変魚路のレビュー・感想・評価
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古くて新しい沖縄映画
今池シネマテーク 今月4本目となる映画は、高嶺剛監督の「変魚路」。
平日の昨日、ふと時間が空いたすきにレイトショーを観れた。
整理券1番も初ゲット。
実はこの映画、劇場公開前の昨年に、あいちトリエンナーレで観ている。
そのときの感想が、以下。
“内容はますます高嶺ワールドが発酵熟成された夢のような世界。
パラダイスビューを当時高校生だったときにリアルタイムで観てきた世代として、監督とともに時代も年齢を重ね、いいとか悪いとかの価値観抜きにした今現在の最高傑作に仕上がってて感動しました。
デジタルなご時世にアナログな8ミリの手作り感は新鮮だし、アート作品でありながら音楽もばっちりはまる。
島唄や字幕のウチナーグチのただただ心地よい響きに耳を傾け、ウチナー芝居役者の自然体な演技ではないドキュメンタリーのような、まったくわけがわからないその世界を無理に理解しようとせず、夢を見ているときのようにどっぷりその世界に入り込んで、力んだり、和んだり、笑ったりしながら、これって高嶺監督の自称カラっぽな頭ん中そのものの宇宙なんだなぁと。
超個人の監督が、超沖縄にこだわり、水平軸は有限だけど垂直軸には無限という、こだわりとゆるさの共存。
天上があいてるその世界観を共有しながら、普遍的で根源的な部分の琴線に触れることができる映画だと思います。”
そのとき、また映画館で観たいと思ってた。
なぜなら、それくらい灰汁が強く、個性的で、アートで、アバンギャルドで、ぶっ飛んでて、難解な内容にみえて、実は映画はこうであるべきの「べき」をすべてとっぱらったら残るものを大切に記録していった映像だから、観る度に受け取る側の解釈も変わる、奥の深い映画だとわかったから。
英国映画でモンティパイソンを起用してあの世界観を築き上げた未来世紀ブラジルのテリーギリアムと、パラダイスビューやウンタマギルーの自称「頭の中が空っぽ」という高嶺監督がどこか重なる。
タルガニもパパジョーもミサイラーも。
ビビジューも淫虫も、この映画になくてはならないキャラクター。
高嶺映画の根底にいつも流れてる、沖縄芝居の世界。
そして大城美佐子さんの島唄。
映画はこうあるべきと思ってる人からしたら、監督の独特な世界観を観客に押しつけてると思われるかもしれないが。
まったく真逆で、こうあるべきの押しつけがまったくない、監督と役者と制作スタッフが共同で築き上げた、過去でも未来でもない今ここの、真の沖縄の姿を自由に描きあげた、古くて新しい沖縄映画なのだ。
4日前に観たドキュメンタリー「標的の島」とは対照的だけど、どちらも沖縄の豊かで平和な底力に満ちている。
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