わたしは、ダニエル・ブレイクのレビュー・感想・評価
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偏屈だが人情はある。
以前イーストウッド卿が撮った作品のジジイ(ゴメンね)にも
やや通じるところがあるな…なんて最初のやり取りで思った。
偏屈親父とは言わないまでも正義感が強く真正直なダニエル、
それは違うだろう、酷い扱いだと思ったらすぐに断固猛抗議。
弱者とはいえ、意見をハッキリと伝えるので周囲の方が戦々
恐々となり面倒だと放棄する。きちんと血税を払って働いて
きたのに、いざ自分が困ったときには何もしてもらえない…
それどころか、正しい申請をしているはずなのに却下される。
名匠が引退を撤回してまで撮ったテーマだが日本にも通じる。
背景には年金削減や受給詐欺対策もあるのだろうが、だから
といって偏屈だったり遅刻したり逆らってくる扱い難い人間
に処罰まで与えるなんてすごい規定だな。役所側もルールに
従い杓子定規な対応しかできないので根本的解決方法がない。
オンラインの普及も一部の闊達なお年寄り以外はダニエルと
同じように訳の分からない世界。未だにパソコンも使えない
高齢者はそこからお勉強しないと申請さえもできないご時世。
ケン・ローチの怒りはおそらく頂点に達しただろうが、それ
を声高に叫ばず、あくまでスプレー缶で壁に落書きする姿勢
がいかにも彼らしく、最後に読み上げられる声明でタイトル
の意味がしみじみと伝わる。いい作品ではあるけれど多くの
問題点が挙げられたままで終わっていることに難題を抱える。
(真っ当に生きられない世の中でどんどん小賢しくなるのかも)
明日は我が身の心持ちで。
ダニエルもケイティも、頑張ってるのに全然報われなくて辛かったです。
ケイティがこっそり缶詰開けて食べちゃうところが辛かった。
一番辛いのは、人としての矜持が少なからずあって、ちゃんと生きたいと思うが故に、どんどんよくないスパイラルに絡められていってしまうっていうことです。人を助け、子供を愛し、妻を愛し、働いているのに、働きたいのに働けないのに。
私もダニエルやケイティになることがあるかも、そう思いながら観ました。
そんな中で一つダニエルにいいたいのは、助けるだけでなく、ちゃんと助けてもらって欲しいってことです。
助けてもらうのはバツが悪いでしょう、プライドも傷つくでしょう。でも、助けてっていえないと、本当の意味であなたを誰も頼れないと思うんです。
私にもダニエルと同じように助けられる存在にはなりたくないっていう気持ちがあります。でもその気持ちは、見方を変えると、助けられる対象を見下ろす視点です。見下ろすのではなく、同じ高さがふさわしいと思います。
もちろん、自分自身にこそ、いいたいことなんですが。
ダニエルは助けてって言えなくてついに困窮極まります。その状態になって初めてケイティの娘の「あなたを助けさせて」という言葉に、ハッとしたようでした。そして、助けてって言えたようでした。
その結果、事態は好転するかに思えた。あゝ、ホッとした。よかったよかった。
でもそうはいかなかった。
かなしい、本当に悲しい。なんで?なんで今心臓発作が?良さそうな担当者がやっと見つかったのに!ケイティが付き添ってくれているのに!
現実の惨状を、より観客に突き刺すため、ダニエルは死ぬことになったのだろうなと思いました。
現実はもっともっともっと辛くて残酷だから。
ダニエルのような人を増やさないために、できることを考えて行動で示せと、ケンローチが叫んでいるんだと思いました。
何をしたらいいんだろう、どうすることがいいんだろう。答えがあるかわからないけれど、考えなく続けなくては、と思っています。
でもね、これだけはゆっときますけどね、パソコン操作は、もうちょい前から学んでおけよと思いました。もうパソコンなしでは何にもできませんよ。
天使の分け前の評ですが・・・
「マーガレット・サッチャーは、現代において、もっとも<分断>と<破壊>を引き起こした首相でした。
大規模な失業、工場群の閉鎖、破壊された地 域社会などが、彼女の残した遺産です。
彼女は闘士でしたが、その敵はイギリスの労働者階級でした。
彼女は、政治的に腐敗した労働党の指導者たちや、多くの 労働組合の幹部たちに助けられて、勝利を得ました。
今日、私たちが置かれている悲惨な状態は、彼女が始めた政策によるものです。
私たちは、どのように彼女を弔うべきなのでしょうか?彼女の葬儀を民営化しましょう。
競争入札にかけて、最安値を提示した業者に落札させるのです。
きっと彼女も、それを望んでいたことでしょう。」
ケン・ローチ監督のサッチャー元首相への言葉
いかにも労働党より更に左派の社会活動家、ケン・ローチらしいコメントである。
そんな活動家の作品に込めたメッセージ、いつもながらのmy解釈はこちら
→
この<分断>や<破壊>を取り戻す為に、ちょっとした配慮、気遣いをみんなで思い起こそうぜ!
それを天使の分け前→Angels' Shareというタイトルにするよ!ストーリーは本物のウイスキーの熟成の成り立ちをベースに、人として熟成したものを周りの仲間へシェアする。主人公から息子、嫁さん、どうしようもない仲間へ、そして主人公へは周りの大人が温かい気持ちをシェアするそんな素敵な作品。
こんな映画をシェアし続けてくれるケン・ローチに感謝!
そして、この監督の作品を毎回シェアしてくれる配給会社に分け前を!
そしてそして、銀座テアトルシネマのみなさん、本当にたくさんの映画をShareしてくれて本当にありがとう&お疲れ様でした!
みなさんにAngels' Shareがあらんことを願って!
ちゃんと働いてきた。税金を納めてきた。愛する家族と最後の日まで暮ら...
ちゃんと働いてきた。税金を納めてきた。愛する家族と最後の日まで暮らしてきた。そんな人が働けなくなった時のために社会保障はあるべきだ。それは施しなんかじゃない。
役所が杓子定規なのは日本もイギリスも同じなのだな。いや、罰則があるところは日本よりも厳しそうだ。
罰則や規定に融通が利かないようにしてあるのはみんながみんなダニエルのような善良な人ばかりではないせいでもある。社会保障費は税金だ無尽蔵ではないし、誰にでも均等に配分してしまったら、本当に必要な人には行き渡らない。
人権を盾に真っ当に生きてきた人達が頑張って築いた社会保障にタダ乗りしてくる人がたくさんいるということも事実なのだ。
映画としてはパルムドール受賞とはいえちょいマトモがすぎるんじゃないかな。
パルムドール受賞も納得
高校生の頃、民主主義の実体について議論したことがあった。ひねくれていた私は、民主主義でも専制政治でも何でも、政治は圧力関係と裏取引だと主張した。アドバイザーで参加していた教師は、そういう見方をしていたら永久に政治はよくならないことになる、そうではなくて、民主主義政治とは手続きなんだと言った。行政でも立法でも司法でも、民主主義は国民主権という基本の考え方によって、国民が不利を受けないように手続きを規定している、それが憲法なんだという説明だった。教師に相応しい理想主義的な考え方で、年齢を経ても前向きな考え方が出来るその教師に感心したことを覚えている。
しかし現実は、高校生の私が主張し、いみじくも教師が指摘したように、政治は圧力関係と裏取引に終始していて、世界全体を見渡しても、永久に政治はよくならないように見える。政治家は常に新しい法規(法律、条令、規則、施行令など)を作るが、必ずしもすべての法規が憲法の精神に則っているとは限らない。しかも現代の政治家はほぼ御神輿で、法規の詳細を作成するのは役人だ。憲法に反しても役人の利益を優先する法規を作るようになるのは必然である。
第二次大戦後のイギリスでは、有名な「ゆりかごから墓場まで」という福祉政策を実施し、その後深刻な財政難に陥った。サッチャーが登場して福祉を大幅に削減したが、医療関係者の大量流出を招いただけだった。現在に至るも、いまだにその状況から抜け出していない。イギリス国民は日本よりももっと病苦と貧困の苦痛に喘いでいるのだ。
本作品はそういう状況下で生きる庶民の現実を具体的に描いている。福祉予算を切り詰めるために、給付の手続きを複雑にし、縦割りにした結果、主人公ダニエル・ブレイクは二つの給付手続きの狭間に陥って、万事窮してしまう。日本でいえば、身体を壊して仕事が出来なくなった人が、傷病手当の給付を受けようとして認められず、では失業給付を受けようとしても求職活動が不十分として認められない状況だ。
不成文憲法の国イギリスでは、国家の舵取りに関わる重要法案以外は違憲立法の審査はない。福祉の実施に関わる細則は、役人のやりたい放題となる。
福祉予算がないから給付のハードルを高くして給付が受けられないようにしている割に、福祉の役所は役人で溢れ、必要とは思われない警備員まで常駐させている。予算の原資は税金であり、もともと国民から役人が預かっているだけなのだが、どの国の役人も、税金を預かり金と思わず、自分たちの金だと勘違いしている。
日本でも、小田原市の役人が「生活保護なめんな」とプリントされたジャンパーで保護申請者を10年間に亘って威圧していた事態が今年になって発覚したばかりだ。当然氷山の一角であり、全国で同じようなことが行なわれているのは火を見るよりも明らかである。役人はもともと国民の税金を預かっているだけなのに、それを給付してやるという尊大な態度を崩さない。給付を受ける側は、人間としての尊厳を蹂躙され、自信を失い、やがて生きる希望も失う。そんなことをしている役人には、きちんと給料が支払われる。同じ国民の税金からだ。税金で雇われた警備員が福祉事務所から無辜のダニエル・ブレイクを追い出す。大声を上げる体力もなければネットで訴えるスキルもなく、反対運動を始めるカネもコネもない。主人公は無力感に打ちひしがれる。
しかし大抵の役人は、悪意ではなく法規に忠実であろうとして四角四面になり、結果として国民を苦しめているだけだ。そうならないようにするのが政治家で、政治家を選ぶのは有権者だ。巡り巡って国民を苦しめているのは国民自身であると考えれば、政治というものの救いようのなさに絶望感を覚える。
主人公ダニエル・ブレイクを演じた役者はこの映画で初めて見たが、静かな怒りの表現と、出逢った母子に対する思いやりの表情はなかなかのもので、この主人公がまったくの善人で、しかし屈しない意志の持主であることを十分に観客に伝えていた。母親役のヘイリー・スクワイアーズは、子供を産んで微妙に崩れた身体の線と母としての強さ、女としての弱さをきわどく演じていて好感が持てた。ディラン役の子役が非常に達者で、不遇の生活環境で精神の成長に歪みが生じた子供を繊細に表現していた。この子役の感性は大したもので、うまくいけば個性派の俳優になれるだろう。
感情移入し過ぎて役人が大嫌いになるのは言うに及ばず、憎悪や殺意さえ抱きかねない凄い映画である。カンヌでパルムドールを受賞したのも納得だ。こういう映画がちゃんと評価を得ているところに、まだ民主主義国としての救いがあるのかもしれない。
日本の歩む道
権力を振りかざす行政?
というよりか、どうにもできないのが行政。
日本も同じ道を辿ることは目に見えるだけにとても辛かった。
偉業を成し遂げたものでもない、たった一つの想いや心。
ちっぽけかも知れないけど、たった一人のやさしさ。
大切に、丁寧に関わって生きたいと想います。
幸せのシステム化は、可能か?
この自由な世界では、墜ちてゆくのも自由と云うことでしょうか。
ハンガリーの映画だったと思います。里親になると、補助金が出る福祉政策があったそうです。結果、バーゲン品のように、孤児が引き取られました。補助金貰った里親先の家畜小屋で、牛と暮らすことになった女の子の話が、未だに忘れられません。
困っている人を救うはずの決まり事が、人を苦しめるのは、何故でしょうね。逆に不正需給の温床になったり。しかも、その線引きをする仕事のストレスは、半端ないそうです。本作でも、決まり事と良心の狭間でもがく職員さん、いましたけど。
誰か一人が、間違ってるとかではなく、ひとつのシステムで、すべての人が幸せになると思うこと自体、幻想ですかね。その幻想と現実を、時に冷酷に、時にユーモラスに描かく監督さんのまなざし、大人ですねぇ。
なんにせよ、人としての尊厳と、人を思いやる強さと優しさは、持ち続けたいものです。みんな、ダニエル・ブレイクだよ。
伝わってくる映画!
ケン・ローチの作品を全部観ているわけではないけれど、でも少なくともここ5年はケン・ローチの作品が初期の頃に比べ、パワーを感じなくなっていた。観終わって不完全燃焼のような感があった。
この映画を観て「スッキリ」するわけではない。
でも、本作で訴えようとしているものが伝わってくる。
そして、「マイ・ネーム・イズ・ジョー」など、イギリスの労働者階級を描いたケン・ローチの他の作品を思い出し、また観たくなった。
一人でも多くの人に観てもらいたい映画だと思う。
多くの人が観て考えるべき
イギリスの福祉のひどい現状を、心臓病を患ったダニエルとシングルマザーのケイティという社会的弱者に追いやられた彼らの立場から、淡々と見せつける作品。
過度な演出や説明はない。にも関わらず、ぐいぐいとダニエル&ケイティの身上や境遇や怒りや悲しみに引き込まれてゆく。
ダニエルはけして甲斐性なしじゃないし、わからずやでもないし、実直に長年働いて税金も納めてきたし、困った隣人に手を差し伸べることのできる、ごく善良な普通の市民だということがひしひしと伝わるからだ。むしろ、金や生活がかかっていても卑怯な手段は選ぼうとしない彼の高潔さには感服する。
(私個人は、支援を受ける側に一定の条件が課されるべき、というその基本スタンス自体に疑問を呈したいけれど)
私はイギリス国民ではないから、本作の真偽は判断できないけれど、日本でも同じことが起こっている、起こりうる、という危機感が確実にある。
市民のための行政だというのに、目的を忘れた態度で働く公人たち。親切さやユニバーサルな目線が欠如したオペレーション。果てには思いやりの行為が非難の対象になるというありさま。。
私は公人ではないけれど、自身の職分において同じようなことをしでかしてしまっていないだろうか?
こんな状況を防ぐため、あるいはこんな状況下にある人々の手助けになるため、自分には何ができるのだろうか?と考えはじめている。
多くの人に観て欲しいと思った作品。
せつなくなる…
観た後はせつなくなって、怒りを覚える。
役所の仕事は強いものにはソンタクとか言って必要以上によくしてあげるのに、弱いものには規則で締め上げる。
イギリスでもこんななのか…
沢山の人に観てほしい映画だと思います
俺もダニエル・ブレイク
いわゆるお役所仕事は日本って結構優しいんだと痛感した。イギリスって、諦めさせるために、様々な制度をワザと複雑にしているとしか思えない。自分は年齢(50台半ば)よりはそこそこネットは詳しいと思っていたが、観た翌日に、2ヶ月後に行く飛行機のチケットをマイルで取ろうとPCに向かうも途中でつまづいてコールセンターにお願いした始末。
制度
人を救済するために作られたシステムは結局人が作った決め事によって意味をなさなくなる。
僕もその象徴のような業界で働いていますけど、劇中の職員のように誰にも利益をもたらさない対応を生き甲斐のようにしている人物ってマジでいるんですよ。
不備を探すことを仕事にしてるやつ。
いや、もちろんそれも大事な仕事なんですけど、本質はそこじゃないだろうと。
誰のために働いているのかと。
せめて、自分自身でもいいから、どこかに対して利益を生むことをやれよと。
そんなことで給料貰っていいのかと。
ただの愚痴になったのでやめますが、その愚痴を発信できるのがこういう映画のいい点だと思う。
身につまされた。
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よくぞ言った
よくぞ言った、ケンローチ!
福祉政策とは何か
物事が規則通りに行われたとしても救えない悲惨が社会を覆っている。
救済を求める人々への役人たちの対応は悪意そのものの嫌がらせに思えてくる。
「1人でも多く救済せよ!」という方針が下されていたら、結果は違ったはずだ。
明日が見えない。
評価の難しい映画です。ケン・ローチの作品は10本以上見ているけど、これほど希望の見えない映画は作ってこなかった気がします。生きることの全否定、弱いものは黙って朽ちていくしかないのでしょうか。あるのは現実の厳しさだけです。それを伝えたいがために、再びメガホンを握ったとも思えないのですが。
誰が悪い訳でもなく、淡々と仕事をこなした結果の地獄、穿ち過ぎな見方かもしれませんが、有料観覧者からいくらかずつ取って、30年間の基金にするとのこと。そのプロモーションのために作られたとしたら、完璧な出来です。きっとメッセージは、この30年間に誰か革命起こせよ、といったところでしょうか。
生活物資受給所でのシーン
ケイティがあまりにもお腹が空いて、受給所で思わず缶詰を開けて食べるシーン。
そのあと我に返った彼女は自分の惨めさに泣き崩れる。
人の尊厳はどこで傷つくのか、どんな場面で壊れるのか、見せつけられた気がした。「もう我慢ができない!」を発しないと・・・。
私もダニエルのように、いつか心臓病を患うような気がする。
けど、希望は捨てる必要はない。捨てさせようという権利は誰にもないのだ。そしてその希望が人と人をつなぎ、生きる証しになるのだ。
不思議な余韻を是非体験して欲しい。
見終わって30分ほど経つが
まだ頭の中がジンジンと熱い。
驚くほどエンドロールが短かったので
劇場の暗闇の中で余韻に浸る時間もなかった。
込み上げてくる感情はあるが
感動した?訳ではない。
涙もこぼれたが、感涙の涙でもなかった。
ここ最近観た映画の中では
独特な余韻が長く続いている。
けれど、とにかく見てよかった。
劇場が少ないので
電車で1時間かけて観に来た。
その甲斐があった。
人を選ぶ映画だった。
観るタイミングも
一緒に観る人も
選ぶ映画だと思う。
おそらく、観ていて
辛い「100分」になるだろう。
でも、是非観て欲しい。
ほとんどBGMなし。
残酷なまでに淡々と進むその様は
深夜のドキュメンタリー番組を見てるかのよう。
ささやきのようなセリフや
路面を踏みしめる音。
全ての日常の音がくっきりと聞こえて来た。
だからこそBGMなんて、いらなかったのか。
正直、序盤は
ダニエルにも、シングルマザーにも
感情移入できなかった。
そこまで怒ること?
自業自得じゃないの?
そう感じていた。
「役人目線」で物語を見ていた。
だが、物語が進むにつれ
気がつくとダニエル側から
景色を見ている自分がいた。
フードバンクでのシーンでは
ダニエルと一緒に
ケイティを慰めている自分がいた。
ダニエルの落書きのシーンでは
通りすがりのおっちゃんと一緒に
大喝采を送った。
自分の隣にもし
「ダニエル」がいたら?
私自身、家電量販店に勤務している。
パソコンを担当している私は
毎日のように、ITに不慣れな
いろんな「ダニエル」に出会う。
自分のスキルがあれば
彼らを助けられる。
でも業務外になってしまう。
役所で女上司に叱られていた
アンの気持ちが痛いほどわかる。
明日ぐらいは
業務逸脱してみようかな(^^;;
まだ余韻冷めやらぬ今のうちに
上司への言い訳を考えておくか(^-^)v
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