「 ちょっと酷評されすぎの感。実写映画でこれよりクソなのはザラにある...」打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか? toritoriさんの映画レビュー(感想・評価)
ちょっと酷評されすぎの感。実写映画でこれよりクソなのはザラにある...
ちょっと酷評されすぎの感。実写映画でこれよりクソなのはザラにあるでしょ。今予告編やってる映画の大半は、そうではないかしらん。
ただ、微妙な計算違いというか、ちぐはぐ感が随所にあり、それが積もってB級テイストな雰囲気を醸しているのが、ネガティブな評価につながってるのではないか。
物語の舞台設定を伝えるための数々のカットが、物語を膨らませるためのあそび、冗長さにつながらず、単に情報伝達に終わっている。キーガジェットである水晶球のイメージを横溢させるために、学校の校舎・教室まで円い構造にしたという演出上の意図が、剥き出しにされているのは、とても痛い。
また脚本のテンポと、作画やシーン構成のそれが、間が合わないというか、凝った作画演出が脚本を殺しているか、脚本が舌足らずなのか、どうも二つが分裂している印象を受けた。CG演出の浮き上がり方は、ここに由来すると思う。脚本は総監督の新房も関わったほうが良かったのではないか。
はっきりいえば、岩井俊二の原作フィルムのことなど忘れて、徹頭徹尾コメディとして作ればよかった。主人公があの水晶球を投げるとき、哀切な想いをぶつけることで迫真性を出しているが、むしろどうにもこうにも二進も三進も行かなくなった主人公が八つ当たり気味に放り投げる、といった体のほうがいい。物語後半から急に引き込まれるのは、シリアスの度合いが深まったからではなく、喜劇的なシチュエーションが、小気味いいサスペンスを醸し出すからだ。
まあ、それはいろいろとムリな相談だったのだろうが。
いろいろと邪推されてるラストシーン、あれはただ単純に、いろいろあってくたびれたから寝坊した、というだけのことでしょ。コメディ路線だったら、このラストシーンの間抜けさ加減がいい味を醸してカタルシスを得られるが、現状のままだと結局、中途半端なまま観客が放り出された気分になる。ちなみに、このラストシーンの主人公の不在は、『涼宮ハルヒの憂鬱』の「エンドレスエイト」のラストの長門有希の不在に対応しているだろう。
ともあれ、B級感が溢れてしまった、プチ残念作、というかな。
なずなが「どう、16歳に見える?」といった場面で、思わず「ハイ、ひたぎサンに見えます」と即レスしてしまったやんけ(笑)