「『帝一の國』(2017) ジャンプ系のギャグ漫画が原作らしい。登場...」帝一の國 Takehiroさんの映画レビュー(感想・評価)
『帝一の國』(2017) ジャンプ系のギャグ漫画が原作らしい。登場...
『帝一の國』(2017)
ジャンプ系のギャグ漫画が原作らしい。登場人物が今をときめく若手たち。原作者のほうが早生まれだが、私と同い年とは。政治や競争主義を皮肉りまくっている作品か。だいたい、ピアノの天才的な善良な子だったのに、ピアノに頭をぶつけてから、父親の希望の総理大臣を目指すような人物に豹変してしまったという。監督が3歳下で、脚本家が1つ下と、同世代が作っているとは、そういう世代なのかと複雑な思いもするが、ギャグの風刺が面白いのが続いていく。野村周平が『ちはやふる』の素の顔とまったく違い同一人物とわからない。『ビリギャル』でもわからなかった。間宮祥太朗もキムタクの『BG』の時とまるで違ってわからなかった。ちょっと変装されるとわからないくらいしかわからない。そんな中で菅田将暉はどうみても菅田将暉だった。権力主義の父親の影響とか、
どの先輩につくかで、進度が変わってしまうという。しかし、欲望と策略が渦巻く中で、竹内涼真のやった役のような人物が爽やかにいられるというのは凄いことで、その良し悪しもどうなのかなとも思ったりする。だがそういう人が中にもいるからやっていける面もあるのかも知れない。これだけの
役者の中で美男子で登場している竹内は凄い。しかし蹴落とそうとする方法もギャグでくだらないところが面白かったりする。超エリート高校の生徒会が内閣につながっているという設定も、ありそうな感じもする。高校生あたりから大人世界の準備がされているのか。男女仲については硬派な映画で主人公と恋人については淡い感じで好感が持てるが、ドロドロした感じではないが、リーダーにつく男が男色的な感じも、そういうこともあるのかなと推測させたりする。設定が男子校だが、女性との共学でハニートラップするような貞操のない女生徒まで絡んでしまってはわけがわからなくなる。実際の政治や企業にはそれもある。千葉雄大も眼鏡だけで誰だかわからない。よくわかっていない私。千葉雄大と竹内涼真がクリーン政治的な。でも負けない意識があるというか。すごいものだ。ある意味、汚いと思われる人のほうも純粋なんだろうか。この映画では汚いところはカネの面で描かれている。オンナ絡みのところは描いていない映画である。硬派的で男色的だろうか。
「良くも悪くも真っ直ぐ」な奴は、善良なまわりにいることか。役名で言えば、生徒会候補者が2人に絞られ、氷室派は、金のばらまきの賄賂政治で票を増やす。対する森園派に主人公の帝一がいろいろあって寝返って入って。主人公が正義そのもののヒーローではないところが、現実的なのか。主人公が同様にカネで対抗しようとするが、父親も恋人も反対である。主人公は恵まれている。結局、生徒たちの正義感が優勢するという正義の話になっているが、なぜ情勢を広げるのがマイムマイムなのか。とても朴訥である。大変に性善説である。映画の内容とは関係ないが、菅田将暉の演技は怒るなどになると大げさすぎて周囲とバランスが取れないというか、声がでかい。母と妹が回想にしか出てこない。出てきたら大河ドラマになってしまう。なぜ総理大臣を目指したかが、ただピアノが自由に弾きたかったという。総理大臣になれないとピアノが弾けなくなるという父親からのプレッシャーからのトラウマ。だが現在朝の連ドラで上昇時期の永野芽郁の女生徒が、立派な強い女性で主人公の気持ちを立ち直させて、主人公は恵まれている。そして野村周平が一番の悪役である。菅田将暉と対決になる。子供の頃は一方的にいじめられていたのが、主人公は悪役にタックルしていった。ただ、悪役の野村のほうも喧嘩中に、主人公に小学生の時から勉強やピアノやヒロインもとられて、悔しかった思いを吐く。喧嘩は高校になっても悪役のほうが強いが、主人公はくってかかる。そして、生徒会長選も闘いが繰り広げられる。正義とは何かが出て来るシーンである。その後の裁定も、喧嘩の後も、良いシーンである。でもこんなに複雑な話にしなくてはならなくなってしまった時代も悲しいのかも知れない。主人公の父親のほうも、かなりのピンチにも夫人は支えとなり、また出てきた。父親(吉田剛太郎)のほうも人生負けてない。悪役の行動も最後までおっと思わせて、主人公もまたおっと思わせる。だがそれも意表をついていた。性善説の映画ではなかった。マキャベリズムだった。結局最後の最後で評価は下がってしまう。それが現実か。さすが同世代制作の映画だった。あーあ。