夜明けの祈りのレビュー・感想・評価
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信仰は命よりも重いのか
女性だからこその苦しみ、女性に課せられた重石。
戦争が終わっても、安心は戻らない。
女性にとっての平和は、争いの終わりではないんだ。
そして、信仰や規律は人を苦しめるときもある。
こうじゃなければと貫く強さは、こうじゃなくてもと変えられる強さに通じるとよいのだけれど。
予告から気になってて 見に行きました。 ほぼ女性で満席 両隣りのバ...
予告から気になってて
見に行きました。
ほぼ女性で満席
両隣りのババア
始まって間も無く寝るし(笑)
マックスが小鼾だったから
突くのはやめたけど...
衝撃的な内容でしたね‼︎
あの梅毒院長腹たつゎ〜
ハッピーエンドだったから
少しは救われたかな
身寄りの無い子供たちも
ホーム出来て良かった‼︎
やっぱり
女性は非力だよね(泣)
ク○兵士ども
○ね‼︎
重厚
信仰が穢されても なお信仰する強い心か 頼らざるを得ない弱い心か 癒しや希望をもたらすものは何か
一般人にはわからない修道女たちの信仰を通して人間の本質的なところを描こうとして見事達成した秀作
何より映像がキレイで気高い信仰をイメージさせる 主人公が聖人君子ではないのも感情移入するのにはピッタリ 救いもあってキッチリまとめてお見事!
1分の希望から立ち向かう勇気を
映画を見て思いがよぎった事です。
批評でない点をご容赦下さい。
私が主人公のマチルドだったら彼女達を助けるだろうか。自分の属する組織に報告せずに、果敢にやりきれるだろうか。
マチルドには使命があったのだと思う。彼女達を助けに行くと選択をした時から、彼女達を受け止め、支えになる使命があった。もしくは、彼女達を近くに感じるにつれ、使命に変わっていったのかもしれない。
価値観が違う人達をどのように捉えるか。『そうだよね』と言って表面的にやり過ごすのか。無理矢理にでも従わせるのか。それとも、それを受け止めてその人達と向き合うのか。
私は医師ではないので想像もつきませんが、もしかしたら、命を助けるために医療を施すことより、その人達の問題に向き合うことの方が勇気が必要なのではないかと思うのです。
めんどくさい問題は逃げればいいし、人道的にと言うならただ医療を施せばいい。嫌でも薬を使って従わせる事も出来るかもしれない。
しかし、マチルダは非常に勇敢な女性だったと思う。
この物語が実話に基づくフィクションであっても、戦争下にあった時代、こんな事が起きるのだから、一体何のために戦うんだろうと普通に感じるのだけど、
本質は、戦うことより、お互いに持つ問題にしっかりと向き合う勇気を持つことの方が難しいのではないかと思うのです。
今、不安定な状況だから余計に思うのだけど、勇気は必要だと思う。武力で解決するのではなく、表面的に取り繕うのではなく、本当に解決するべき問題に向き合う勇気を持たなくてはならないと思う。
彼女達が最後にそう決意したのと同じように、勇気を持たなくてはならない。
戦争の深い傷
この映画には、戦争で身体や心に深い傷を負った多くの人がいた。負傷兵だけでなく、ユダヤ人の医師や、修道女が、心に深い傷を負い、毎日祈っていても癒されず、苦しんでいた。
戦争は、人を野蛮な生き物に変え、大勢の罪なき人を苦しめるだけのものだということを、誰もが認識しておかなければならないと思った。また、被害者が、加害者になることもあるのだということも。
彼や彼女たちを癒したのは、未来への希望であり、他者への愛情だった。
冷たく美しい映像と、静かで表情の少ない抑制された演技から、時折温かな希望と愛情が感じられて、じんわりと深い感動を覚えた。
心は無辜のまま
キリスト教は子孫にキリスト教を強制する宗教である。かつてのキリスト教は子孫だけでなく他人に対しても信仰を強要していた。教会は権威を生み出し、人々は神ではなく権威に対して跪くようになった。権威は政治に利用され、キリスト教は坂を転がり落ちるように堕落していった。
しかし民主主義が世界中に広まりはじめると、キリスト教は他宗教の排斥をやめ、信教の自由を尊重するようになった。いまでは他人の宗教についてとやかく言うキリスト教徒はほとんどいないだろう。だがそれはあくまで他人に対してである。
自分の子供に対しては当然のように信仰を強要する。自由の国であるはずのアメリカ合州国でさえそうである。いまだに大統領就任式で聖書が使われる。他宗教のアメリカ人にとっては決して愉快な儀式ではないだろう。宗教の権威はまだなくなっていないのだ。
キリスト教だけではなく、仏教徒にも同じような傾向がある。母親が仏教徒だったら子供も仏教徒だと、あるスリランカ人から主張されたことがある。
ほぼ無宗教の国である日本にいると、宗教の話はなかなかピンとこないが、熱心なキリスト教国やイスラム教国では、宗教は政治から日常生活まで、あらゆる場面で指導層の権威が猛威を振るう。
本作品は、修道院長があくまで守ろうとするキリスト教の権威と、シスターマリアが告白する、残酷な現実に揺らぎ続ける信仰との対比を描いている。信仰は権威を必要としないが、修道院という組織は、組織維持のために権威のある指導者を必要とする。シスターマリアのもうひとつの悩みがそれだ。
第三者であり無宗教である医師からみると理解できない話だが、命を救うという主人公の行動が、シスターたちに目覚めた母性の共感を得ることになる。残忍なソ連兵、戦争の傷跡、信仰と権威など、背負う重荷が多い女たちは、それでも知恵を出し、勇気を出して生きていく。そのありように深い感動がある。
原題のLes innocentesは英語のイノセントと同じで無実の、無辜のといった意味で、Lesがついているから、無辜の人々という意味になる。女たちは身体を穢されても、心は無辜のままなのだ。
祈りがもたらす希望よりも大きなもの
1945年12月、雪の積もったポーランドの修道院。
マリアというひとりの修道女(アガタ・ブゼク)が医者を探していた。
しかし、医者はロシア人でもポーランド人でもダメだという。
辿り着いたのはフランス人たちによる赤十字。
マチルドという女性医師(ルー・ドゥ・ラージュ)に頼み込んで、修道院に来てもらうが、マチルドが目にしたは臨月に苦しむ若い修道女の姿だった・・・
というところから始まる物語で、第二次世界大戦末期、ナチス・ドイツの占領はソ連軍により解放されたが、その際、修道女の多くはソ連兵に凌辱され、何人もが妊娠してしまったという。
実話に基づくというのだから驚きだ。
ドイツとロシアに挟まれたポーランド。
隣国に蹂躙され続けた歴史は、アンジェイ・ワイダの映画の中でも観ることはできるが、ここまで衝撃的な題材はなかったように思う。
修道院の閉鎖や近隣からの侮蔑の眼を恐れる修道院長は、修道女の多くが妊娠していることを世間に知られたくない。
そしてまた、神の前の純潔を誓った修道女の多くも、現状を世間に知られたくない。
そんな中で、出産が近づいてくる・・・というサスペンスが醸し出されていく。
修道女の多くは神に縋ろうとするが、当然のことながら、神は手を差し伸べてはくれない。
こんな状況を救うのは、やはり「ひと」なのだが、「ひと」には縋れない。
なんともジレンマなこと。
その中でシスター・マリアがいう言葉が興味深い。
「わたしたちの暮らしのうち、24時間は疑問です。しかし、1分の希望を得るために神に祈っているのです」
1分の希望。
ただただ、そんなわずかな希望のために祈ること。
それが、信仰というものなのか。
よくわからない。
しかし、祈ることで得られる希望は、たぶん、現実のものとはならない。
この映画でも、最後の最後に苦しんでいた修道女たちを救ったのは、女性医師マチルドの勇気と機転のある行動だった。
そして、修道女たちにもたらされたのは、実現可能な希望。
衝撃の実話
衝撃というかショックさがまだ抜けない。
実話を基に作られた作品なんて。そんな歴史があったこと知らなかった。女性としてはとても言葉に出来ないほど辛いし悲しい出来事。でも最後が明るく希望に満ちていたのが救いだった。
修道院で起きている現状とシスター達の聖歌の美しい歌声が不協和音のように心に響いて苦しくなる。目を逸らしたくなる場面もあったけど、国境や宗教を越えての信頼関係や命の尊さ、性への意識など深く考えさせられる作品。暗闇や雪景色や最後の光に満ちた美しい映像にも引き込まれた。
ずっと心に残る作品だと思う。
愛の光
1945年、ポーランドの修道院で、ソ連兵に暴行され妊娠した7人の修道女たちが、信仰と理不尽な現実の間で苦悩していた。修道女に助けを求められたフランス赤十字の女医マチルドは、母子たちの命を救うために奮闘するが、教条主義的な院長は、教会の体面を重視して現実を受け入れられず、悲劇が起こる。医師の倫理感は、教会に新しい愛の光と希望をもたらすのか。
画面にはフェルメールの光が差していて、見事でした。
それから、マチルドを演じたルー・ドゥ・ラージュの眼差しがとっても魅力的だった。
尊厳と信仰、一瞬の希望
戒律とか主義主張の前に、人として、どうあるべきか、問われている気がします。信仰が、人を強くするかと思いきや、道を誤らせてしまう件は、観て辛かった。それでも24時間の疑問のうちに、1分に満たない僅かな希望があるとすれば、やはり信仰は人の支えになるのでしょう。
ラストの神々しさ、ほとんど反則技ですね。赦しの心と、未来を生きる新たな希望。手助けするか、見て見ぬふりするかは、私達に委ねられたのかも。本作は、単なる昔話では、ないはずです。
本作に、何か思うものある方は「サラエボの花」をお勧めします。失われた尊厳と、その先にある日常…。この問題は、解決するどころか、深刻になっているようです。映画観たところで、世界は変わりません。それでも観てほしい、そして、知ってほしい。戦争と暴力は、セットでやってくることを…。
一切捨てショットが無い
情感豊かで素晴らしい。特に焼き付いてるのが、雪の中を歩くシスターや、窓際でマチルドが煙草に火を点けるシーンの、モノクロームのような厳粛さ。反転して、シスターたちがマチルドに駆け寄る場面や、ピアノの演奏が流れるくだりに溢れる幸福感。ルー・ドゥ・ラージュの毅然とした眼差しもいいが、ここぞというところでグッと決めるヴァンサン・マケーニュがまたいい。
幸せは、誰にも分からない
考えさせられる。修道女である彼女たちは、イエスを拠り所にして生きている。本編中でも、「信仰とは、最初は子どものようなもの」だと言う。信じているのにも関わらず、理不尽にも突然その拠り所を失う時があり、そこで道に迷うのである。
彼女らはその時、どのようにして生きてゆけば良いのだろう?
信じていたものに突如にして見放される。不条理な困難に襲われる。そこで信心を失いかける彼女らはどう生きるのか。
熱心な信仰によるプライド・正義心と、理不尽性とがもつれ合い、視野が狭まり道を違う者もいる。そしてそれによって負の連鎖が起こり、さらに信仰を疑うことになる。
また、強い信仰心を持ちつつ、その中でも自らが正しいと思う道を進む者もいる。彼女は厳しい戒律に反してでも、何が一番大切なのかを客観的に捉え、生きるのである。
そう、本編中でも言っていたように「何が幸せかは誰にも分からない」のである。それが強い信仰心を持ち、自らの貞節を守り、神の下に生きることなのか、どういう形であれ新たな命に対して母親として子供と肌身を晒して生きることなのか。それとも全てを捨てて自由に生きることなのか。それは人それぞれである。
この物語のラストに、彼女らは、彼女らなりの幸せの解の1つを見つけることができたのだと思う。マチルダに会えたことは、思い返してみれば確かに神の救いかもしれないが、そこから先は彼女らとマチルダらの奮闘による、非偶然的なものであろう。
ストーリーとしてヴィルヌーヴっぽさもあったが、最後に良い結末になってよかったと個人的には思った。ヴィルヌーヴよりはストーリーに鮮やかな色合いがある。それにしても、これが実話に基づいているということは衝撃的である。
神はそこまで狭量だろうか
ソ連兵の暴行で神の花嫁たる身を汚され、身ごもったことで悩む女性達。でも生まれた赤ちゃんを抱く姿は聖母マリアと同じだと私が思うのは、冒涜だろうか。女性たちが受けた暴力とその結果を神は罰するだろうか?神は全てを受け入れて、慈しみ愛してくれるのではないだろうか。ラストシーン近くの子ども達が走り回り赤ちゃんが笑う修道院こそ、神が愛する場所だと思う。
欲望
戦争映画と言うよりも、組織を批判する内容。ただ、キリスト教云々ではなく、組織の体裁を気にするのは、それが宗教なのか?村のルールなのか?色々と分かれるので、特に、宗教を貶めたいわけじゃなく、何が大事なのか?。精神の極限状況を演出するために宗教を扱ってるだけだと思う。ラストシーンがそれを現してる。なぜ、雪の上を歩いてるシーンがあるのかも考えてみる。
医学的見地
お盆には墓参りに行っているであろう、60歳以上の方々が行きつけのミニシアターに沢山来ていてオドロキ。その映画館は番号札の順番で入場するのだが、いつもは30番以内なのだが、今日は67番だった。映画は宗教に逆らえない真実に直面する修道女の苦悩と、それに最初は相容れない女医という非常に映画映えするストーリーなので、内容は面白かった。さらに、自分は医師なので、古い医療機器に感心した。ただ、ある人がかかる病気は、そんなに早く進行しないのではという疑問はあった。
命を与えるのは神ではないのか
性を厳しく抑圧する事が、当たり前である修道院でシスター達が戦争の性暴力の被害にあって妊娠し、出産する。
そのような事情にも関わらず、赤ちゃんは産まれシスター達の母性を刺激する。
命に圧倒される。
今もきっとそんな事がどこかで起こっている…
全49件中、21~40件目を表示