「ウォン・カーウァイを彷彿させる切ない語り口」ムーンライト りゃんひささんの映画レビュー(感想・評価)
ウォン・カーウァイを彷彿させる切ない語り口
米国マイアミの貧困地区に育ったひとりの黒人少年の物語。
自分のアイデンティティを探し、愛を探す物語。
米国マイアミの貧困地区。
近所では麻薬が横行し、シャロンの母(ナオミ・ハリス)も常習者。
まっとうな職もなく、その日その日、からだを売ってしのいでいる有様。
そして、リトルと呼ばれる10歳のシャロンは、近所の子どもたちからいじめられている。
そんな彼を救ってくれたのは、ふたり。
麻薬密売人のフアン(マハーシャラ・アリ)と、友人のケヴィン。
ある夜、フアンは、シャロンを伴った砂浜で、昔のことを語る。
俺は、むかし、ブルーと呼ばれていた。
それは、近所のばあさんが「月の光の下でお前をみると、ブルーに見える」って言っていたからだ・・・
とそんなところから始まる物語。
その後、シャロンの口から、いじめられている理由がフアンに告げられる。
ぼくはオカマ? と。
フアンはいう。
それは、ゲイに対する蔑称だ、と。
ここまでは、導入部で、いわば説明的。
映画として面白いのかどうのかを、観る側としても探っている感じ。
前知識がなければ、このエピソードの最後に明かされるシャロンの告白は、かなり衝撃的。
逆に言えば、前知識が邪魔して、この10歳の頃のエピソードが、説明に観えてしまい、退屈するかもしれない。
映画はその後、高校生時代のシャロン、20代のシャロンを描いていく。
高校生時代のシャロン(アシュトン・サンダーズ)は、みるからにひ弱でなよなよしており、いじめの対象。
付き合ってくれるのは、昔からの友人ケヴィン(ジャハール・ジェローム)。
ふたりはある夜、浜辺で愛撫に及ぶが、その後、ケヴィンに裏切られてしまう。
このときの夜の浜辺のシーンは、衝撃的だが、切なくもある。
20代のシャロンのシャロン(トレヴァンテ・ローズ)は、ブラックと呼ばれるトップクラスの麻薬売人。
マッチョな筋肉の鎧をまとって、マイアミを離れて、アトランタでのし上がってきた。
対するケヴィン(アンドレ・ホランド)は、マイアミでダイナー(食堂)をやっている。
ふたりが会うのは、ケヴィンに裏切られて以来・・・
この20代のエピソードは、いかついシャロンの外見とは裏腹に、とても切ない。
自分のアイデンティティを探し、愛を探していた孤独な少年が辿りついた安らぎの場所。
そして驚くのは、このエピソードの撮り方が、過去の映画によく似ていること。
ウォン・カーウァイの諸作品を思わせる。
特に『ブエノスアイレス』『マイ・ブルーベリー・ナイツ』の2作品。
音楽の選曲(『ククルクク・パロマ』!)、ダイナーの雰囲気。
入口のベルがチリンと鳴り、音楽が入るそのタイミング。
おお、ウォン・カーウァイ!と思ってしまう。
この語り口に酔わされた。
いやもう、黒人だ、貧困だ、マッチョだ、麻薬だ、なんてどうでもいい。
酔わされてしまったのだから。
そして、最後のワンカット。
月の光に照らされる、10歳のシャロン。
ブラックの彼は、ブルーに見える。
ブルー、それは哀しみの色・・・