マンチェスター・バイ・ザ・シーのレビュー・感想・評価
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乗り越えるだけが前進じゃない
友達も多く陽気なリーがある事件を境に生きる気力を失い何にも興味がなくただ生きているだけの抜け殻のようになる。仕事はするが愛想もなく評判が悪い。
3人の子供を自分の不注意による火事で亡くすという、映画の表現でいうと「想像を絶する経験」の中で彼の心は壊れてしまっている。そんな時に兄が死に、その息子の後見人となる。
彼は最終的な場面でも、完全に心が癒えるわけでも生活が元に戻るわけでも悲しみを乗り越えられるわけでもないのだが、少しずつ、でも確実に彼の心は前進してきたかに思えるのがラストである。元奥さんも事件の日から心が壊れ、それを彼に罵声を浴びせることで、なんとか一本の細い糸レベルのギリギリ精神を保てていたのだろう。その奥さんから謝罪をされそして許されたことで前に進めるようになったのかもしれない。しかし自分を自分で許させない気持ちは完全には癒えない。一方で、甥のためにも生きようと努力し始める。そこから前向きな思考になったのか、彼は変わっていく。他の大人と少しは世間話が続けられるくらいはなっているので、彼は変わったというのがラストのシーンの意味である。
そして、彼の甥をボストンに呼ぶ時に1部屋欲しいと言った時にはいっそ晴れやかな笑顔になっている。そして、未来についての話をしている。これは大きな前進だ。完全に心が癒されることはない。でも人は前進することはできるのだ。最後に甥のパトリックと釣りをしているシーンは見てる側の心も救われる気持ちになる。
主役のケイシーアフレックがアカデミー賞で主演男優賞取れたのも納得。彼は、悪ふざけが過ぎて映画界から干されていたところに友人のマット・デイモンにこの役をもらっている(彼が主演する予定だった)。そして、見事カムバックしたわけで、まさにこの映画の主人公とも重なる。正直、マット・デイモンでこの映画のテイストは無理だろうから、ケイシーで正解だった気がする。
この映画は、内容においても俳優においてもカムバックする男の物語という面白い作品でもある。大傑作。
ちなみに、この映画では号泣してしまった。号泣する場面があるわけでもないのだけど。リーが兄の葬式で元奥さんと再開したシーンと、2度目に道端で再開したシーンだ。後者はまだしも前者はなんでもないシーンでもあるが、この映画の魔力だろうか。
乗り越えれなくても生きなければ
主人公のリーの悲しみがはかりしれません。
奥さんも子供の事、主人公を責めた罪悪感を一生抱えて生きていくのでしょうがそれでも前を向いています。
甥っ子も父を亡くし母や(主に婚約者)にも拒絶されて傷ついていますが、友達や彼女、アイスホッケーやバンドをする事で悲しみを乗り越えようとしてました
でもリーは?
人を拒絶し、小さい窓しか無い暗いワンルームに暮らし趣味も持たず1日を淡々と生きていました
リーは 許されたいわけでも励まされたい訳でもなくただ過去の傷を抱えてそのまま生きていくのでしょうか
余りに主人公だけ救われず重い話だと見るのが辛かったですが、最後に甥っ子と無言で釣りをするシーンで見てるこっちは少し救われた気がしました。
尊いラストシーン
気性が荒く人付き合いの苦手なリーの元に、兄が死んだと一報が入る。
甥のパトリックの後継人を任され、今住んでるボストンに住むか、パトリックの住むマンチェスターに帰ってくるかの判断を託されることになる。
リーは兄の死をきっかけに、自分が逃げてきた過去と再び向き合うことになる。
なんだろう、終わった後に心に大きなものが残る。奇跡的な事なんか一切ない、幸せな事もない、問題山積みのリアルな現状が続いてくだけなのに、なんでだろう。
リーは不器用で人付き合いも苦手、そんなダメな主人公だからこそ、どこか惹かれるものがあるのかもしれない。
辛い過去を乗り越えるのではなく、そのまま抱えて生きていく。そんな選択肢だっていいんだ。
「ここに住めば」と言った時のパトリックの寂しさ、凄く切なかった。
ランディとリーが涙ぐみながらお互いに話すシーン。月日を経てようやく喉の支えが取れた瞬間。胸が熱くなる。
パトリックが船を操縦し、リーに久々の笑顔がこぼれる。一気に救われた気がした。
そしてラスト、二人で釣りをするたった数秒のシーンだけど、いつまでも続いて欲しい、ずっとこのままでいて欲しいと思ってしまった。
尊い。
また船に乗ろう
アメコミの映画化やシリーズ物やリブートが氾濫する今のハリウッドだが、ちゃんとこういう良質なヒューマン・ドラマが作られる事に安心する。
こういう作品こそが、ハリウッドの良心かもしれない。
辛く悲しい過去を背負った主人公、心の喪失、身内の死、再生、歩む新たな人生…。
描かれる題材やテーマは決して目新しく無くありふれているが、ケネス・ロナーガン監督の丹念な演出と脚本が素晴らしい。
現在と過去が交錯…と言うより、主人公がふとした瞬間に過去を思い出す。例えば我々も、ふとした瞬間ある瞬間に、過去の事(楽しかった事、悲しかった事、辛かった事…何でもいい)が脳裏によぎり、感傷に耽る時がある。その描かれ方が絶妙なのだ。
静かで淡々として、登場人物たちが何かしら悲しみを背負い、一見重苦しい作品のように思うが、会話の端々にユーモアを感じさせる。
サメのジョーク、甥っ子とその友人たちの『スタトレ』話、主人公と甥っ子のやり取り…。
我々も日常生活を送る中で、会話にユーモアを含ませる。真面目で辛気臭い会話ばかりじゃない。ユーモアがあって普通なのだ。
ケネス・ロナーガンの語り口は、誰だって経験する事経験した事、誰の身にも起こり得る事、何気ない姿を肌で感じるように描ききっている。
主人公リー。
昔は妻子が居て、亡き兄や甥っ子と船に乗って、親しい友人も沢山居て、明るくフレンドリーな男だったが、今は故郷を捨て、誰とも親しくなろうとはせず、暗い男に。
喜怒哀楽、複雑な内面や感情…。
ケイシー・アフレックが映画賞総なめも納得の名演。
甥っ子パトリック役のルーカス・ヘッジスも素晴らしい。
バンドやホッケーをやり、二人の女の子と交際している今時なイケメンだが、彼もまた繊細な面を持ち併せている。
これから楽しみな逸材!
リーの元妻ミシェル・ウィリアムズ、リーの亡き兄カイル・チャンドラーらも出番は少ないが、名アンサンブルを奏でている。
リーの過去。
それが語られる過去シーン挿入直前で分かった。
亡き兄の遺言でパトリックの後見人に。それを頑なに拒否。何故?
一応は昔あんなに可愛がっていた甥っ子、リーにも子供が。今の自分の生活や突然の事で拒否したのかもしれないが、ただそれだけじゃないものを感じた。何か、身内に関係ある悲劇があったのでは…?
リーの悲劇は過失だが、本人にとっては大罪であり、罰せられたい。だが、それは出来ず、その代わり、自らを自らで罰した。妻と別れ、故郷を去り、何もかも自分の人生を捨てるという罰を。
パトリックも何処か似ている。彼の場合、病死というごく自然なものだが、身内の死の悲劇という事では通じるものがある。
共に抱えた喪失、孤独…。
リーがまた故郷に戻り、亡き兄の家でパトリックと暮らしてくれたら…と、望む。
が、そう理想的に上手くいく訳でもないし、リーとパトリックの孤独な心が触れ合って温かな希望が…というお決まりのハートフルなものでもない。
しかし、冬の次には春が来る。
喪失からの再生、再出発。マンチェスターの海にも再び日が差し、その時はまた船に乗って…。
重たい…
人間誰しも思い出したくない、忘れたい過去がある。しかし主人公の抱えるそれは、他人には計り知れない辛さと悲しみに満ちていて、消し去ることが不可能なもの…。観ている方も何とも言い難い、暗〜い、辛〜い、悲し〜い気分になります。アカデミー賞主演男優賞を受賞したケイシー・アフレックさんのもはや演技を超えた、彼の人生そのものが投影されたような表情が、この作品に深みを与えていたように感じます。
少し気になったのが、ポスターのデザイン。別れた奥さんとのツーショットになっていますが、甥っ子ちゃんと釣りをする後ろ姿などが良かったのでは?彼と過ごす時間を通じて向き合う自分自身と過去の居場所がメインなので、と思いました。自分好みの映画ではありませんが、観て損はないです。
それでも生きていくしかない。
鑑賞後にキャッチコピーを見ると改めて、なるほどなぁ、と思う。
「癒えない傷も。忘れられない痛みも。その心ごと、生きていく。」
なぜ、自分が生きているのか、自分が死んだほうがよかったのに、と思っていないはずかない人物が、心を凍りつかせながら、生きている。
そうしないと、生きていけないからだ。
元奥さんとの再会で、再びほぐされた心の行き場が、荒んだ心にいくしかないリアル。
強さなのか弱さなのか、という安直な言葉を飛び越えるほどの映画だった。乗り越えようとするわけでもなく、忘れようとするわけでもなく、それでも生きていくしかない現実。向き合わざるを得ない現実。
つらくないはずがない人ばかりが登場する映画。一人一人のつらさがあって、それでも生きていっている。
愛とは、簡単に渡したり、あげたりできるものではない。
兄が託したこの世で1番大切な息子のこと。
妻がずっと誰にも言えず抱えていた愛。
愛を受け取るわけにはいかない過去の罪。
生きていくしかない、と思えるのは、愛があったからかもしれない。
「自分で決めろ」「乗り越えられない」
この言葉が、こんなにも力強く、心に響くなんて、この映画だからこそだったと思った。
通行人・ケナス・ロナーガンの悲劇
いらいらしているケイシー・アフレックにたまたま?そばを通ったせいで喧嘩を吹っかけられた監督・脚本のケナス・ロナーガン。
「うるせえ不細工!ぶん殴るぞ!」みたいな事まで言われてるのに、ご丁寧に謎の去り際ソロカットまである欲しがりさんで笑えます。
でもそうやって笑いでごまかしながら話は進んでも、主人公の過去の記憶はぬぐえない・・・ってことが言いたいんだと思いました。
癒える事の無い傷のいたみ
生きている中で、毎日の生活の中で数え切れないほどの失敗やミスを犯してしまう。
しかし、そのミスが人の生き死にに直結する事はあまりない。
今作は小さな小さなミスで起こした事故の十字架を背負い生きていく人の話。
主人公のリー役のケイシ―・アフレックは寡黙で突然切れたり情緒不安定な感じがある人間。しかしながら家族とのシーンでは非常に優しく愛に満ち溢れた様子で見ていて温かかった。
兄役のカイル・チャンドラーは出番こそ少ないが非常に思いやりがあり、父親としても優しい模範的な感じがした。以前何かで見た時は嫌な役だったきがするが、、、w
妻役のミシェル・ウイリアムズはあまり見たことが無かったが、最後の方の演技はグッと来た。何かあのシーンは演技を超えた何かが宿っていた様に感じめちゃくちゃ映画に引き込まれた。
ケイシ―も演技では無い様子が感じられた。良い意味でw
タイトルを見てイギリスのお話か?w
と思っていたがアメリカのお話ですw
あまり風土や土地柄等はわからないが、かなり寒そうであり非常に美しい風景が描かれていますが、それに合わせて流れている音楽がまた美しく映画をより良い物にしています。
万人受けする内容では無いと思うが、時間軸がうまく絡み合いゆっくりと明らかになっていく内容に合わせてリーに引き込まれていく人は大号泣でしょうね。
僕はそこそこきました。
見ながら思っていたのですが、細心の注意を払っていても対向車が飛んできたり。
テロに巻き込まれたり。何も悪い事をしていないのに、ましてや信心深い人でも構わず神様は殺してしまう。
どの様に生きるか死ぬかが決まっているのか?
この映画の事故の様な事がもし起こってしまったら自分はもう前を向いては、笑顔を出しては生きていけないでしょう。
リーの発した「乗り越えられない」と言うセリフは色々な意味を含んだ一言でこの言い回し以外無いのではないか?と感じ深い感動を覚えました。
このマンチェスターではたぶん家族と行ったレストランや売店、公園等色々な所で面影を追いかけてしまう。フラッシュバックもしてしまうでしょう。
僕だって彼女と別れてすぐなら重ーい空気でイオン等に足を運んでいましたw
別れた彼女は死んだわけではなく別れたからいいんですが、家族でましてや亡くしてしまうと考えるとそれだけでゾッとします。
映画の中の出来事ですが本当に胸に重くのしかかり、明日からしっかりと生きていこうと思える作品でした。
最後に劇中では結構笑えるユーモアが散りばめられており良かったです。
人生ベスト決定
もう3回も見てしまった。1回目は複雑な構成だったということもあり何か素晴らしいものをみたという感覚だけ残った。そして、何度も思い返したくなる映画だった。そして、多くの方のレビューなどを読んでもう一度見たくなり2回目を見に行った。2回目は構成やテーマを理解していたということもあり一番泣けた。3回目見たときにやっと細かい構成や脚本の上手さを理解できたほどだった。
気づいた上手い点としては冒頭のリーが兄の遺言を聞き後見人と告げられるシーン。このシーンは過去と現在のシーンが行き来する複雑なシーンなのだが、待合室にいるパトリックに事務のおばさんが「ジュースでもいる?」と声をかける。このセリフにより、まだパトリックは保護者が必要なこどもであると観客に無意識に伝えている。このような上手い点が他にもいくつもあるのだろう。
この映画は些細な些細な心の変化を丁寧に描いている。リーが終盤で告げる「乗り越えられない」というセリフはなんとも素晴らしいシーンであり毎回泣いてしまう。セリフ単体を見ればバットエンドのような悲しいセリフなのだが、乗り越えられないと誰かに吐き出すことが彼の小さな小さな一歩を見ているようで感動してしまう。
そして最後の釣りのシーンでは号泣でスクリーンが見えないほどだった。冒頭のシーンのような関係性に戻ったというより、子供と大人の関係で1本の釣竿でやっていたものが、それぞれ悲しみを抱え成長した人としてそれぞれの人生を歩むようにそれぞれ釣り竿を持ち、尊重しあっている関係に変化しているのがなんとも感動した。書かきれないくらい好きなシーンがあるのだが、最初から最後まで完璧な作品ではないかと思う。
最後にこの映画はポスターに惹かれた。「その心ごと、生きていく」というキャッチコピーはまさにこの映画を表現していると言える。しかし、言いたいことがあるとすれば、ポスターにはリーとランディが描かれているが、確かにこの二人の関係性は重要だが冒頭と最後のシーンからも分かる通りリーとパトリックの映画なのだからこの二人をポスターに使ったほうが良かったのではないかと少し思う。
お台場のアクアシティの映画館だと無駄に大きなスクリーンで見れるのでいいですよ。いつまでかはわかりませんが。
ロンハーマンなロケーション
舞台そのものが作品名である。そこはおよそ日本人がイメージするおしゃれなアメリカの観光港、日本の葉山が真似をしたくてしたくて堪らない位の風光明媚な港町だ。そんな景勝地である場所に、一人の男が帰ってくるというストーリー。
とにかく今作品監督ケネス・ロナーガンの馬鹿丁寧な程の作品の作り込みが如実に表現され、スクリーンから溢れるほどの想いを切々と吐露していくような展開を追うことになる。思い過ごしかもしれないが、最近の映画作品の中の登場人物達の職業、若しくは仕事の特徴と性格や性質等がマッチしない、若しくは何らかしらの関連性を見いだせない設定が多いと感じる。ステレオタイプかもしれないが、職人だから無口だとかみたいなものだ。主役の男は、マンションの雇われ管理人。手先は器用で仕事は出来るが愛想は悪く、人付き合いは殆ど無い。そういうキャラ設定を丁寧に時間をかけて、その紹介のシーンを冗長かも知れないが映し出していく。多分その丁寧さそのものが今作品の後半への長いフリなんだろう。中盤での火事のシーンでのあのスローモーションの演出と、葬儀曲で有名な『アルビノーニのアダージョ』が切々とその深く傷ついた過去が繰広げられる。そこまでの重厚且つ暗いシーンからの、警察署内で隙を突いて警官から拳銃を奪い自殺しようと試みる緩急は心を強く揺り動かす。あれだけ溜められれば、驚きのシーンとなる演出は心憎い。
この作品のキモは確かに後半の元妻の許しとしかしそれでも自分を責め続けること事から解放されない主人公の街角のシーンなのだろうけど、もう一つの軸である、兄、弟、そして甥という男の系譜が紡ぐ、濃い関係性の方を注目する。街から出て行く直前、車の前で兄に抱きしめられる弟、不覚にも胸を締め付ける苦しさと悲壮さを禁じ得なかった。勿論、原因は自分なのだからとは分かるがその代償が余りにもバランスが悪く、だからこその心理的葛藤は観る者全てを深淵へと沈ませられるのだろう。
結局、主人公はその過去を克服できず、兄からの救いの手であった甥の後見人という立場を退くことになる。残念ながらハッピーエンドではない訳であり、だからこそ今作品の辛さ、哀しさを綺麗に表現してみせた監督及び、主役ケイシー・アフレックのハイレベルな演技が堪能できる内容であると確信する。確かに文句なく、アカデミー主演男優賞及び脚本賞で納得である。
乗り越えられないこともある。
楽しみにしていました、マンチェスターバイザシー。
予想よりも淡々とした感じでしたが、とっても良かったです。
回想でのリーはすっごく楽しそうで、よく笑う人だったし、とっても幸せそうでした。なのに、現在のリーは愛想のかけらもなく、人を避けるか喧嘩するかの日々を過ごしています。
なんでそうなっちゃったのかな、というお話です。
リーの過ち、それはもう、ひどい過失なわけです。
故意では絶対ない。でも取り返しがつかない過失。
夜中に暖炉の火を放置して外出してしまい、家が全焼。
こども3人が死んでしまったのです。
これはね、本当に、私がリーだったらと思うとね。
はたして生きていられただろうかと。自分を絶対に許せないでしょうし…
元妻のミシェルウイリアムズと道端でばったり会って、少し話をするシーンが、とても切なくて悲しくて、涙があふれました。
元妻の、元夫を責めに責めたことへの後悔。
その懺悔はそれでもリーを救わない。
それも仕方がない、元妻べつに悪くない。
リーだって、人生をかけて悔やんでいる。
でも、大切な子供たちが死んでしまったことは、二人にとっては、なにがあっても消化できるものではない。
そのことが、二人の苦しそうなしぐさ・表情から伝わってきて、
ともに苦しくなりました。
一方で、リーは仲良しだった兄を病気で亡くします。
兄には一人息子がおり、10代らしいセンシティブさがありつつ、なかなかにリア充な高校生です。
彼女は二人いて、アイスホッケーにバンドに、お父さんの船を維持するためのバイトに大忙し。
もちろん父が死んで、辛い。でも、あんまり辛そうにはしていない。
私には、辛さが表面にまだ出てこないのかなという感じに思いました。
そして、母親がなかなか曲者で、母に改めて捨てられた気持ちになり、傷つきます。またリーが故郷に留まってくれそうにないことにも傷ついています。
リーと甥のやり取りは危なっかしいけれど、微笑ましくもあります。
哀しい話なんだけど、ぽろっとおかしいことはおきます。
彼女の母の干渉が頻繁過ぎてセックスが続けられないとか、
彼女の母とリーの会話が、びっくりするほど続かないとか。
私も泣きながら、ふはって笑ってしまう感じが何度かありました。
どうにもならない悲しみの中にも、吹き出す出来事もあるよね、
そんなもんだよね、って思いました。
リーは、甥との暮らしを前向きに考え始めたようですが、
ぼーっとしていて台所でボヤ的事故を起こします。
今回は大した事故ではなかったのですが、過去がよぎりこれではいかんと決意します。
甥は近所の友人の養子になってもらう、自分はやっぱり故郷では暮らせない、ということです。
甥には申し訳ないけれども、乗り越えられない。
その結論が、哀しいけれども正直な気持ち。
わかるなと思いました。
一緒に暮らせないとはいえ、パトリックを切り捨てるわけでもない様子でした。新しい住まいにはパトリックの部屋も準備しておくとのこと。
つかず離れず、ちょうどいい距離を二人で探して、ほんのり仲良く過ごしてほしいなと思いました。
曇った色彩の町が、固く閉ざされたリーとシンクロしているように見えました。いい映画でした。
どうしても乗り越えられない感情は、乗り越えることができるのか
予告編にあった「・・すべてを置いてきたこの町で、また歩き始める」のナレーションのせいでミスリードされた。全然、その悲劇で負った心の傷が癒えてなんていなかった。リーは、かつて住んできたこの町で新たに歩き始めることなんてできやしない。悲劇のあと、どれほど自分を責め、夫婦に修復不可の溝ができ、失意のままこの町を離れたのか。過去を語らないリーの悲し気な表情が、それを痛々しく物語っていた。
凡長に思えた進行も、むしろ効果的だった。リーを見る周りの目、甥っ子とのすれ違い、、、それらを気に留めない振りをしていながらも溜まっていく感情が、実は積もりゆく枯葉のように、塞ぎこんでいく心理描写となっていた。目に見えないそれらの感情に覆われたリーの心が、とうとう窮屈に思えたときに発した『乗り越えられないんだ』のセリフに、どっと涙がこぼれた。
結局、すべてがうまく行き着く結末ではなかった。なのに、心に残る。プロデューサーのマット・デイモンは『ハッピアー・エンディング(最初よりはハッピーになっているエンディング)』といっている。ああそこなのだ、そんなハッピーな人生なんてそこら中に転がっているわけじゃない。失敗してしまったけれど、あの時より今はいくらかましになってきたよ、っていう僅かな光明に気持ちが揺すられるのだ。
マンチェスター・バイ・ザ・シー。実にロマンチックな町の名だ。wikiによるとどうやら人口5000人強の小さな田舎町らしい。正直、見終えるまでイギリスのマンチェスターと混同していた。マンチェスターなのになぜ海が出てくるんだ?、と。そのわりにはアメリカの都市名ばかり出てくるし、スポーツがアメリカ的だし、Championのトレーナーばかり着ているし、アメリカ国旗が多いしと感じ、途中でイギリスではなく、アメリカのボストンからやや離れた町だとは気づいていたが。あまりにも不覚。こんな町じゃ、ほとんどがリーの過去を知っているだろうし、思い出が至る所にこびりついている。だいいち、前妻としょっちゅう顔をあわせてしまう。乗り越えたくても、無理だよなあ。せめて、リーの感情が穏やかになってくれたことが救いだった。
想い出にかわるまで。
主人公役がマットでなくケイシーに代わって良かったと思った。
知的で頑丈なマットではこの味わいは出せなかっただろうから。
彼が過去に負った傷とは何なのか、それが判明する中盤以降は
正視できないほどの悲しみが襲う。もし私だったらと彼と妻の
双方に例えてしまった。こんな悲劇を背負った人はその後どう
やって生きていくのかとニュースを見て思ったこともあったが、
後半で偶然再会した元妻との会話では更に胸を締め付けられる。
歩み出した妻と歩み出せない夫。セーターで大事に包んだ三つ
の額縁を甥がジッと見つめるシーンにその悲しみが集約される。
喪失感は人それぞれだ。気丈に振舞う人もいれば悲しみを露わ
にする人もいる。自分を責め続ける人もすぐ前へ進む人もいる。
「もしお前が泊まりに来た時のためにソファーベッドを買う」
と甥に告げた主人公の言葉に涙が溢れた。ひとつ乗り越えたな。
うまくいかない。それでいい。
終始、曇天の映像。
登場人物は皆、
ポケットに手を突っ込んで
背中を丸めている。
観ていて決して
晴ればれする絵面でない。
なのに、観終わった後の
染み入るような不思議な余韻は
なんなのだろう。
想像を絶する過去を
愛と友情で乗り越えての
大エンディング!
...なんてのは人生では
残念ながらほとんどない。
この映画もそう。
主人公のリーも
忌まわしい過去に勝てずに
マンチェスターを去ってしまう。
でも、これこそが真実であり
人生なのだと感じた。
ラストシーン。
緩やかな坂道を登りながら
リーとパトリックが
拾ったボールでじゃれ合う。
そして穏やかな水面にボートを出し
二人で釣竿を構える。
二人が「同じ方」を向いて
映画は終わる。
素晴らしいラストシーンだった。
寛容の在りかとその発露
前回、上映開始の直前に体調を崩し、無理に着席するも、敢えなく自沈。出直しての鑑賞。
海辺のマンチェスターという名の小さな港町が美しく切り取られたショットの数々。これだけが印象に残っていたが、これだけでもこの映画を観る値打ちはある。
そのことが象徴するように、この映画は海辺の風景と父親が遺した小さな船が人びとを強く繋ぐ役割を果たす。
この船に付けられた名が、主人公の母から取られたものであることが、兄が埋葬される墓碑に刻まれた名によって観客に示されている。亡き母が、遺された弱き息子と親を亡くすにはまだ若すぎる孫との、唯一の肉親関係を繋ぎ留めるのだ。
人は何によって救われるのか。
この大きな問いへの小さな、しかし、具体的で強い答えが映画には描かれている。
父親を失った後、主人公の甥は別れた母親に会いに行く。彼女は現在の夫と暮らしているのだが、甥はその夫のことを「キリスト教徒だった」と評する。
これは痛烈な宗教批判ではなかろうか。
この少年は、弱きを助け隣人を愛することを説かれているはずの敬虔なキリスト者には受け入れられなかった。むしろ、辛い過去と偏屈な自我のために人を遠ざけている叔父に救われるのだ。
いったい人の寛容性とはどこにあって、どのように発露されるものなのか。
映画はこの問題提起に止まらず、具体的な回答を示すことにより、感動のフィナーレを迎える。
ベビーカーを押す元妻との再開のシークエンスの、なんと緊張感に満ち、そして暖かみに溢れていることか。
彼女の後悔の言葉に続く「愛してる」の一言。それをどう受け止めたら良いのか判らずに、逃げるようにその場を立ち去る主人公。二人とも不器用であるが、相手をすでに赦していることが、正直にその言葉や態度に表れている。
この寛容性の発露が声高ではなく、真摯で暖かい。
固定カメラのショットが多用されていることから、小津安二郎の味わいをどこかで感じていた。そこへこの感動の再会場面である。これはこの作品に小津の緊張感と感動に類するものをもたらした。
人生
ラストは、これがリアルな結果なのだろうと思った。正直、あの地で甥を育てながら、自己再生をしてほしいと期待したけれど。その可能性も感じさせる所で終わって正解なのだろうと納得。
本当に絶望してる人は、雪かきしない。
雪かきは、すぐ無駄なってしまうけれど、
それをしなければ、道が出来なくて、
歩き出すことができない。
雪かきをするって事は、本能は生きようとしている事
なんだ。
ちゃんとした家具に囲まれていなければ、まともな生活が、できない。人が訪ねて来られるため、くつろげるぐらいのソファーがないといけない。
寒い冬の日は、厚手のコート着て、ちゃんと指先まである手袋をはめよう。それをやらないで、不満を言うのはやめよう。
本当の自分の、凍ってしまっていて、感じることのできない心の部分を、怖いけど、ハッキリ自覚する。
その事ことでしか、弾むボールの様な心は取り戻せないんだよな。
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