散歩する侵略者のレビュー・感想・評価
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実は宇宙人と人間の純愛映画?!
一見タイトルや映画の番宣を観ても日本映画のSF?の様な感じの印象が強く一体どんな映画かと恐る恐る観に行ったと言うのが本音です。
のっけから人間の姿形をした宇宙人の残虐な一家殺人から始まり、かなりPG15やR18色が強く感じられるシーンから始まりますが、、、長澤まさみが演じる鳴海の夫の真治(松田龍平)との絶望的な夫婦関係を、真司の体を支配する宇宙人が少しずつ、その夫婦関係を修復するという結果になっていきます。宇宙人は三人いますが、真治の体を支配した宇宙人は、その中でももっとも温厚な宇宙人なのですが、少しずつ鳴海の、自分自身である夫真治への愛を感じ始めます。真治(宇宙人)は自分が真治になってしまったのか、それとも真治の体を支配しているのか、よくわからなくなってしまうのです。
鳴海も自分が宇宙人であるという夫の真治を半信半疑認める一方、やはり宇宙人ではなく真治が本当に改心してくれたのだと思っているのです、むしろ、改心したと信じたいのだと観ていて思いました。
最後のシーンは、、ぜひ観てください。私はやっぱり『愛の概念』について、そうなったかと思いましたが、、最後の最後のシーンは、宇宙人の真治なのだと思います。
面白かった。確かに面白かったけど…これはやはり舞台劇だ。
いや面白かったですよ。いい意味でも悪い意味でも面白かった作品。しかしこれは、残念ながら映画としての面白さではなかった。
元々この作品は舞台原作と聞いているが、その延長線で劇団芝居を映画の体でみせられてる感がハンパないのだ。ほら、劇団新☆感線を映画で観ようみたいな感じ。
純粋に映画作品という視点で見れば、何より黒沢監督の詰めの甘さが目立つ単館「インディーズ映画」という趣か。間違ってもロードショウ作品ではないのは確か。
とにかくガンアクションや兵器の描写が雑、すべてに「映画的なリアリティ」がない。映画にガチガチなリアリティは必要ないが本当に見える(思える)ウソは必要なのである。それがないととたんにチープで稚拙になってしまう。
まずマシンガンで撃たれて動き回るのはまぁ「エイリアン憑依してるからね」補正でいいけど、銃創がまったく違う。今時マンガでもあんな銃創は描かないよ。
唐突に登場するブレデターの放つミサイルはターゲットをまぁ外す外す。あれは衛星と連携した必中兵器なので、まずターゲットはずさない。仮に直撃はなくても普通は爆風で簡単にバラバラになるか衝撃で死ぬ。爆風で衣服は吹き飛び裸状態になる。しかもこのブレデター、エイリアンばかりを狙い、横で怪しげな怪電波を出してる中継車は放置かい!衛星監視してたんだろ!と小一時間(笑)
何よりこの唐突な日本の監視衛星設定がもうね、あまりにご都合過ぎ(笑) アメリカ映画の見過ぎだろう。走り回る車をそう都合よく衛星は見つけられない。監督は「衛星軌道」という言葉を知らないらしい…。
とにかくこの辺、監督の不勉強さに呆れる。あまりに詰めが甘いというか、脳内ご都合主義すぎる設定と演出だ。
それからCGがクッソしょぼい。泣きたくなるほどしょぼくて、終末に襲ってくる火の玉の到来などはもう一昔前の東映の特撮モノか!と突っ込みたくなるほどの表現でズッコケた。失笑モノである。
それから…これは特に言いたいのだが、撮影監督がひどい。なんか眺めてるような撮り方に終始してるし、ハンディはぶれぶれだし。人物をうまく押さえきれてないから心理描写もいまひとつ弱い。なんでこんなの使ってるのか?
それでもまぁそこそこ面白かったのは、実は前出の通り「舞台劇を引きずっていたから」というなんとも皮肉なものだった。そこで唯一この映画をSFファンタジーとして担保できたのじゃないかと思う。うん、ぜひ芝居の方も観てみたいものだ。
───以下、その他雑感
長澤まさみ怖かった(笑) 彼女は怒ると三白眼になるのね。あとどうにも声が嫌いなんだよなぁ…キツい嫁な役にはぴったりか。旦那が浮気するのもまぁ…
この映画で光っていたのは、長澤まさみでも松田龍平でもなく、意外にもエイリアンを演じる高杉 真宙だった。その個性的な顔立ちと飄々とした演技で存在感があった。ダメなジャーナリスト役の長谷川博巳との掛け合いもなかなか面白かった。これからに期待。
自動機械と
概念言語を獲得してから1万年。言葉の自動機械化となった現代人の多くは損得だけで内発性なんてないわけだ。そこに侵略者が催眠療法的に変性意識をコントロールされ概念を奪われる。奪われるということは、ゼロになることで、その概念を獲得する以前に戻るということだ。離陸前とおんなじ着地点に戻る。言語を獲得したが故に空洞化した表層の記号にとらわれる。「家族」「自分」「所有」「仕事」。最期に「愛」がなくなる。なくした者が言語を獲得するする前の子供に戻り「何も知らないが故の自由」に振る舞う姿。そこで問われるのは、概念言語をインストールする前の「なにも知らない状態」を幸せだと感じるのか。あるいは言語をインストールして、言葉の自動機械=損得勘定でしか動けなかったが、それに自覚して自己受容して、メタ認知的に自分を修正して、自発性から内発性に動く、それを幸せに感じることができるのかどうか。もうひとつの見所は最後の「愛」の概念の消失について。
キリスト的な言葉で定義した愛ではなく、内側からわき上がる愛だから当初の長澤まさみの考えた愛のイメージは「内発的な愛」であり、消えることはなかった。しかし、時が経つとなくしてしまった。侵略者が獲得した愛は継続的であった。
時間が経つと内発的な愛はなくなってしまう。常に愛のための訓練作法が必要であるということだろうか。非常に気付きが多い映画。ノアハラリさんのサピエンス、フロイトラカン的な言語解釈とその作用副作用の知識がなければ他のレビューになってしまう。社会学者宮台さんはどう観るのか。
びっくりした。
全く内容把握せず
俳優さんで選んでしまったばかりに
あんな内容だったとは……
最初から分かっていたら
見なかったかも…自分のミスです。
しかも、オープニングから
めちゃくちゃエグくて…しまったー!
こういうやつだったかー(笑)って思いましたが
オープニングだけで他はエグくなかったので安心しました。
ホラー選んじゃったのかな?ってびっくりしました。お腹の赤ちゃんに悪いし!
だって、ポスターパット見!
宇宙人何て思わないじゃん!
なんか、感動作品って思うしー(笑)
でも、最後は
宇宙人から道徳心を学んだよーな
作品でした。
無理矢理感動場面を作った感じだったので
おいおいっておもったけど
結局流されて涙が…(笑)
宇宙人は、愛の概念には、かなわなかったってこと??
宇宙人にしっかり人間の概念を与えて
教育していけば
けっこういいやつなの?とか
勘違いしちゃうけど?(笑)
こういう映画でも長澤まさみの演技はすごいと思ってしまいました。
意外とけっこうな有名俳優がそろわれ、それにもびっくり
こんな映画にこんなに俳優が出るのかって
何様だよっていうコメントをすいません(笑)
愛は地球を救うのか。
前川知大の舞台が原作で、黒沢清監督なので難解かと思ったけど、意外と分かりやすい。
宇宙人が人類を侵略するために、先に3人を送り込んで人の研究の為に『概念』を奪い取る。
そっと触れるだけで、その人の意識から概念を抜き去る。
夫・真治(松田龍平)が宇宙人に代わった妻・鳴海(長澤まさみ)は、破綻した夫婦関係に悩んでいたけれど、記憶を無くしたと思っていた真治がだんだん良い人になっていき、失っていた愛情が芽生える。
宇宙人の松田龍平が、たどたどしい動きをしたり、少しずつ人を理解しながら散歩したりする気の抜けた演技がとても良い。ほとんど無表情。
高杉真宙も宇宙人。ジャーナリスト(長谷川博己)をガイドにして、着々と侵略の準備を進める知性派。冷たい表情が怖さを醸し出す。
都会ではない場所で起こる出来事に、周りの人は意外と無関心。
殺人があってもその後は描かれずに、ひたすら宇宙人の暗躍を軸に進む。
人からと概念を集め、理解した後に仲間と交信し、いよいよ侵略が始まるとなった時に、鳴海は真治に愛の概念を抜き取らせる。
侵略は突然中止になったらしい。
気の抜けた鳴海を介抱する真治。
愛を知った宇宙人が、気持ちの変化で侵略を止めたのか、真治は宇宙人のままなのか、謎は残るけれど、見終わった時は気分が良い。
首チョップで『ワレワレハ・・・』
演劇芝居からの移植作品である。多分、今後もこうした話題に登った戯曲作品を映画としてリメイクしていく流れは続くのだろう。それが悪いという訳ではないが、問題は構造上、演劇と映画の決定的違いである『観客に想像力を要求する』ことにおいて、その辺りの組立て方にかかってることなのではないだろうか。具体的には、舞台という空間の中でいくつものシーンを展開する芝居と、実際にロケーションを変化させて話が進む映画。前者は観る人の想像、妄想は千差万別であり、後者はある一定の世界観を共有することになる。建付が異なる表現手段をどうやってコンバートすればよいのか、それこそエンターティンメント界では試行錯誤が続いているのである。
そんな中での今作。結論からいうと余り巧く組上げられなかったのではないだろうか。アイデアの一つである『概念自体の窃盗』というのが、これほど演劇的でありしかし映画的にはスケール感の小さいものになってしまったのではないだろうか。そのアイデアをベースに、『愛』という概念を主要テーマに構築するには盛り上がりに欠けるように思える。余りにも大風呂敷を拡げすぎたせいか、深みが感じられなかったのは非常に残念だ。
付け加えていうと、チョイ役の俳優陣の豪華なこと・・・ 無駄使いを禁じ得ない。
予告のチラ見のみの 鑑賞でしたが うん 嫌いじゃない‼︎ 宇宙人役...
予告のチラ見のみの
鑑賞でしたが
うん
嫌いじゃない‼︎
宇宙人役の
松田龍平イイ‼︎
どハマり(笑)
概念を奪うと
あんな事になるものなのだろうか?
なんか釈然とせず
モヤモヤ感は否めなかったけど
それで
オチがわかってしまったので
マッタリ進行がしんどく
も少しテンポアップしてくれても
良かったかも
東出くんは
感情が無い役はハマるね
淡々と語ってたが
チョット何言ってるか
わかんないんですけど〜
みたいな(笑)
結果読み取れないの
ワロタ‼︎
長澤まさみが奪われた
概念のように
消えて無くなるまででも
一緒に居たい‼︎って
思える気持ちが
愛なのかな⁇
宇宙人のリアリティ
原作の舞台版は再演を観劇済み(って言ってもほとんど忘れてたけど)。
演劇は日本人が欧米人を演じても、素舞台を「ここは未来都市」って言っても、観客が想像力で補填してくれるので、荒唐無稽な設定も受け入れられやすい。でも映画はそうはいかない。
同じイキウメの映画化でも、入江悠監督の「太陽」はもう少し映画にしやすかったと思うけど、この話は何しろ宇宙人が人間を乗っ取って地球に侵略してくる。そんな話をリアルな現代日本の話として映画にするのは並大抵のことじゃないと思う。
それをここまでリアリティを持って観られたのは、なにより役者の力が大きかったと思う。
まず「しんちゃん」の松田龍平。「身体を乗っ取った宇宙人」役に、これ以上適任な人はいない気がする。何を考えているのか分からないし、立っているだけで違和感がすごい。
怒ったり戸惑ったりしながら夫に対する想いを変えていく長澤まさみも、半信半疑で宇宙人と行動を共にするアウトローな長谷川博己もよかったし、飄々としつつ人間を観察する宇宙人の高杉真宙も印象に残った。
ただ、「概念を奪われる」というのがどういうことなのか、いまいち納得がいかないというか。
例えばデザイン会社の社長が「仕事」の概念を奪われた途端子供みたいに遊びだしたけど、「仕事」の概念がなくなったからってあんなに白痴化するのは違うような。
「何やってたんだろ、馬鹿馬鹿しい。会社は解散。旅行でも行ってくるわ」って会社を出て行くとか、もっと違うアプローチがあった気がする。
あと、ラストの侵略シーン。火の玉みたいなのが飛んできて、「え、火!?」ってなった。人間には姿も見えないような別次元の宇宙人なのに、攻撃は火の玉なの?っていうか、火だと人間以外の生物も死んじゃうし、火で焼くんなら人間の概念とか知る必要ないような。。
「その星で一番知能の高い生物を調べて、それにより侵略するか残すか決める」ってことなのかなぁ。
一番好きだったのは、長谷川博己演じる桜井がそのへんの人に「こいつらは宇宙人だ!早くしないと手遅れになる!」って演説した後、「一応言ったからな…」と呟いて、普通にまた宇宙人と合流する所。
いやいやいや…wと思いつつ、人間ってこういう不合理なところあるよねーと、妙に納得してしまった。
でも実は、なるみも桜井も最終的には自ら宇宙人に協力してたように見えて、本当は少しずつ洗脳されてたりして…。
ある意味解放であり一種の幸福
8月と9月に観た、今作品と同じく前川知大作の演劇「プレイヤー」を思い出しながら観ていた。
メインキャラの桜井なんて名前も同じだし役割もわりと似ていて、なんだかゾクゾクしてしまった。
身近な人間の人格や言動がガラリと変わってしまう困惑と気持ち悪さ、「概念を奪われる」ことへの恐怖と興味、色々混ざって新しい設定や感覚に頭も使うけどとても楽しくストーリーも面白かった。
意識しないでも当たり前に持ち 気付かず縛られている概念を、もし自分が奪われたら・身近な人から奪われたら…と考えずにはいられない。
ある意味解放であり、視点を変えれば一種の幸せでもあるように思える。
でも、家族は他人となり他人は自分となり理性的な行動は取らず 挙句ボケ〜ッと宙を見つめて過ごすさまはやっぱり異常に見えるし恐怖を感じる。
でも、その正常な状態の概念さえないのだから…? と無限ループに陥る。
ジャーナリストの桜井は人間側にも宇宙人側にも付いているような二面性が面白かった。
マーケットで人間にエキセントリックな忠告をしたかと思えば天野にかなり協力的でその身も差し出す始末。
鳴海にも思ったことだけど、ガイドになると宇宙人に必要とされていることにハマってしまうのかな。
奪われた人間の様子も結構しっかり見れるのが面白い。
わざとらしいくらいの照明演出も好き。
ただ病院に連れ込まれる人数が多すぎるところや、所有の概念を奪われたはずの丸尾君が戦争反対演説のときに「僕達のナントカの〜」的な、所有を示すような表現をしていたのには疑問を感じた。(セリフ覚えてないけど)
侵略に先立って来た宇宙人が3人だけってのや、通信機手作りするとかやたらアナログなのはトンデモだけど面白い。舞台的で好き。
いやもしかしてあの街に3人ってだけで全国的にはもっといるのかな…そうであって欲しいわ。地球侵略するくらいなんだから。
笹野忠率いる胡散臭い防衛団体や軍隊に少し違和感。
そこまで出動するまでの大きく明確な出来事の描写がないので唐突に感じてしまう。
終盤の展開には少しがっかりしたかな。
真治が人間と同化しだして鳴海に肩入れするようになったあたりからアレ?と思い始めていたけど
愛の概念を手に入れて侵略中止〜!ってのもなんだかなあと思ってしまった。
私が完全に桜井や天野たちを応援していたから余計なんだけれども。
でもラストの感情の抜け落ちた鳴海と側に寄り添う真治の、最初とはまるで逆転した二人の対比は好き。
宇宙人役の松田龍平と高杉真空はハマリ役だった。
松田龍平の、元々何考えてるか分からない絶妙な顔立ちと高杉真空の美しい顔面からネジ3本くらい抜け落ちたような表情が印象的で良かった。
やたら強くて暴力的な女の子 恒松祐里もなかなかインパクトあって好き。
作りは雑だしツッコミどころはかなり多いんだけどやっぱりそれを上回る新感覚の深みと面白さがあった。
好き嫌いかなり別れるだろうな…私はとても好き。
黒沢清監督の作品独特のちょっとホラーテイストな見せ方も好き。
映画だからこその表現も多かったので、もうこれはぜひ劇団イキウメの舞台も観に行かなくてはと思っている。
前川知大の世界観にとても惹かれているのを今作品で実感した。
面白かったが、今一つ心に響かない
タイトルが気になって観ました。別人のようになって帰って来た夫が、人間を知るために人間から概念を奪い取る侵略者になっていてというストーリーです。やや中弛みしますが、捻ったSFとして面白かったです。「愛を知れば戦争もなくなり、愛がなければ人間は生きていけない」ということのようですが、表現が控え目過ぎて伝わらず、心に響かないのが残念でした。
あんな風になるのか?
映画作品として、
ストーリーは非常に面白いです。
ただ、
概念を奪われたらどうなるのか。
その表現が
なんか全部違う気がしました。
最も違うと感じたのは、
「仕事」という概念を奪われたところ。
仕事に抑圧されていた人が、
仕事から解放されたらあんな風に
なるのかもしれませんが、
概念として無くなるわけだから、
今、自分が行っている事が
仕事かどうかという感覚が無いわけだから
少なくともあんな風にはならないと思います。
「家族」という概念をうばわれた妹も、
家族じゃなくても一緒に居たっておかしくないので
あんな風に急に冷たくなるのは
チョット違うと思います。
こんな感じで、
「全部」違う気がしました。
面白い作品なのに
そこがもったいない気がしました。
とにかく、つまらなかった。
確かに面白いシーンもあったり、キャストもいい役者さんがやっていたりと、魅力的な部分はあったが、とてもじゃないけど、1800円を払うほどの内容ではなかった。
3人の宇宙人の中で、2人が若手の子だったが、コンビニ弁当食べたり、廃材集めたり、だらだらしたシーンが多くて、喋りかたもいまいち。
なんだろ、おでこつついて宇宙人に概念を侵略されるとか、人類がっていうわりには、パニックシーンは一つの病院内だけだったり。お金なかったのかなぁという印象。長谷川さんや長澤さんなどがなんとか演じていたから、最後まで頑張ってみることができた。
よかった
概念を奪うまではいいのだが、奪われると概念が消えるというのが腑に落ちず乗れなかった。経験や理解で獲得するのが概念なので、また理解できそうなものだし、コピーならまだ分るのだが奪われることに納得ができない。きちんとしたSFとして表現しようとしている以上、気になった。
3人の宇宙人に人間性のないところに宇宙人らしさがあった。漫画の『寄生獣』で、寄生された女が自分で産んだ子どもを全然愛してなくて、子どもの片腕だけで雑に持ち上げていた絵で見事に、人間じゃない感じを1コマで表現していて、それを思い出した。そんな感じの見事な表現が見たかった。
長澤まさみがかわいらしかった。
監督捨て身のギャグ、なわけないよね?
原作は「イキウメ」なる劇団の人気舞台らしい。
黒沢清監督作品を観るのは『アカルイミライ』『LOFT ロフト』『クリーピー 偽りの隣人』『ダゲレオタイプの女』に続いて5作品目になる。
この監督の作品からよく日常に潜む不気味さを感じるなどと耳にしたり目にしたりするが、筆者は全く感じたことがない。
むしろ常に何か不気味なシーンでも笑ってしまう。
『アカルイミライ』のラストのクラゲが大量に浮かぶシーンも可笑しかったし、ホラー映画が相当に苦手な筆者だが『LOFT』に怖かったイメージはなく笑った印象が残っている。
本格スリラーの『クリーピー』もそうで、香川の死に様はギャグ以外のなにものでもなかった。
『ダゲレオタイプの女』も幽霊ものだったが、キャストがフランス人だったせいかそれほど笑うことこそなかったものの背筋が凍ることもなかった。
温室で突如幽霊が出現するシーンは当然なのになぜか不自然で笑ってしまう。
なんだかこの監督は根はお茶目で実はふざけたい人なのかな?と思ったりする。
それとも映画のハイライトシーンで妙に筆者の壷にハマってしまうだけなのか?
逆に三池崇史のギャグ映画はあまり笑えない。三池はなんだか根が真面目な人のように思える。
福田雄一作品も毎回楽しく観ているが、監督の福田そのものは根は超絶冷徹な人ではないかと疑っている。
さて今回も可笑しいシーンはいくつかあった。
お笑い芸人アンジャッシュ児嶋と長谷川らが絡むシーンで児嶋が「自分は自分だよ!」と何回か怒鳴るシーンがあるが、児嶋を知っていれば持ちネタの「児嶋だよ!」といっしょに聞こえて、これわざとやってるだろ!と思えた。
恒松祐里扮する宇宙人が車を停めようとして前に飛び出してはねられるシーンがあるのだが、空中においてがに股で2回転ぐらいして地面に叩き付けられる。(ほんとは違うかもしれないがイメージ的にこれ!)
せっかくのCG合成なのに、ギャグアニメよろしく死に際に渾身の綺麗なボケをかましてくれる。
銃撃戦や格闘シーンも基本監督があまり好きではないのか動きにぎこちなさを感じ、妙に可笑しい。
死んだ宇宙人から本体の転移した長谷川が火力に圧倒的な違いのある無人ドローン機にマシンガン1丁で挑むシーンがあるが、お前は地球人から何を学んできたのかとツッコミを入れたくなる。
また一度爆撃で吹っ飛ばされて足を引きずるシーンのあまりの演技演技したわざとらしさに笑ってしまう。
ドローンからとどめを刺されるシーンでもまた足を上に逆さになって飛んでいく。絶対わざとだ!
『LOFT』でも湖から逆さに下半身だけ出ているシーンがあったような…『犬神家の一族』へのオマージュだろうが、唐突に出て来ると単なるギャグだ。
黒沢は何か逆さになるのが好きなのかな?
俳優たちが真剣に演じているだけに余計に笑えてしまう。
黒沢の演出は邦画特有のウェットな方法を用いないからなのかもしれないが、いやそれにしてもわざとだろ!
本作を観ていて自衛隊が街中で展開するシーンや長谷川が通行人に演説するシーンなどにおいて平和を捨てようとする日本への静かな抗議を感じたのだが、原作者が平和ボケした日本の日常を戯画的に表現したかったと全く逆のことを言っているのを知って驚いた。
ハリウッドも日本も含めて割と世界中の映画界はリベラルや左翼寄りだと思うが、冷戦構造が崩壊して後はただ一途に軍隊を否定して憲法九条を信奉する特に日本において論理矛盾と自家撞着を起こしている感がある。
白黒映画時期の新藤兼人作品には鬼気迫る説得力と迫力が確実に存在しているが、晩年の作品は空回りしていて痛々しかった。
本作に関しては筆者が勝手に勘違いしているだけかもしれないが、最近の平和を謳う映画は巨匠が創ろうがそうでなかろうが関係なく全て表面的に感じる。
時代の流れは残酷ということなのか。
筆者は舞台演劇にあまり縁がない。無名演劇集団に所属する知り合いの舞台に数回ほど足を運んだことがありそれ以外だとオペラと文楽、能、狂言を多少観に行った程度である。
しかし本作の原作となる侵略してきた宇宙人が地球人を学ぶために概念を奪い、奪われた側の人間からはその概念が抜け落ちてしまうという設定はかなり秀逸だ。
宇宙人が愛の概念を奪って侵略が止む展開と奪われた概念がいずれ回復する設定はいささか安易で読めてしまうが、小さい日常で地球侵略が起きている設定も面白い。
舞台を映画化した作品もたくさんあるので、絶えず新しい試みに挑戦しているのが舞台演劇なのかもしれないと感じられた。
また本作の出演俳優を見てあっちでもこっちでも見る顔ぶれが多いことに気付く。
日本の俳優の層の薄さに少し寂しくなる。
もっともこれは観客も含めた映画界全体で新しい俳優を育てていない現れかもしれない。
今朝、北朝鮮からミサイルが…
宇宙人が地球侵略にやって来た。
3人の人間に寄生し、人間の概念を吸収する。
概念を抜き取られた人間は無秩序な行動をとり、日本中が混乱に陥る。
国家はこの混乱をウイルスと言うが…
夫が突然別人格になってしまったら。
浮気をされ夫婦間は破綻寸前だった妻の前に現れた怪しい夫。
言葉の概念を知りたがる面倒な夫。
家族を惨殺した少女とその少女を探す青年。地球人のガイドとして行動を共にするジャーナリスト。
無慈悲な少女は邪魔者を次々殺す。青年は使命を全うする為最後はジャーナリストに寄生し、仲間に情報を送る。
ついに地球侵略が始まるが…
妻からの大きな愛の概念を吸収した夫の宇宙人は愛の偉大さに動揺する。
2ヶ月後…
人類は生存し、概念を無くした人間の治療法を探りながら診療の手伝いをする宇宙人の夫。
もはや愛を知った宇宙人は心を持った人間となりつつある。
呆然と佇む心を失った妻にずっと添い遂げると決めた夫だった。
地球には大きな問題がたくさんあり過ぎた。
宇宙人の侵略により滅びまた再生する人類。
「ちょうど良かった」の言葉がチクリと胸に刺さった。
Jアラートが鳴った今日に偶然見た映画。
ミサイルがもしも日本に落ちたらと思いながら鑑賞した。
期待させといてーー!🤔
なんか侵略する準備だけ見て肝心の侵略はなくなったのは自分的には残念。
侵略が始まってからが楽しみだったのにーー!
侵略が始まるぞ始まるぞって思ってたら終わってたー笑😥
ブラックユーモアとして楽しめる。
冒頭のバイオレンス描写と音楽から、ブラックユーモアとして楽しむものかと感じました。
実際、宇宙人との概念に関する会話やバイオレンスなど、シニカルなブラックユーモアとして楽しめました。
松田龍平の飄々とした宇宙人ぶりや、クライマックスの長谷川博己など、役者の演技も印象的でした。
黒沢清作品ということで、不穏な空気感も良かったです。
しかし、もっと恐怖描写を期待していた為か、物足りなさを感じました。
また、ラストは、やはり愛が地球を救ったという解釈でしょうか。
愛の概念が無くなると、人間は虚無になるという解釈でしょうか。
愛が最も重要ということで、綺麗に纏めたという印象でした。
夫婦愛の物語としては、成る程と思います。
SFではなく愛の物語
人類の概念を奪う宇宙人による地球侵略が描かれる。
設定は面白いのだが、所々ちゃちくなるのが残念だった。元々舞台用の脚本をスケールアップさせてもいいことない。SF的な細かい設定を考えると矛盾点が目立つ。侵略者(偵察部隊?)が3人だったり、愛の概念が地球を救うのも苦笑ものだ。
でも、なぜだか心には残った。愛の概念を知った夫(宇宙人)が海を見たときの感想は、そうだろう!そうだろう!と思ったし、前の夫とは違っても新しい夫・理想の夫として未来を考えるところには考えさせられた。
気に入ったのだが、やはりこれは映画。舞台でなら楽しめたというのはいい評価とは言えないかもしれない。
ウルトラQ
のようなカテゴリーだろうか?
楽しい人には楽しいのだろう。
導入はかなり秀逸だと思う。
代わり映えのない日常にいきなり投げ込まれる異物。盤石であったモノが侵食されていく不気味さ…ホラーのような作風で前半は進んでいく。
なのだが…
この違和感は、時間が経つにつれ緩和されていく。どころか、コメディかとも思えてしまう。それは妻がその違和感を受け止めてしまうからなのだが、後半は、その精神の闇の深さに戦慄を覚える。
女性と断定していいのかは、問題ではあるのだが、その業の深さ故に満たされ、かつ、打ちのめされる女性を長澤さんは好演してた。
いや、ホントに。
凄い難解な気持ちの変遷だと思うのだが、観てる俺は違和感など抱くはずもなく、寧ろ納得さえしてた。
どこか無機質な松田龍平さんを観るのも楽しいのだが、今作はこのタッグを観るのが楽しかった。
落差とでもいうのだろうか?非日常と日常の掛け合いが、とても好き!
なんというか、空想科学読本の様相を醸し出す本作。BGMもなんだか昭和のソレを意図している節もある。
長澤まさみという楔が、現実の価値観との接点であり、そのありようが、当時のソレと一線を画してるように思えてならない。
「愛」を認識してからの松田氏の目に、もう少し違う何かが映っててほしかったかなあとは思うのだが…そもそも長澤さんから発信される「愛」のイメージに純然たるものはあまりなく…他の言葉に置き換えても説明がつくものばかりで、柔らかな陽射しに包まれるラストカットとの整合性には、少々違和感を覚える。
長澤まさみの色気が足りない
愛という概念を知ってしまったから侵略を止めたという随分安直なストーリーでこれならアニメ「理解するカド」の方がSFとしては良くできている。長澤まさみは女優としての魅力がなく一時セクシー路線に転換したと思ったら元の木阿弥という感じ、もっと濡れ場ぐらいあっても良かったのでないだろうか。淡々とした展開も悪くないのだが随分安く上げたなという感じ。ただ宗教からは愛の概念は得られなかったというのはシニカルでよかった。
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