ
底力のある女性が出てくる設定からも明確。
しかし、ヒロインは
社会的地位を持って強く生きてはいるけど、
殺人犯の娘として、そもそも振り回されてきた。
レイプされ、勝手に結婚を決めた息子にも振り回され、
別れた夫の若い恋人にも嫉妬する。
セフレにもズルズル関係を迫られ...
そんな人生の駒をひっくり返そうと奮起していく物語。
だと私は思う。
レイプ魔への灰皿反撃を夢想し調査を開始。
夫の恋人にも爪楊枝嫌がらせ。
男を手玉にとろうとパーティで隣人の夫を誘惑するが、それが犯人。
あちゃ、大大大ピンチ!と思いきや、
ド変態隣人の趣味にも付き合うという、まさかの解決策を取る我らがヒロインw
息子がスーパーマンのように現れてガツンと現実に引き戻す一撃食らわせるまで、ヒロインと隣人の危険な情事は続く。
「何故..」と訳のわからぬまま絶命する男。
セフレの件も、自分から妻に不倫を告り男を焦らせる。
母親のツバメも家を売り追い出す。
自分の意思でなんとか出来なかったのは、
忌まわしい事件を起こした父親だけ?
会いたくもなかったが、
亡くなった母親への思いもあり(?)面会を決めるヒロイン。
が!
会いに行くと、父親が首を吊っていたことを知らされる。
でもこの映画が恐ろしいのは、ヒロインが、
「自分が会いに行けば、父親はきっと逃げる」
という画を描いていたのでは!?とすら思わせてしまうところ。
「父が私の面会を知ったのはいつですか?」
「昨夜7時です」
という会話がそれを裏付けているよう。
全てにケリがついたラスト、
セフレだった男の妻とムフフな感じで終わったのにはびっくり。
幸せな、刺激もある生活が送れるといいね!
そういえば、
ヒロインは父親の事件当時「灰をかぶっていた少女」として描かれているが、
灰かぶり娘といえば「サンドリヨン(シンデレラ)」。
ただし、
灰をかぶった今作のサンドリヨンが幸せを掴むのは、
王子様(男ども)のおかげ、ではない。
フランス人が観るとどんな感想なんでしょうか!?
殺人犯の家族。日本ならきっと全く違う話になりますね。
---
※隣人は、ヒロインが殺人鬼の娘だからレイプした??っていう見方をすると、がらっと話が変わりますね。
どうなんでしょう。
孤独
レイプ、会社でのセクハラ、上手くいかない息子との関係、元夫の彼女への嫉妬、母親と父親の死、そして犯罪者の子どもとして生きることの辛さ。色んな要素が詰まりに詰まった映画。
友人には話すものの誰にも頼らない。武器を購入し犯人を突き止めるものの復讐はしない。誰にも頼らない(頼れない)のは、決して彼女の心が強いからではなく、ただ回避しているだけだと感じる。レイプ犯との関係はどこか"依存"のようにも見える。周囲に対する諦めと孤独感を感じた。
また、ミシェルは一見、冷徹な性格のように描かれているが、孫のためのゆりかごを購入したり、母親の遺言に従い父親の面会に行くなど、本当はかなり情のある人物だと感じる。
終始彼女の孤独感を感じ、辛かったが、ラストシーンだけは本当に救いだった。
罪悪感や恐怖を快楽に変換しちゃうぞ
信仰心を凌駕した衝動で大量殺人を犯した父親、父親を普通の人間だと信じ若い男との情事に耽って再婚すると告白する母親。
この時点でだいぶイかれてるのに、息子は純粋すぎて黒人との間にできたであろう恋人の子供は自分の子だ、と言い張るし、親友は同じ産婦人科で死産だったから息子の乳母な上に、主人公とレズビアン的な関係にも手を出してる。その旦那は不倫相手だし、隣人は旦那の異常な性壁を知ってて放置して何もなかったように安息の毎日を送ってる。元旦那は若い子と付き合ってるし、主人公をはじめ、出てくる全員がヘビー級!!!
両親が同じタイミングで死去することで、過去の事件の呪縛から解き放たれた感じがした。
不倫を清算、隣人の異常な行動と今後の被害者が生まれることを阻止、警察を信用、子供を信じて応援、親友と仲直り。
育った環境や血の繋がりは人格を変えてしまうほどの力を持つのかなぁ。
でも、異常すぎなのに主人公が淡々としてるから、なんかムニャムニャしちゃうわ…
困難
終始、行動原理が読めない。観てるこちら側が振り回されつづける。犯人を誅したかったのか、恐怖から解放されたかったのか、自身の尊厳を守りたかったのか未だにわからない。そこまで計画的であったのかも判別しづらい。息子に鈍器を握らせることが最善とも言えそうにない。復讐というよりも、「そろそろ」やろうと思ったから始末したという、ぼんやりとした決意なのかもしれない。
鮮やかではない人間の術。もやもやとした居心地の悪さが残る。
全然よくわかりませんでした
共感度が極めて低い作品でした。
なんか全体的に変な方多かったです。
主人公の女も、冷酷だし、レイプを受け入れ始めてるし、息子の嫁は完全に息子の親友の子供を授かってるし、なんだか全然わけわかんないストーリーでした。
そして主人公の女優さんの顔と声が好きではなかったため、見ていて入り込みにくかったです。
自分の友人の旦那とも寝てるし、それを友人にバラしたのに、その友達関係は続いていて気味が悪いです。
最初の時点から、レイプの犯人が隣人だと予測がついてわかってしまったので、犯人がわかった時、でしょうねくらいでした。
吹き替えで見たかったなーと思いましたが、フランス語?のみでしたので、残念でした。
魅惑と恐ろしさの女
主演のイザベル・ユペールは『ピアニスト』。
監督のポール・ヴァーホーヴェンは『氷の微笑』『ショーガール』『ブラックブック』など数知れず。
どちらもセンセーショナルな代表作を持つ二人が組んだのだから、平凡な作品になる筈がない。
何せ、イザベル演じるミシェルが、開幕からいきなりレイプされているのである。
しかしその後、何事も無かったかのように振る舞う。風呂に入り、血を洗う。
翌日は出社。ゲーム会社のCEOのミシェル。
現在開発中のゲームは過激な描写が売りで、あんな出来事があったのにも関わらず、もっと過激にと指示。
友人たちと会食中、レイプされた事を平然と報告し、警察に通報しない旨を告げる。
時折“トラウマ”が蘇り、犯人からと思われる嫌がらせのメールも届く。
犯人が身近にいると感じたミシェルは、自ら犯人を探そうとする…。
犯人探しや復讐サスペンスの醍醐味もあるものの、ミシェルやその周りの人間模様がメイン。
何より翻弄されるのは、大胆なミシェルの言動。
被害者なのに変に怯えたり警察に通報しないどころか、知人の旦那と関係を持ち、隣のイケメンを双眼鏡で覗きながらオ○ニーしたり、ご近所を招いての会食中誘惑したり…。
まるであの事件が彼女の中に眠る性や欲を目覚めさせたかのように。
息子と不仲のミシェル。
息子の妻が出産するが、産まれてきた子は…。
歪んだ親子関係。
その原因は、ミシェルの過去にある。ミシェルの父親は…。
ミシェルは○○○の娘だったのだ。
と同時に、彼女が警察を嫌う理由でもある。
再びミシェルを、犯人が襲う。その正体は…。
しかし警察には通報せず、変わらぬ関係を続ける。
が、予想だにしない結末。
ミシェルという人物、過去…。
イザベル・ユペールの魅惑さと怪演と共に、終始翻弄される。
とらえきれない魅力
一応誤解をといておくと、氷の微笑のよう な、謎を最後まで引っ張る話ではない。
主人公ミシェルに特に隠された背景というの もない。 いきなりレイプ場面から始まるが、その犯人との異常な関係性を飄々と受け止めている、 彼女の変容性というか一種のおおらかさが、見ている者を困惑させ、畏怖させるのだ。
ミシェルはサイコパスでもなければ、異常な マゾでもない。
だから彼女の中に積極的な被虐性欲というの は認められないけれど、状況に流されている ようでいて、それを楽しんでいる節はある。
彼女の相手が男だろうと女だろうと、彼女に対して何かしてやりたい、コントロールしたい、という欲求を沸き立たせる存在なんだけれども、それを敢えて放置している。
そしてミシェルは、最終的には邪魔になった相手を、自分の手を汚さず排除することやってのける。
結局、大量殺人を犯した父親との間に謎が隠されていたわけではないが、彼女が父親の中の何かを触発したに違いない、という確信を十分抱かせるほど魅力的なのだ、ミシェルは。
男たちは力づくでミシェルをコントロールしているようで、結局は弄ばれているのであ る。
一方的な快楽だけを求める男たちより、女同士の方がいい、と匂わせるラストも痛快。
レイプ犯の妻がミシェルにお礼を言う場面も、異常で好き(笑)
旦那が大変なことをしでかしてすみませんでもなく、不倫していたことをなじるでもない。とんでもない性癖の旦那の相手をしてくれてありがとう、ですもんね。
私だってあんな旦那がいたら、身も心も疲弊する。あのときのミシェルの目は、彼女にどことなく同情的だった。
御年64歳のイザベル・ユペールのたおやかな 上品さがなければ、下品な映画になっていた に違いない。 当初はアメリカでの撮影を試みたと言うが、【氷の微笑】のシャロン・ストーンのように、ギラギラと外に発散されるエロティズムはこの映画には相応しくない。
このヒロインは少し【ゴーン・ガール】を想 起させるが、毒のある軽やかなユーモアは ちょっとアメリカ人キャストでは想像しがた い。やはりフランスで撮って正解。
観る際に厳しい道徳観は邪魔になるかも
異常な性愛を描いた作品である。
監督は『ロボコップ』や『トータル・リコール』『氷の微笑』を演出したあのポール・ヴァーホーヴェン、本作における大胆な性描写は『氷の微笑』に通ずるところはあるかもしれない。
ただ大胆とはいっても、昨今は『LOVE 3D』などの真に過激な性描写を売りにした映画が存在するので、それらに比べてしまえば大人しく感じるだろう。
本作はレイプに対する倒錯した感情を扱っているので、どちらかというと倫理観として大胆な描写と言えるだろう。
ヴァーホーヴェンには他に母国で監督した『ブラックブック』という作品がある。女性が主役のサスペンス映画だったと思うが、あまり覚えていないのでそれほど面白くなかったように思う。
上記作品以来およそ10年ぶりでヴァーホーヴェンの監督作品を観たことになる。
原作者はフィリップ・ディジャン/ジャン、『ベティ・ブルー』の作者でもある。
『ベティ・ブルー』に関して、筆者は原作を読んではいないが、映画はレンタルビデオを借りて観ている。
当時20歳そこそこの筆者には主人公たちの性愛を含んだ愛の機微が何一つわからなかったが、なんとなく壮絶な作品であることだけは理解できた。
本作を観た後に原作小説も読むことにした。
原作小説の題名は『OH…』、フランスの5大文学賞の1つ、アンテラリエ文学賞を受賞している。
因みに映画題名の「Elle」はフランス語の「彼女」と主人公ミシェル(Michelle)の後4文字をかけているという。
イザベル・ユペール扮する主人公ミシェルと友人のアンナが共同経営する会社は原作では脚本を映画化やドラマ化する際のエージェント会社なのだが、本作ではより視覚効果が見込めるゲーム製作会社に変更されている。
また息子ヴァンサンの妻ジョジーは原作では結構な太めだし、産まれた子どもも白人だが、本作ではジョジー役にある程度の美人を起用し、子どもは視覚的に即座にヴァンサンと血のつながりを感じさせない黒人とのハーフにしている。
他の原作と異なる点としては、会社の部下たちとの葛藤は原作には全く存在しないし、殺人鬼の父親もミシェルが会うことで自殺するわけではなく物語の中盤であっさり病死してしまう。
原作を知った上で本作を改めて考察すると映画的な翻案として成功していると思う。
もちろん原作は小説として面白いが、全く忠実に映像化してかえって味気なくなる可能性はある。
原作では影が薄かった異常性愛者パトリックの妻レベッカが、本作では人物としてより掘り下げられ、夫の行動を黙認していたある意味において共犯者であることを暗示するかのような設定は思い切った転換である。
原作のレベッカは夫の異常性愛に悩むかのように宗教にのめり込み巡礼の旅に出て家をあけがちでほぼ登場しない。
もちろんパトリックの死後引っ越しの際にミシェルとレベッカが交わす会話も原作には描かれてはいない。
また本作ではパトリックの死をミシェルがたくらんだと見ることも可能だが、原作ではパトリックとの異常性愛にミシェルはすっかり溺れている。
結構印象は違うが、原作と映画の本作、どちらもそれなりに面白い。
本作を観て興味を持った方には、原作小説を読むことを強くお薦めする。
ただここである程度ネタばらしをしてしまったので、それでも良ければの話になるのは申し訳ない!
当初ヴァーホーヴェンは本作をハリウッドで映画化することを想定していたらしいが、ミシェル役を誰も演じたがらなかったのだとか。
原作だとミシェルは40代後半から50代前半といったところだが、本作では今年64歳のユペールが裸をさらけ出した迫真の演技を魅せている。
ユペールがミシェル役に手を挙げたことでフランス映画になった経緯を持つ本作だが、主人公の迫力を他の役者に出せたのか甚だ疑問なので、原作小説の母国語で映画化されたことも含めて今考えれば他の選択肢はなかったように思えてしまう。
なお原作者のディジャンも執筆中にユペールを思い浮かべることがたびたびあったという話である。
ただし本作全体を考えるなら、道徳観念に縛られたまま本作を観てもただつまらないだけだと思うので、恋愛観や結婚観において潔癖な人が多い日本人全体にはあまり受け入れられない映画なのかもしれない。
TOHOシネマズシャンテにて観賞
イザベル・ユペールが巧い。彼女の淡々とした凛々しさはハリウッド映画ではお目にかかれぬ面白さがあるが、犯人はきっちり意思を以て倒して欲しかった。
犯人探しのミステリーは割と驚きは少なく、ヴァーホーヴェンの演出もちょっと古さを感じる。
フランスだからできた女性像!
かなり前に観ました。
いやー、フランスはいいですね!
(フランスだからできた女性像ですねー)
『エル ELLE(2016)』
原題 Elle
(あらすじ)
エロゲー制作会社を経営しているミシェル(イザベル・ユペール)は、自宅に侵入して来た覆面の男にレイプされる。
しかし過去に父親が起こした事件により、幼少期に警察で嫌な経験をしたミッシェルは、通報することを拒む。
そんなミッシェルに、嫌がらせのメール等が届くようになる。
やがて犯人が分かったミッシェルと、その男との奇妙な関係に発展するのだった……。
監督がポール・バーホーベン!
あのー私、どんなに駄作と言われようとも、映画の9割は女優さんがトップレスであっても、主役のエリザベス・バークレーが巨大すぎで、ダンスシーンで男性の俳優さんがヨロヨロでリフトしても。
どーしても、バーホーベン監督の
『ショーガール(1995)』
原題 Showgirls
が、好きなんです!
この作品にも、主人公の友人が有名歌手にレイプされて、復讐でボッコボコにするシーンがあります。
バーホーベン監督の『トータル・リコール』『氷の微笑』にも、ドSな強くてセクシーなシャロン・ストーンいますけども。
で、今回の主人公ミッシェル、(内面が)激しいです。
ミッシェルだけではなく、その息子や、友人達も。
激しいだけではなく、笑っちゃう。
笑うっていうか、笑ってういいのか迷う感じですね。
例えば息子の生まれた子どもって、肌が黒い。
奥さんは浮気してるのに、息子はそこに全く触れない(気付かない)。
※おそらく息子の友人が、浮気の相手。
ミシェルの母には、孫くらいの愛人がいる。
とか、なんで?って(笑)
洒落にならない、苦い笑いなんですよねー。
ただ、父親は死刑囚?無期懲役犯?なので、大きな事件を起こしてるんですが、飄々と堂々と生きているイザベルは、ちょっと格好良くもあるんですよね。
このイザベルの前では、男達が弱く愚かに見えます。
けれど、そんな男達にもイザベルは優しい視線を向けたりする。
どないやねん!
分かんないんですよね。
サスペンスなのか?ミステリーなのか?
ジャンルに置きに行く作品ではないので、なんか落ち着かない。
町山さんは、ブラックコメディと仰ってましたけど。
まー、そうなんかな?
けどイザベルの快演に圧倒され、最後まで引き摺られる。
イザベル・ユペールと言えば、私の中で一番むなくそ悪い映画「主婦マリーがしたこと」の主演で、御年60歳オーバーですよ。
それなのに、このヌード!凄いです。
マリーは、フランスで最後の女性ギロチン処刑者ですね。実話でした。
まー、むちゃくちゃな価値観を持った女性でした。
今回も観客の価値観を根底から覆す、?なラストが用意されています。
覆すと言ったら大げさかな?
ただ、他人の価値観に縛られない、新しい女性像をバーホーベンは作り上げたと言っても過言ではないと思います。
てか、フランスだから、作ることができた女性像ですよね。
そこはかとない別世界の話
さっぱり共感を得られない世界観の作品。貶すということではないのだが、作品の綺麗さや造りの丁寧さは充分に感じられるのだが、何故だろう、イメージが湧かないというか、これはもう或る意味異次元の空間の出来事でさえ思えてしまう。勿論、映画の中の話だから、あくまでフィクションであり、現実世界に寄らせる必要はないのだが、どこにも寄り添う事が出来ないジレンマめいたものをずっと抱き続けるそんなストーリー展開なのである。乱暴の件、加虐嗜好の件、内輪の中の節操のない関係性、そして、幼児期に背負った親へのトラウマ。上手く結びつけたいのだが、結局主人公の強さで強引に接着してしまう力づく。
多分、シチュエーションを同じくして日本人がやったらこれはテレビドラマになるのではないだろうかと思ったら似たような題材が探せば出てくるだろうね。
ただ、これを演じる主役の女優の力量は相当高度でなくてはならないとは強く感じる。
母は強し、女は強し といったところに帰結するのかな?付け加えて言うならば、やたらと男の臀がペロンペロン出てくる、或る趣の人達の目の保養なシーンが盛沢山でもあるw
※余談だが、映画作品全般について、リアリティを持たせるのならば、やはり乱暴シーン時に局を手で持ってじゃないと事に及べないとおもうのだが・・・余計なお世話か(苦笑)
こんなに驚くなんて
あっと驚くストーリーは数あれど、これほど胸が悪くなって驚く映画は久しぶり。見はじめは不快感いっぱいで、異常な世界。怖くて外も歩けなくなりそうだけど、見終わると、不快感はそのまま、でも力がわいてくる。
女性はみな力一杯いきている、男がなんと不埒で情けないことか。絶対に負けない強さ。
レイプシーン多い:違和感は偏見に基づくもの。
ELLEとはフランス語で彼女という意味。英語で言うところのSHE。
経営者でも母でも恋人でも被害者でも淫蕩でもない、ただの彼女=ELLE=SHE=ミシェルだ、という事なんでしょう。
レイプシーンが多いので、見ていてうんざりします。会社でばら撒かれたミシェルの顔が張られたエロ動画も気味が悪いです。
ミシェルがことさらに被害を騒がない事にびっくりしましたが、それは「レイプ被害者は被害者らしくめそめそするものだ」という偏見がもたらすものだ、という評をどこかで読みかじり、ドキッとしました。
そうだ、そうだね、私の見方は、私が蓄えてきた偏見だよね、と思いました。
ネコにも優しくない、母親も好きじゃない、息子はバカだけどかわいい、息子の彼女はうざい。
元夫の彼女にはちょっとした意地悪をする、職場の部下にもそんなに好かれていない。
自分で犯人を探す、隣の家の夫がかわいくて自慰のネタにつかう、友人の夫と適当にセックスもする。
隣の家の夫を机の下で誘う。どうやら隣の家の夫がレイプ魔。レイプはごめん被りたいけどかわいい男とは味わいたい。
ミシェルってそんな人かな、と思いました。私が思った限りではの話です。
自分との共通点は少ないけど(バカ息子への塩対応と元夫の恋人への意地悪とか、元夫の車をぼこぼこにしたのとかはめちゃ面白かったですが)、かっこいいなと思いました。でも私はたとえ隣人がどんなに美味しそうでも、その妻がいる食卓の下でまさぐりあうとか、レイプ被害にあったのに平静を装えないと思います。
車の事故のときも隣人を呼んでたし、こわくないの?大丈夫ってなっていました。
ミシェルのそういう人に迎合しない性質は、父親が凶悪犯となり、その娘としてマスコミ・警察・世間の論調に傷つけられたためと読み取りました。加害者の娘らしくおとなしくしろとか、あんたも被害者ならば被害者らしくしろとかっていう圧力でしょうか。
幼いミシェルが下着姿でカメラをにらみつけたまま芝生に屹立する映像がありましたが、そこからは私が考える被害者らしさは見えない。
だからといって彼女がどう思っていたかは、決められないのだけれど、注意深く見つめない限り、パッと見た印象から自分の偏見において判断してしまう。そういう人の性を彼女は憎んでいるのかもなと思いました。
成人した息子がいる女の性的欲求を否定的に評することは、それを思った人が、女の性は若い人だけの特権で老いた人の性は受け入れられないという偏見の持ち主である、という事があらわされただけです。
レイプ被害の後でも性的欲求を持っている事を否定的に評する事は、それを思った人が、レイプ被害者はめそめそくよくよして、性欲など失せてしまうはずだという偏見の持ち主である、という事があらわされただけです。これは私のことですが。
人は偏見をもたずには生きられまいよとも思うので、そのことに自覚的であればまだまし?って感じです。
傷つけ傷つけられ生きるしかないのさ、なんて悲しい気持ちになりました。
らしさ
宇多丸さんがラジオコーナーでミッシェルのことを「レイプ被害者らしい立ち振る舞いをしない」と言っていましたが、らしい立ち振る舞いをしないのはミッシェルに限らず、登場する女性達皆に当てはまります。母親らしくない。高齢者らしくない。妻らしくない。親友らしくない。
らしくない彼女達を目の当たりにすると、私達は不快を通り越して、脅威にもうつります。「彼女達大丈夫なのかしら?」と。
ヴァーホーベンの手にかかれば、「頭大丈夫かしら?」というこちらの常識についてを議論することは意味のないことだと悟ります。それは登場人物の中に常識という概念がないように見えるからです。
親友の夫と寝るのも、親友がミッシェルを許すのも個人の自由。パートナーの子供とは明らかに違う赤ちゃんを産んでも気にならない。夫がレイプしていることを知りつつ「ずっと相手にしてくれてありがとう」と言ってしまう敬虔なクリスチャンである女性。
でもなんだか清々しい。いつもは見えない何かを隠しているだけなのかもしれない。ヴァーホーベンは人間が奥底にしまいこんである不道徳への憧れを見透かしているようです。特に女性は男性よりも道徳が重んじらる存在であり、身にまとう「らしさ」がなかったら生きづらい。
女性達を不道徳へと誘うヴァーホーベン。いや、元々道徳なんてないんだからと言うヴァーホーベン。この作品はヴァーホーベンから女性達に対する最高級な賛美なのではないでしょうか。
全44件中、1~20件目を表示