「観る際に厳しい道徳観は邪魔になるかも」エル ELLE 曽羅密さんの映画レビュー(感想・評価)
観る際に厳しい道徳観は邪魔になるかも
異常な性愛を描いた作品である。
監督は『ロボコップ』や『トータル・リコール』『氷の微笑』を演出したあのポール・ヴァーホーヴェン、本作における大胆な性描写は『氷の微笑』に通ずるところはあるかもしれない。
ただ大胆とはいっても、昨今は『LOVE 3D』などの真に過激な性描写を売りにした映画が存在するので、それらに比べてしまえば大人しく感じるだろう。
本作はレイプに対する倒錯した感情を扱っているので、どちらかというと倫理観として大胆な描写と言えるだろう。
ヴァーホーヴェンには他に母国で監督した『ブラックブック』という作品がある。女性が主役のサスペンス映画だったと思うが、あまり覚えていないのでそれほど面白くなかったように思う。
上記作品以来およそ10年ぶりでヴァーホーヴェンの監督作品を観たことになる。
原作者はフィリップ・ディジャン/ジャン、『ベティ・ブルー』の作者でもある。
『ベティ・ブルー』に関して、筆者は原作を読んではいないが、映画はレンタルビデオを借りて観ている。
当時20歳そこそこの筆者には主人公たちの性愛を含んだ愛の機微が何一つわからなかったが、なんとなく壮絶な作品であることだけは理解できた。
本作を観た後に原作小説も読むことにした。
原作小説の題名は『OH…』、フランスの5大文学賞の1つ、アンテラリエ文学賞を受賞している。
因みに映画題名の「Elle」はフランス語の「彼女」と主人公ミシェル(Michelle)の後4文字をかけているという。
イザベル・ユペール扮する主人公ミシェルと友人のアンナが共同経営する会社は原作では脚本を映画化やドラマ化する際のエージェント会社なのだが、本作ではより視覚効果が見込めるゲーム製作会社に変更されている。
また息子ヴァンサンの妻ジョジーは原作では結構な太めだし、産まれた子どもも白人だが、本作ではジョジー役にある程度の美人を起用し、子どもは視覚的に即座にヴァンサンと血のつながりを感じさせない黒人とのハーフにしている。
他の原作と異なる点としては、会社の部下たちとの葛藤は原作には全く存在しないし、殺人鬼の父親もミシェルが会うことで自殺するわけではなく物語の中盤であっさり病死してしまう。
原作を知った上で本作を改めて考察すると映画的な翻案として成功していると思う。
もちろん原作は小説として面白いが、全く忠実に映像化してかえって味気なくなる可能性はある。
原作では影が薄かった異常性愛者パトリックの妻レベッカが、本作では人物としてより掘り下げられ、夫の行動を黙認していたある意味において共犯者であることを暗示するかのような設定は思い切った転換である。
原作のレベッカは夫の異常性愛に悩むかのように宗教にのめり込み巡礼の旅に出て家をあけがちでほぼ登場しない。
もちろんパトリックの死後引っ越しの際にミシェルとレベッカが交わす会話も原作には描かれてはいない。
また本作ではパトリックの死をミシェルがたくらんだと見ることも可能だが、原作ではパトリックとの異常性愛にミシェルはすっかり溺れている。
結構印象は違うが、原作と映画の本作、どちらもそれなりに面白い。
本作を観て興味を持った方には、原作小説を読むことを強くお薦めする。
ただここである程度ネタばらしをしてしまったので、それでも良ければの話になるのは申し訳ない!
当初ヴァーホーヴェンは本作をハリウッドで映画化することを想定していたらしいが、ミシェル役を誰も演じたがらなかったのだとか。
原作だとミシェルは40代後半から50代前半といったところだが、本作では今年64歳のユペールが裸をさらけ出した迫真の演技を魅せている。
ユペールがミシェル役に手を挙げたことでフランス映画になった経緯を持つ本作だが、主人公の迫力を他の役者に出せたのか甚だ疑問なので、原作小説の母国語で映画化されたことも含めて今考えれば他の選択肢はなかったように思えてしまう。
なお原作者のディジャンも執筆中にユペールを思い浮かべることがたびたびあったという話である。
ただし本作全体を考えるなら、道徳観念に縛られたまま本作を観てもただつまらないだけだと思うので、恋愛観や結婚観において潔癖な人が多い日本人全体にはあまり受け入れられない映画なのかもしれない。