「なんて愛すべき映画なんだろう」散歩する侵略者 ジョーカーさんの映画レビュー(感想・評価)
なんて愛すべき映画なんだろう
監督と長澤まさみさんの登壇ありの上映会にて。
今年一番感動しました。現代の映画のほとんどに出てくる“愛”をこれほど真っ直ぐに、斬新に描いている。その愛に涙が止まらない。
タイトル通り、散歩するように侵略をしていく宇宙人なのだが、もちろん彼らは人類の敵。なんてったって人類を滅ぼそうとしているのだから。しかし、その侵略者たちは人間に何を気づかせてくれたのだろうか?
まず、満島真之介演じる丸尾だが、彼は引きこもりらしい。真ちゃんは丸尾の家に入ろうとするが止められる。そこで真ちゃんは疑問に思う。「なんでこの家は丸尾のものなのか?所有とはなにか?」
そして、所有という概念がなくなった丸尾はどこか清々しい。所有という概念があるから憎しみが生まれると堂々と演説する丸尾に引きこもりの影はなくなった。
概念が奪われたこれらの人を見ると、これから普通の生活を送れるように見える。丸尾は宇宙人に感謝しているし、生まれ変わることができたのだ。
宇宙人としては悪気しかないのだ。人類を滅ぼすための生け贄として概念を奪って行くのだから。
そして、これからも数人、様々な概念が奪われるのだから鑑賞中、なぜかその侵略を楽しんでいる自分がいる。それは、まさにSFの醍醐味と言える地球人の常識に逆らうような結果が見れるから。奪われる概念によって反応が違う点がエンターテイメントとして純粋に楽しめる。
そして、鳴海と真治の愛の喪失と再生の物語が美しい。とはいっても、真治は宇宙人ではないか?あるシーンで、自分が真治のような気がしてきて、一体化してるような気がするというセリフがある。つまり、これこそが普通の状況では育めない愛であるということに感動が押し寄せる。いつもどこかに行ってしまう夫を毎回「どこ行ってたの〜」と言ってあげる鳴海が本当にいい。デパートのようなところで真治が鳴海を抱きしめてあげるシーン。とにかく大好きです。
いままでうまく手に入れられなかった愛を手に入れたと同時に手放したという真実。そして愛こそが人間の全てかとでもいうような極端な表現。まさに極論だが、自分を見つめ直してしまう。
桜井と2人の宇宙人のシーンと鳴海と真治のシーン。この2つの対比がとにかく安心感と高揚感を併せ持っていて居心地がいい。
最後に、素晴らしいと思うのがラストの桜井。あのシーンは何度考えて見ても映画を超越していると思う。彼はまさに人間としてではなく、生き物として人生を選んだのだ。あの時の彼が素の桜井でも、宇宙人に乗っ取られていたとしても、心に響く。
SF映画として、とにかく美しい映画。
9/27鑑賞。同感です。コメント書こうとしてやめました。言いたい事は全部ジョーカーさんが言ってたから。監督も尊敬します。原作を壊さずに素晴らしいものを見せてくれた。しばらく余韻にひたります。