「【自助、共助、No公助】」わたしは、ダニエル・ブレイク ワンコさんの映画レビュー(感想・評価)
【自助、共助、No公助】
ケン・ローチケのデビュー作品「夜空に星のあるように」が、イギリスの戦後の労働党政権が導入した社会保障制度による弊害に翻弄される人々を描いたのに対し、このパルムドールを獲得した「わたしは、ダニエル・ブレイク」は、保守党サッチャー政権が大胆に推し進めた国有企業の民営化、財政支出の削減、税制改革、社会保障運営の民間委託など規制緩和を背景に翻弄される人々が描かれる。この頃は、労働党政権の母体でもある労働組合が弱体化し、社会の弱者への関心も低くなってしまっていた。
何度も繰り返される委託された企業の担当者とダニエルの会話は象徴的だ。
委託業者には本当の専門家などおらず、全部がマニュアルなのだ。
そのくせ、申請者の口調などには敏感だ。
これは、日本も同じだろう。
日本でも、コロナ禍で支援金を受け取るために、積み重ねたら30センチにもなったという書類の話をニュースの記事で読んだことがある。
それでも受け取れない人が一定数いるのだ。
書類を審査し、質問に受け答えするのは委託業者だ。
質問すると、答えられないという回答。
知らないのか、回答をすることが禁じられているのか。
もし委託業者のスタッフが十分に理解していれば、前半のスクリーニングで、受け取れない人には、書類の手間をかけるまでもなく、支援金は受け取れないと通知できたこともかなりの数に上るようだ。
このシステムは、映画でも描かれるように、サッチャー政権が推し進めたものだが、日本では、竹中平蔵の助言で小泉政権や安倍政権が推し進めた規制緩和の委託の実態だ。
日本も似たようなものなのだ。
サッチャー政権の焼き写しを、さも自分のアイディアのようにふるまう竹中平蔵は、今は、弱者を切り捨てる意図なないとあちこちで躍起になって発言しているが、結果がどうだったのか、コロナは予定外だとか、無責任にも程があるように思う。
さて、映画では、ダニエルは、可能な限り、自分でやり繰りし、デイジー親子も助け、しかし、公的扶助を受けられるはずの面談の最中に倒れる。
悲しいエンディングだ。
往々にして、割を食うのは弱者なのだ。
菅義偉や安倍晋三の大好きな「自助、共助、公助」は、
実は「自助、共助、No公助」なのではないのか。
市井の人々は気高くも、社会システムが腐ってしまっては、社会は成り立たない。
デイシーの弔辞が気高くも悲しく、そして、涙を誘う
宏池会・保守本流の岸田さんが、やっと「分配」について語りだしたが、バラマキとは異なる分配をどのように実現するのか少し見守りたいと思う。