「暗いミステリーだが傑作」午後8時の訪問者 耶馬英彦さんの映画レビュー(感想・評価)
暗いミステリーだが傑作
久しく観なかった、本格的なミステリーである。これがアメリカ映画だったら万能のスーパーヒーローが派手なドンパチを繰り広げるところだが、フランス映画にはそんなリアリティのない人物は登場しない。
主人公の設定は非常にニュートラルだ。人生に特にこだわりはないが、医者としての責任感とモラルは人一倍である。診療所の受付は午後7時までで、1時間以上過ぎた8時5分にそのドアベルが鳴る。出ようとした研修医を思わず止めてしまった主人公を、翌日警察が訪問する。
物語はそこから急流のように進んでいく。医師として真面目に職務に取り組むからこそ、尚更少女の死に責任を感じる。そして行動をはじめる。思考し、勘を研ぎ澄まし、気になることをひとつずつ確実に当たっていく。主人公は知らず知らずに事件の真相に迫っていくが、日常は変わらない。多くの患者の主治医として昼夜を分かたず繁忙な生活をしながら、少女の死に真摯に向き合いつづける。
フランス語の「Au revoir」(さよなら、失礼します、じゃあね、またね、元気でね、etc・・・)がこれほど多用される映画はそうたくさんはないだろう。様々な「Au revoir」に、登場人物それぞれの思いが籠められる。主人公が別れ際に言う「Au revoir」は、相手と状況によってまったく違ったニュアンスになっていて、演じたアデル・エネルはひとつひとつを見事に使い分けている。
医師としては、研修医に唯一注意した、自分の感情をコントロールしなければならないという教訓を、自ら実践しているように見える。これほど自制心のある女性はそうはいないだろう。芯の強さに裏打ちされる自制心だ。その強さがどこから来るのかは映画ではわからない。描きようがないから描かないのだ。
おそらくこの映画は、描くべきシーンだけを描いているのだろう。日本酒の大吟醸のように、素材を削りに削っていて、無駄なシーンはひとつもない。ひとつでも見逃がしたら、観客は真実に辿り着けなくなる。暗いミステリーだが、まさにミステリーのお手本のような作品で、ディテールのすべてが真相に繋がっている。監督と主演女優の渾身の仕事がうかがわれる傑作である。
少女の姉の台詞で「妹は未成年」と訳していたが、「未成年」では13歳位から19歳まで、観客が受け取るイメージの幅があり過ぎる。姉はフランス語で「Dix-huit ans」と発音していたので、「妹は18歳」と訳したほうがよかったかもしれない。