「人間になるということ」散歩する侵略者 kijさんの映画レビュー(感想・評価)
人間になるということ
黒澤清作品を初めて観たのは『回路』だったと思う。デジタル世界に囚われ、文字通り実態を無くしていく現代の人々を描いた作品だったと記憶している。前作の『クリーピー』もそうだが、ホラーやサスペンスそしてSFと、ジャンルを微妙に変化させながらも、現代社会を鋭く描く作風は変わらないと感じた。
今作で言えば、さまざまな「概念」に囚われ無意識に苦しむ現代人と、その「概念」を奪うことで地球を侵略する宇宙人との交流を描くことで、いかに生きるかを問う内容と感じた。
「概念」を奪うことで一見すると人間らしくなっていく宇宙人と、「概念」を奪われることで自由になっていく人間。しかし、終盤には「概念」を奪われた人間が回復していく旨が伝えられる。
やはり肝は、「概念」を獲得して人間らしくなっていたはずの若い二人の宇宙人ともう一人の宇宙人の違いだろう。その違いはガイドに選んだ人間の違いでもある。彼ら宇宙人は「概念」を奪い人間らしくなっていく。そこに宇宙人と人間の違いはほとんどないのだ。違うとしたら、そこに愛があるのかどうか。「概念」は人から貰うことはできる。それこそ学校や社会、インターネットで私たちは獲得していく。しかし、「愛」のかたちは様々であり、それこそ自分の中や他人との間で学び、育てていくものだ。それができなかった二人の宇宙人は「概念」を奪って人間らしくなったようでも、殺し合いを躊躇しない。ただ、それは宇宙人だけだろうか?
教会のくだりもおもしろい。「愛」を理解せずに「愛」を歌わされる子供達。教典を読み、「概念」を並び立てて「愛」を説く神父。とても空虚で、奪うべき「愛」はなかったのだろう。
地球の危機だというのに政府機関?の役回りはとてもチープだ。我々が抱える危機は一人一人がどう生きていくかにかかっている。そこに大がかりな機関が介在しても無意味だろう。その点、ラストで「愛」を奪われたヒロインにはハッピーエンドが待っていると予感させられた。彼女にはともに「愛」を育てる人がいるからだ。