ムーンライトのレビュー・感想・評価
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拠りどころがないということ
この作品,The Color Purple へのオマージュだろうか?
社会の底辺に位置する地域。
そこに住んでいる ということが、すでに人生の選択肢なく日々いのちをつなぐことしか考えない荒んだ人生を意味する。
そのやるせなさ、いらだたしさが、さらに集団の中の弱い者へのいじめの原動力になる。
最下層社会で虐げられる者。
ひと昔前なら、それは女性であったのだろう。
が、女性は強くなった、というよりも 連帯する力を持ち自らが弱い存在ではないことに目覚めた。
The Color Purple はそんな作品だった。
でも、この作品の少年はもっと寄る辺ない。
愛し守ってくれるはずの母も自分のことしか考えられない。自分が何者かもわからないまま、ただ暴力に屈しないことだけを覚えていく。
彼が自ら育て上げた力は、実はひ弱で脆い。
でも、どうしたらいいのか?
全くわからないままに、ただ一度優しくしてくれた友達にすがる。
今年のオスカー作品賞。
確かに 政治的な配慮、そしてブラピがプロデューサーという背景あっての受賞だろう。
あまりの痛々しさに涙したが、全くわからなかったという方に「母性くすぐられたか?」と。
ああそうですか?
日本人だから? 米国文化を理解してないから?
ああいった社会の底辺を描くものは理解できない?
なるほど、これでは、Fences も Hidden Figures も公開してもワリに合わないとなってしまうわけだ。
そして、その想像力の欠如が、マッチョで知性の低い政治を支えているのかもしれない。
十代の主人公を演じた役者の鬱屈と怒りを充満させた表情が凄まじかった。
小品然とした純愛ものをこのカタチで見せるのかと圧倒される。
賞レース後のこの時期にこうした作品に対して「バイアス抜きで観るための心構え」を要されることにはいつも残念な気持ちになるが、観終わった後にそうしたネガティブな気持ちは一切なく、ただラストのせつなくも美しい余韻を感じながら「良作である」としみじみ考えていた。
まず本作の映像はただならぬこだわりようで、基本的に全てのキャストがアフリカ系であるためその彼らをいかにして映画的に見せるかについて考え抜かれている。これは何も被写体がどうだという次元のものではなく、題材からも由来されるドキュメンタリー色を画面から排除したかったからだ。時代背景などもボカされた中で(これもフィクション性を高めているが実際はバジェットのことが大きいのでは)観客は一人の少年の成長を見続けるのだが、実際には「成長」というより「深まる孤独」を見続けている。主人公の生きる辛さをより多くの人に、時に詩的でもある映像の力で感じてもらおうとしているのだ。
シネコンなどではまず観られない作品のはずだが、まさに賞レースで勝ち抜いたおかげで大きな箱でもかかっている。ゆえに途中で離席する人もいるしそれが初老の女性だったりするのはわかりやすい構図だ。しかし想像力の欠けた彼らにはゲイやバイセクシャルについての配慮や理解など考えもしないだろうし、本作がそれらについてのみ語られているのかどうかも考えないのだろう。そのことについて批判はしないが。
ところで字幕では「シャロン」とされていた主人公の名前だが本来ならば「シャイロン」ではないかという指摘がある。実際スペルは「Chiron」であり、発音も後者だ。これはギリシャ神話に出てくる「ケイローン」というケンタウロス族の賢者と同じスペル。ケンタウロス族は半人半馬であるのでなにか示唆的ではある。
シャイロンは一度いじめられる側から抜け出すための勇気を得たようにも見えたが第2幕では状況が変わっていなかった。そこで抱えているものの深さを感じるのだが、フアンの不在と関係はあるだろう。閉じこもった彼を開かせてくれたのはケヴィンであり、その後のことは失望というよりもただそう仕向けたテレルに対しての怒りが大きかった。だからシャイロンはケヴィンとの再会を心から喜んだのだし、まだはっきりと示されてはいないがようやくにして居場所を得ようとしているのだ。まずはそれだけでも良かったなと思えてじんわり泣けてしまう。
月明かりは太陽のそれよりも柔らかく、ゆえにコントラストも少ない。より平等な光。そうした光で物事を見れば今までと違って見えるだろう。
ヒューマンドラマ
私には難しすぎた。
だけどとにかく優しい雰囲気が漂っていて、美しい目をした登場人物ばっかりだった。
本当のお母さんがヤク中で育児放棄をしていて、最後は施設にはいっており、そこでシャロンに謝り続けていたのには。
はっきり言って私はグッと来ない。私からするとフザケルナと。
シャロンは許す必要はない。だから会いに行く必要もない。
(こんな私は冷たいのかな…)
1番気になったのは幼少期の頃よくしてくれた男の人が何故亡くなったのか。
ストーリー的に何故亡くす設定にしなければならなかったのか。
ヒューマンドラマで人が死ぬのは本当にキツイ。
ヒューマンドラマ、味付けビター
ダブルミーニングだと勘ぐるのはやめてね(苦笑)
この映画も町山推薦枠だが、やはり有名になったのはアカデミー賞授与式でのドタバタ劇。まぁあれだけ世間に騒がれたら関心は持たれるだろうなぁと、これもステルスなんちゃら?ってゲスの勘ぐり?w
と、穿った見方を抱きながらの鑑賞だが、ストーリーの組み立て方、構成は流石ハリウッドと頷ける見本みたいな流れである。時間も過不足無く、もたつきも感じられず、丁度良い所に落とし込む技術は映画国の白眉と言ったところか。
では、ストーリー内容なのだが、こればかりは好き嫌いがはっきりしてしまうのではないだろうか。ゲイ作品となると、どうしても抵抗感が拭えないのは、未鑑賞だが、『ブロークバックマウンテン』等、その描写の生々しさにフィルターをかけてしまいがちになる。だが、そこまでの絡みのシーンがレベルダウンしているので(代わりのヘルプ行為は中々センセーショナルだが・・・)、逆にそこに行くのかもと内心ドキドキ感を持ったままのラストカットへの流れは、正直安堵したというのが正直な気持ちだ。ホラー映画のそれとは違って、良い展開で不安が消されるという経験は、この手の内容ならではだろう。それ位、このストーリーの3分割中の“シャロン”と“ブラック”の別人じゃないかと驚いた位の主人公の、日本人がおよそ想像する怖いアフリカ系アメリカ人の容貌が男の肩に甘えるシーンはジョークを通り越して、驚愕すら感じる。あんなスタイルでも、頑張って自分を変化させても、やはりアンデンティティは変えることが出来ないというメッセージが静かに訴える作品だ。
映像だが、相当『ライトアップ』について、VFXを使って作り込んでいるとのこと。確かに、光りの多用さは確認できる。例えば、車の中を撮している時の、外の太陽光の鮮やかさと車内の暗さのコントラスト等に美しさを感じ取ることが出来た。月明かりでの彼らの黒い肌がまるでカナブンのような青い玉虫色に光る様は、人間美としての完成型を感じた程だ。
『黒』ではなく『青』、そこに自我を肯定する想いをしたためた監督の自伝的映画なのだということをしみじみと感じた作品である。
生きることの厳しさと、詩的な愛の眼差し。
題材はとてもエッジィで挑戦的な内容だけれども、今この時に観る意味のある映画だと感じた。社会的なマイノリティである黒人の少年が、いかにして自分自身を見つめ、そして彼らはこの世の中をどうやって生きていかなければならないのか。そうして生きていくしかないのか。そんなことを問いかけながら、しかし同時に根底に流れる熱い愛のまなざしが映画を優しく包み込む。厳しさと共に深い愛を描いたとても崇高な作品で、社会的なドラマでありつつも、とても情感的なラブストーリーであり、映画全体が一編の詩のようだった(正確には3篇からなる連作詩か)。
特に、主人公シャイロンと親友ケヴィンが交わすセリフのやりとりは、まるでセリフがそのまま詩のように美しく情緒豊かでうっとりとする。少年時代の友情の育み、思春期の性の育み、そしてすれ違いと、青年期になって解け合う二つの心の灯が、その都度とても詩的に語られ、観る者の心に波を立てる。シャイロンの中に蠢く今にも溢れてこぼれそうな情感を、しかし決してそれを溢して溺れてしまわないように丁寧に綴り、と同時に、シャイロンの心から静かにあふれ出た情感の雫は絶対に見逃さない。そんな繊細さがこの映画には常に存在していて、わずかの刺激で今にも崩れてしまいそうなシャイロンの心をここまでありありと掬い取ることによくぞ成功したものだと、本当に唸った。
そしてこの物語はやはり、黒人の少年が主人公であったということにも大きな意義があり、シャイロンという一人の少年が送る「青春」の奥底に蔓延る、黒人として生きることの厳しさと、彼の性的な嗜好が現代社会と黒人社会において何を意味し、少年の生き方をどこへ向かわせてしまうのか、と言ったことをしっかりと考察し、我々に直視させる。
この映画が描いていることって、特にアメリカにおいては当たり前にある物語で、人々のすぐ隣で起こっていることのはず。だけどなぜか今まであまり映画では描かれてこなかった。しかし語られる意義のある物語であるし、語り継ぐ意味のある映画であると思うし、だからこそのオスカーなのだと思う。
いつか、この映画のような物語が、自然と語られなくなる日が来ればいいと思う。人種も宗派もセクシャリティも・・・誰しも同じでないということがもっともっと当たり前に理解されて、それによる偏見や迫害がなくなり、この映画の内容が「大昔の出来事」としていっそ忘れられてしまうくらいの社会になれば、本当は一番いいのかもしれないのにと思う。
何を感じるか
シャロン3部作。
言葉少ないシャロンの内面を前面に出し、美しい映像、響く音楽、役者の演技力により詩的な雰囲気の映画になっています。
同性同士の恋愛を主軸に置いてはいますが、薬中毒の母親、父親替わりのフアン、その奥さん、また唯一心を許せたケビンなど…シャロンの心の揺れを通し、観客である自分の感情のどこかに触れるものがあるのではないでしょうか。
ある人にとっては容易いことかも知れないが、その実現が難しい立場の人もいる…
前半にしか登場しないアリの存在は、映画の主旋律ともなるシンプルなメッセージを観る者に送ってきます。
物語は静かに進み、月の光の下に佇む子供時代の自分…
振り向いたその子の目は真っ直ぐにこちらを向いていた。
この映画に2017年のアカデミー賞を与え、観る人の間口を広げたことはよかったと思います。
続く不幸の中での救い
少年の頃から青年まで続く周りの虐めと母の育児放棄,ドラッグ乱用。本当に不幸続き。
唯一仲良くしてくれるケヴィンと父と母のように接してくれたフアンとテレサ。この3人がいなければ話はそこで終わりになってしまいそう。
大人になって子供の頃の自分を知る人のいない街で心機一転。自分はストレートだと周りに思わせる振る舞い。あの頃の自分を知るものはもう居ない。知っているのは自分だけ。だけど地元には知ってる人がいて完全に過去と決別は出来ない。帰郷し、押し殺していた思いが再燃する。
起きていることは酷いことばかりなのに派手さを感じないため淡々と進んでいくなと感じました。面白みという点ではそれほど高く無い。テーマの重さも影響しているかも。
最後に少年の頃のワンシーンで印象に残ってるところがあります。授業中にシャロンが必死にダンスしてるシーンです。
虐げられたマイノリティへの共感
ゲイ、黒人、ドラッグ、ネグレクト、いじめ、、、およそ浮き上がれない人生の要素に囲まれた環境に育ったシャロンの人生を三部作で描く。彼の変わりように驚きながらも、そうなっていってしまった訳を思うと、胸が詰まってきた。
ジュークボックスでかけた曲は知らないが、あの歌詞には参った。楽し気で懐かしげな歌声が、とても悲しく響いてきた。
ただ、なぜフアンがシャロンにあそこまで優しくしたのか?が始めからの疑問にあって、どうも全体を受け入れる気分にはなれず。心を閉ざしたシャロンの姿に、かつての自分の境遇を重ねて手を差し伸べたくなったのか?
「月の明かり」は、万人に等しく降り注ぐ。
その明かりは、夜の闇から我が身を照らし出してくれるように、生きづらい人生の中の幸せを教えてくれる。
そして、黒人を青く映してくれる、つまり、自分を変えてくれる。
結局、シャロンにとっての月の明かりはフアンとケビン、っていうことか。
R15指定。だけど、それほどエグさは感じない。
むしろ、指定を受けてみることができない世代にこそ、この映画の中にある、真実のマイノリティの苦悩を教えてあげるべきだと思うが。
感想
ドラッグやいじめ、育児放棄にLGBTと重いテーマをこれでもかと詰め込んだ作品。
が、後味は悪くない。主人公シャロンは恵まれない境遇でも明るく健気に頑張っているというわけでもない。終始自信なさげに俯く。でも、そういうところになんかリアリティを感じました。
愛が必要なときに愛を与えなかった、だから愛さなくていい、でも愛しているという母親の言葉が印象的だった。
純愛もの
手垢のついた感があるゲイもの。しかし、主人公の純愛ストーリーでもあるし、虐待やいじめを受けて育った主人公の自分探しの旅でもある。序盤の「自分のやりたいように生きろよ」というセリフがクライマックスで沁みる。
ウォン・カーウァイを彷彿させる切ない語り口
米国マイアミの貧困地区に育ったひとりの黒人少年の物語。
自分のアイデンティティを探し、愛を探す物語。
米国マイアミの貧困地区。
近所では麻薬が横行し、シャロンの母(ナオミ・ハリス)も常習者。
まっとうな職もなく、その日その日、からだを売ってしのいでいる有様。
そして、リトルと呼ばれる10歳のシャロンは、近所の子どもたちからいじめられている。
そんな彼を救ってくれたのは、ふたり。
麻薬密売人のフアン(マハーシャラ・アリ)と、友人のケヴィン。
ある夜、フアンは、シャロンを伴った砂浜で、昔のことを語る。
俺は、むかし、ブルーと呼ばれていた。
それは、近所のばあさんが「月の光の下でお前をみると、ブルーに見える」って言っていたからだ・・・
とそんなところから始まる物語。
その後、シャロンの口から、いじめられている理由がフアンに告げられる。
ぼくはオカマ? と。
フアンはいう。
それは、ゲイに対する蔑称だ、と。
ここまでは、導入部で、いわば説明的。
映画として面白いのかどうのかを、観る側としても探っている感じ。
前知識がなければ、このエピソードの最後に明かされるシャロンの告白は、かなり衝撃的。
逆に言えば、前知識が邪魔して、この10歳の頃のエピソードが、説明に観えてしまい、退屈するかもしれない。
映画はその後、高校生時代のシャロン、20代のシャロンを描いていく。
高校生時代のシャロン(アシュトン・サンダーズ)は、みるからにひ弱でなよなよしており、いじめの対象。
付き合ってくれるのは、昔からの友人ケヴィン(ジャハール・ジェローム)。
ふたりはある夜、浜辺で愛撫に及ぶが、その後、ケヴィンに裏切られてしまう。
このときの夜の浜辺のシーンは、衝撃的だが、切なくもある。
20代のシャロンのシャロン(トレヴァンテ・ローズ)は、ブラックと呼ばれるトップクラスの麻薬売人。
マッチョな筋肉の鎧をまとって、マイアミを離れて、アトランタでのし上がってきた。
対するケヴィン(アンドレ・ホランド)は、マイアミでダイナー(食堂)をやっている。
ふたりが会うのは、ケヴィンに裏切られて以来・・・
この20代のエピソードは、いかついシャロンの外見とは裏腹に、とても切ない。
自分のアイデンティティを探し、愛を探していた孤独な少年が辿りついた安らぎの場所。
そして驚くのは、このエピソードの撮り方が、過去の映画によく似ていること。
ウォン・カーウァイの諸作品を思わせる。
特に『ブエノスアイレス』『マイ・ブルーベリー・ナイツ』の2作品。
音楽の選曲(『ククルクク・パロマ』!)、ダイナーの雰囲気。
入口のベルがチリンと鳴り、音楽が入るそのタイミング。
おお、ウォン・カーウァイ!と思ってしまう。
この語り口に酔わされた。
いやもう、黒人だ、貧困だ、マッチョだ、麻薬だ、なんてどうでもいい。
酔わされてしまったのだから。
そして、最後のワンカット。
月の光に照らされる、10歳のシャロン。
ブラックの彼は、ブルーに見える。
ブルー、それは哀しみの色・・・
美しい映像と厳しい現実 愛の形が交差して生まれる世界観。
まず、本作品は三部構成にすることで主人公シャロンの人生の分岐点をしっかり表現していることから主人公の人生を感じ取りやすいと私は思いました。
そして、沢山の人と色々な関わりを通して変化していくシャロンの感性の変化、周りを取り巻く一人一人がシャロンの感性に関わっていること。この人生の中での出会いの大切を私は知ることができました。
もう一つ感じたのは、母の愛情の大切さとシャロンの美しさ。シャロンが愛せなかったことを悔やむ母を抱き寄せるシーンで私は、母が愛に対していかに浅はかだったのか、そしてそれを心から悔やんでいることを感じました。そして、それを静かに抱き寄せるシャロンの人間としての美しさ、神秘さを感じました。
本当に美しい映画です。自分を認め、人を許す。
そんな素晴らしい人間の悲しい人生と現実を描いていました。
監督さん、俳優の方、ほんとにありがとございました
見終わったあと、少し世界が綺麗に見え生きる勇気を貰えました。
待ちに待ったはずなのに…
公開を楽しみにしていた本作。
この評価になったことについて、同性愛に対しての偏見や嫌悪感では一切ない。
ドラッグ、人種差別、ネグレクト、虐め、同性愛など、現代社会を問題視した作品はもともととても興味深く、ミニシアター好きな自分好み。にも関わらず、観終えた後のなんとも言えない空虚感。
1人の青年の人生を三部作で描いている。
一部二部ではゲイだとイジメられ、社会に適合できず、ネグレクトによる孤独と葛藤がありながら二部の最後に同級生に仕返しして少年院送りに。
三部では誰かわからないくらい鍛え上げられた肉体の主人公がヤクの売人となって登場。
内なる女性的な部分(幼少期はオカマと言われた)を隠すかのように強がり、最後は初恋の男性と再会、乙女のようになり寄り添って終演。
後半に行けば行くほどファンタジーのような感覚になりまったく共感できない。
俳優陣の演技はいい。
テーマも興味深い。
肝心な脚本と演出がどうなの?
母をダメにしたドラックの売人になり、そして母を許し、自分に初めて触れた男性に裏切られ、それでも忘れられず…数々の葛藤があるはずなのに、すべての後味がウブな同性愛で終わり…
なんだかなぁ
セリフが少なく雰囲気は出してくるのに、肝心なところは顔のドアップで行間を読ませない映画でとても残念だった。
久しぶりに映画の日に映画見て来ました。やっと観れた。本年度アカデミ...
久しぶりに映画の日に映画見て来ました。やっと観れた。本年度アカデミー賞作品賞! うん。これが作品賞に相応しいとかわからない。正直。ただいい映画だった。カメラワークだったり、音だったり、カット割りとか、そうゆう部分がスタイリッシュさを演出していた気がして、ドラック映画とか、社会派ドラマとか、型にはまることのない、新しさがあった気がした。そして、やっぱり黒人ってカッコいい。そして、音楽良かったな。
いい映画って、今まで観たことがない映画なんだよなって思う。当たり前過ぎることだけど。
今年は、トランプが大統領になったアメリカにとって、黒人の映画が作品賞になることで、政治的なメッセージがあるような気がした。
ただ、そんなことは関係なく、いい映画だし、映画館で観れて良かったな。
ゲイから見たら、しょうもない話
一人のゲイの原体験を映像にしてるだけで、
犬も食わないようなしょうもない話。
そもそも、これって純愛ではない。
バイ(両性愛者)で、子供もいる幼馴染と、久しぶりに会ってヤるだけじゃないですか。
801(オチなしヤマなし意味なし)でしかない。
これを見て、ゲイの生き方、幸せが何も見えてこない。
黒人、ゲイを真っ向から描いて、映像が綺麗だから評価されてアカデミー賞!(中身なくても)
糞食らえですわ。
あと、最近流行ってる映像が綺麗って何?そこ評価の対象なんですか?
昔と比べたらそりゃ綺麗になりますよ。逆に言えば5年後には陳腐化してるんですが!!
ラブストーリー
カラフルな映像と波の音、主人公を演じる3人の瞳が最高に綺麗だった。必要最低限の台詞も淡々とした雰囲気で良い。3部で過去のフアンに見た目を寄せるシャロンはとても痛々しくて胸が締め付けられる。
鑑賞中はバッドエンドだろうと思っていたが、いい意味で裏切られた。最後まで美しい純愛ものだった。
ウォン・カーウァイ監督のブエノスアイレスを思い出した。
ラ・ラ・ランドの派手な感動も良かったが、ムーンライトはじわじわと感動が来る。好き。
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