「美しいと感じる心のあり方」パターソン ken1さんの映画レビュー(感想・評価)
美しいと感じる心のあり方
Paterson は、これで3回目の鑑賞となる。そしてようやくこの映画の本当の素晴らしさに気がついたのだった。なのでレビューを書き直す。
ニュージャージー州パターソン。偉大な詩人ウィリアム・カーロス・ウィリアムズを生み出した土地に暮らす、街と同じ名をもつパターソン青年は、詩をこよなく愛する市バスの運転手である。美しい妻と愛犬と規則正しく慎ましい生活を送っている。
彼の詩は日常生活の中で目につくものを題材としている。映画冒頭で読まれる「Love Poem」は机の上に置かれたオハイオブルーチップマッチを題材にしている。他の人から見ればただのマッチに過ぎないものが、彼の目に止まり、言葉として表現されると、彼の美しい妻への愛の詩となる。ところで「マッチ」はアナクロなものとして非常に印象的だ。パターソンの歴史ある街並みー煉瓦造りの建物や街のシンボルである滝、グレートフォールズーも美しい。彼はTVを観ず、スマートホンを窮屈だといって持たず、自作の詩もパソコンではなくノートに書き綴る。彼が手にするウィリアム・カーロス・ウィリアムズの詩集は長く愛読されボロボロだが美しい。モンスター物のモノクロ映画のシーンも美しく思える。物質的な豊かさから距離を置いて生きている様は街とシンクロする。
彼の人柄を通すと全てが美しく見えるのは、彼があらゆるものに対して優しく深い愛情を持っているからだと気がつく。妻が突然部屋中を白黒にペイントしても、通販のギターが欲しいと言っても、チェダーチーズと芽キャベツのパイがあまり美味しくなくても、彼は全てを受け入れる。「素敵だね」「いいよ」「美味しいよ」彼の愛を受けて喜ぶ彼女はまた美しい。ラッパーの詩も彼にとっては興味深く、小学生の詩を何度も暗誦し、本物の詩人に会ったと感動する。仕事仲間の愚痴も黙って聞き、自分と比較するわけでもない。誰もが彼の優しい思いやりのある人柄に好感を持っている。
マッチ箱のように誰にも気付かれない存在だとしても、彼のようにそれを美しいと思う人がいて、それを伝える言葉がある。そういえば、僕も同じようなことを思ったことがあった。
僕は写真が下手で(撮ったものが実際に見たものとはあまりにも違うので)カメラを持って歩く習慣がない。かつてグランドキャニオンに登った時、あまりの絶景に写真を撮らずに帰るのは流石に勿体ないのではと思ったのだが、「僕は言葉の世界に生きる人間だから、この素晴らしい景色を写真ではなく言葉で誰かに伝えよう」と目に焼き付けて下山した。今は古いギターを愛し、古いバイクに乗り、日記をつける。毎日同じように過ごし、大きな変化を望まない。美しいもの、人、生き物、景色に心奪われる。
この映画の素晴らしさ、美しさに気がついた僕は自分らしく生きてきて良かったと思う。新しく便利な道具も使うけれど、これからも自分の生き方は変えないと思う。美しいものを美しいと感じたいから。そしてジム・ジャームッシュ監督の作品はなぜ美しいのか。答えは、監督自身のもつ眼差し、人柄、つまり心のあり方に理由がある。永瀬正敏さんがジム・ジャームッシュについてのインタビューで答えていた。
「一言ではなかなか言えませんけど……ちゃんと人に寄り添っているというか、すべてのキャラクターに愛情があるというか。これ見よがしの恩着せがましい愛情じゃなくて、ちゃんと、その人の目線に立った、さりげないやさしさ。それが、どの作品からもにじみ出ている。同時に、彼の感じる何か、引けない部分っていうのかな、それがメッセージとしてどの作品にも入っている。だから共感を呼ぶのかな?と」
Only Lovers Left Alive では、ヴィンテージギターの美しさに心奪われるヴァンパイアを描いたが、彼らが敵対するのはゾンビだ。ゾンビは最新作 Dead Don’t Dieで資本主義(物欲)に取り憑かれた者として描かれる。どの映画でも拝金主義者が嫌いだということがわかるが直接的に批判はしない。「でもそういうのは美しくないよね、美しさをわかる心っていうのはそういうものとは反対にあるよね」ということを描いているのがPaterson だ。そうやってそっと今の映画ファンたちに彼は訴え続けているのだろう。かつて黒澤や小津がそうであったように。
ああ、それにしても、何度も言うけど、アダムドライバーは良い役者だ。