ブラインド・マッサージ : 映画評論・批評
2017年1月10日更新
2017年1月14日よりアップリンク、K's cinemaほかにてロードショー
この映画の音は全身に作用する。自分と他人との間の垣根が緩み、触れ合う感覚
タイトルからもわかるように、舞台となるのは盲人マッサージ院。閉ざされた特別な場所に集う若きマッサージ師たちの物語と言ったらいいか。だがそこにもまた健常者たちと同じ日常があり、恋愛があり、怒りがあり焦りがあり、夢も希望も絶望もある。特別な場所を舞台に特別な人を使って特別な物語を紡ぎだそうという映画ではない。隔離された特別な場所に見えたマッサージ院の、その外側にある世界と大して変わらぬ日常の愛おしさや悲しさや痛みを、この映画は限りなく親密な視線で見つめるのだ。
冒頭、どこか視界が閉ざされた画面が続く。スクリーンに映る世界の像がぼんやりとして、見晴らしが悪い。目の前にある世界のすべてをくっきりとありのままに写そうとするカメラの欲望はすでになく、盲目の人の感じる世界、音と触感だけであらゆるものが構成されるそんな世界の姿をいかに伝えるかという、かつてない試みが示される。最初は少し苦しい。しかししばらくすると慣れる。というよりも少しだけ自分の身体が変化したのを感じる。単なる錯覚かもしれないが、ほんの少しだけ、彼らのそばに近づけた感じ。そばから見るというのは物理的な距離を縮めることではなく、こちらの見方を変える身体的な変化を受け入れるということであるのだ。
そして音が違う。健常者にとって音は耳で聞くものだが、この映画の音は耳ではなく、わたしたちの全身に作用する。足の指先から頭髪までの全身を耳にする。そして音は音波であることを実感させる。音のマッサージと言ったらいいか。聴覚が触覚へと変容し、それによって自分と他人との間の垣根が緩む。目の前で展開される日常の些細な出来事が、この上ない愛おしさとともに感じられるようになる。この親密さ、柔らかさ。登場人物たちのほとんどが大声で泣く、その涙がまるでわたしたちの頬を伝うように思えるのは、彼らの身体と自分とがどこかで本当に触れ合っているからだろう。そしてこの映画を観る誰もがどこかではっきりと、他人のことを受け入れ始める自分を感じるだろう。こうやって世界はほんの少し変わる。小さな希望の映画。
(樋口泰人)