「どうにも腑に落ちすぎる。」散歩する侵略者 ゼリグさんの映画レビュー(感想・評価)
どうにも腑に落ちすぎる。
ついに、黒沢清が宇宙人に手を出した。
だが、正直ガッカリだ。
奴らは宇宙人。概念を奪う。
何の概念をいつ奪ったかがすぐに分かる。
彼らに実体はない。
家族は居ないが、仲間はいる。
目的は仲間と合流し、通信機を作り、地球を侵略すること。
これら全てが「台詞」で説明される。
いったいどうした黒沢清。
サスペンスを生み出すなら、行動の理由なんてどうでもいいじゃないか。
どこの誰だろうがどうでもいいじゃないか。
挙げ句の果てには、街中で大衆に向かって、劇中で明らかになっている事をわざわざ大声で説明する、小っ恥ずかしい演説シーンもある。
何をしてるんだ。
コメディをしたいのは分かる。
間抜けなシーンだから。
だったら、コメディを撮れ。
別に、黒沢清=難解な映画=傑作と思っている訳じゃない。
それはただの結果論であって、不可解だからこそ滲み出る不気味さが僕は好きなのだ。
得体の知れない存在の「得体」がここまで知れてしまった時点で、黒沢清の映画には魅力を感じない。
扇風機や風車を使った視覚的な「風」への拘りは感じられたものの、やはりそれが主題と絡んでこないのは何とも寂しい。
ビニールカーテンも微動だにしない。
成り替わるというテーマが黒沢清らしいといえば、そう言えない事もない。
生きていればその人と言える。ならば死んでしまった不確かな存在でも、確かにそこに居るならば、その人は存在していると言えるのか。
それを探求し続けているのが黒沢清だ。
概念と夫の記憶を全て手に入れた「何か」は夫と呼べるのか。
そもそも何をもって「その人」であり「夫」と呼べるのか。
その辺りの問いかけは、黒沢清と繋げる事も出来なくもない。
だが、今回はなんだかやっつけ仕事のように感じた。
次作に期待したい。