「セザンヌファンは、打ちのめされるのを覚悟して!」セザンヌと過ごした時間 yokoさんの映画レビュー(感想・評価)
セザンヌファンは、打ちのめされるのを覚悟して!
学生の頃からずっと好きだったセザンヌ。画集を通じて、それなりに思い描いてきた彼のイメージが、この映画で塗り替えられた。
社交性に欠けた頑固者ながら、禁欲的な画風は信心深い孤高の画家ならではと勝手に思っていた。
世間の無理解に背を向け、自分が信じる自然の輝きを表現する方法を追求し絵に没頭した頑固者、そう信じ込んでいた。
小さなエピソードや登場人物が交わす会話、インテリアや衣裳に至るまで、資料に裏打ちされたものだろう。
映画の中の晩年のセザンヌは卑屈だ。成功したマネの名声を妬み、批判し嘲笑する。ゾラの作品を恨み、ゆすりまがいの言いがかりをつける。
最も友達になりたくない種類の人物。
印象派の旗揚げになった落選展や、仲間たちの口論の場面は臨場感いっぱいで、目をみはるほど新鮮。
マネやモリゾ、タンギー爺さんの姿にも、時代の空気を感じる。
「セザンヌとゾラの40年に渡る友情物語」だが、セザンヌの良いところはなくファンには辛い。
彼の死後、絵を世間に売り込んだのは、遺族の生活を心配した昔の仲間だったのではないだろうか。仲間たちの尽力でセザンヌは天才になれたのだと思う。
最大のギャップはセザンヌの女癖の悪さ。女性に関心がない朴訥人だと思っていたので真逆!
家庭では息子ポールを産んだ夫人を、自分の自由を阻む「錨を付けた女」と疎んじ、母や妹が入籍を勧めても彼女を妻と認めず冷淡だった。
没落した元資産家出身のプライドが許さなかったと言うより、女性に人格を認めていなかったのではないか。
セザンヌの冷え切った家庭とは対照的に、純情なゾラは初恋のピンク帽の娘の面影を忘れられず、若いメイドに恋をする。
エクスプロヴァンスの赤い岩肌、「水浴図」やマネの「草上の昼食」の舞台を連想させる美しい川辺の光景が眩しい。
エンドロールに重なる「サント・ビクトワール山」のきらめきに、セザンヌの生活臭が浄化されていくようで救われる。
自分の思い込みと作品世界とのギャップを差し引いても、やはり美しく上質な映画だといえる。