「一つの文学の可能性は感じた」打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか? むるぴこさんの映画レビュー(感想・評価)
一つの文学の可能性は感じた
初めてのシャフトの映画を見た。
まず、率直な感想として最初に出てきたのは、声優を変えたほうが良いということである。
アニメは、声が一つの命であり、非常に重要なファクターであるはずだが、主人公はあまりにひどかった。
また、作画数が少ないのか、不自然な動きが多かったように思う。全体的に作り込みに手抜きを感じる場面があり、明らかに本気で作ったとは思われなかった。
内容は、昨今の兎にも角にも、男女の恋愛という閉じた二体関係に昇華した、つまらない作品であると思ったのだが、偶然なのか、ある種の文学を感じさせる部分もあった。
しかし、圧倒的に表現の技量が足りないためか、作者は何かを表現したかったのではないか?という場面が意味不明な映像として表象されており、その是非は不明である。
また、高校生のする会話が、割と不自然であり、一見物語に影響がなさそうな日常の描写が、作品の質を落としていた。
精神世界なり人間世界の相互作用を高いレベルでシミュレート出来ていれば、あるいは主張したかった何らかの群像劇として意味を持ったかもしれない。
様々な点で、人間を描き切れてはいないことと、おそらくシャフトの特徴なのであろう映像美がちぐはぐさを引き立てている。
ヒロインのなずなは、家庭環境のせいで、一般の学生と異なる世界を会得しており、いわゆる暖かい家庭に育った主人公との対比において一つの文学を有する可能性があった。
電車に乗り、現実を逃避するかのように母親と再婚相手から束の間逃げるシーンがある。
なずなは、それが、束の間であることを知っており、現実にはすぐに連れ戻されることを知っているのだ。
主人公は何度も現実をやり直す(?)石を持っており、現実を歪曲する形で、世界を自分の願い通りに再構築する。そこに彼女の意志が入る余地はなかったけれど、果たして、問題のある彼女の世界が入ったならば、うまい形で何らかの文学の灯火を感ぜられたのではないか?と思ったり。また、石の使用者である主人公は、世界の歪さに気づいており、途中からはどうやらなずなもこの世界が自分たちの生きる世界ではないことに気づいていた。この点は非常に重要な点であり、扱いに慎重さを求める部分であろう。彼女は最後に「次はどんな世界で会えるかな?」といった節のことを発したが、あの問いは現実に記憶として残っているのか、単に主人公の妄想の再構築であるという設定の如何によって割と重要な意味を帯びてくる。アニメの設定はザッパで良いというのが私の考えだが、しかして、感情交錯が行われる重要な点についてはある種の厳密性が求められるかもしれないと思った。
最後に、、、
列車のシーンは、良いモチーフであると思うのだけど、なずなの妄想シーンでファンシーな馬車が現れた場面は明らかな冗長である。
あの、見せ場というか、重要な場面であえて挿入すべき映像とは到底思えなかった。
ここまで叩いてきたが、何かしら光るモチーフはあるのだ。
このテーマでもっと深めれば良いものが見れたかもしれない。
何か可能性を感じるようで、結局は作品として他者に勧められるものではない映画であった。