光(河瀬直美監督)のレビュー・感想・評価
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人間の意志を超えた曖昧な「何か」
「音声ガイド」という健常の鑑賞者ならあまり注目しないだろう分野に焦点が当ててるのが、とても良かった。
今作を数年前に見て以来、バリアフリーの音声ガイド、日本語字幕を意識して、映画等DVD鑑賞するようになった。
自分の中で好きな作品となっていて、ふと思い出し改めて見返した。一度観た時より、感じ方が変わった。違和感が色々出てきた。
視覚障害者たちのモニターから指摘され、美佐子がラストシーンの言葉を模索する。奥深くて難しい仕事なのかと感心した。
北林監督と対面した際、監督は言った。
「生きたいと思っても死ぬこともあるし、死のうと思っても生かされる場合もある。
こんな歳になると人間の生と死の狭間が曖昧になってくる。
重三は生きようとか死のうとか人間の意志を超えた曖昧な「何か」を見ているとしたら…?」
(この台詞が心に残った)
と曖昧なものを提起し、それを観客それぞれが解釈してほしいという思いかな。
にもかかわらず。美佐子は「いやそんなものでなく、確かな希望が欲しい」と
鑑賞者としてそう思うのはいいが、ガイドは自分のフィルターで誘導するものじゃない。監督が絶対であり、それを忠実に伝える仕事のはずだ。
初めに美佐子が中森宅を尋ねた時、ちょっとお茶でも…が焼肉かい!少し揉めてたのにその流れは不自然。
弱視のカメラマンが目が見えなくなっていき、魂のカメラも扱えなくなる姿見て、憐れむ感情はよく理解できるが、恋愛感情までなる?
まあ中森側からの気持ちは察するが、美沙子が恋愛感情に至るまで描写を入れたが感情移入できたかな。無理に恋愛物にしようとしてる感。
中森が夜、陸橋の階段降りようとするも目がもうほぼ見えなくて怖くて足が震えるシーンはリアルで良かったけど、その時の中森の視点が画面一面ぼやけた白(怖がる息切れ)〜次の砂浜で中森が立ってカメラ構えてるシーン。あの切り替わり違和感。
あそこは夜で暗かったから、中森の視点は一面暗い画面(怖がる息切れ)〜充分間をとって〜白い画面〜砂浜シーンの方が 見える人に見えなくなる人のリアリティがより伝わった気する。因みに砂浜で重三を後ろから撮ってる中森のシーンは中森が鑑賞中、想像力であの劇中映画の世界入ったみたいな描写?
認知症の母と美佐子の関係は結局どうしたん?
美佐子は目の見えない彼と認知症の母の二人を看る感じになりそうだが…
砂浜で重三が「思いが付きないんだよ」と言って時江をもみくしゃにしてるシーン、マフラーで首絞めて殺したんか?あそこよく聞けば時江が「砂にして」て言ってたけど、殺して時江の砂の像を作ってたイメージなのか?時江に先立たれ、失意の感情から砂の像を作ってたのか?よくわからなかった。
そしてラストシーン、樹木希林さんがナレーション?そりゃ反則だろ。
重三の見つめる先、そこに「光」〜エンドロールで、光に照らされた鑑賞者の表情たちを映すのは良かったけど、笑顔なのがとても違和感があった。
あれ観て「光」は感じるだろけど、笑顔にはならんかな。
河瀬監督は彼らに「少し笑ってください。」とか言ったんかな。作り笑顔に見えたし。子供なんか。それぞれ素の表情が照らされてる絵でいいのに。
それこそ、美佐子のように希望誘導してない?あれ冷めました。
河瀬監督はこの作品、目瞑って観てないかな。
音楽と役者さん達の演技はとても素晴らしかった。
愛しく思った分、もったいないと感じ。色々綴ってしまいました。
果たして、自分は、できているのだろうか。
視覚障害者が感じる、光、幸せを感じることが、果たして、自分はできているのだろうか。
その光、幸せを、
世界中の人々が感じることができれば、
この世界は、愛に溢れた世界になるだろう。
そんなことを考えた映画でした。
そんな世界があれば、
自分も楽しく生きることができるだろうな、
と思いました。
丁寧には作られてるが。
紹介のところで恋愛映画とあったので、あっ選択間違えた!と思ったけど、そこまで恋愛モードの内容でなかったので安心した。(恋愛映画は好みではないので)
視覚障害者向けに映画の音声ガイドを作成する仕事をする美佐子。
そこでモニターとして協力する元写真家でほとんど視力を失った中森があれこれとそのガイド内容にいちゃもんをつける。
反発しながらも心を通わせていく様子を描いたもの。
タイトルの映画の通り、光を通していろんなものがつながっていく。
音声ガイド内の映画のラストの光。
わずかに感じる視覚が光のよう。
写真家中森の傑作写真の田舎の光。
その田舎を2人で見に行って光を感じる。
その光が随所に象徴的にあらわれるが、あまりに象徴的すぎて、理解能力の低い自分には想像が追い付かなかった。
なぜ美佐子と中森がそこまで急接近したのか。
痴ほうの母親!?との関係性。
伝わる人には絶賛だし、その象徴が入ってこないとよく分からない。賛否分かれるところだろう。
そして、音声ガイドの仕事の難しさも垣間見ることができる。
画面に見えたままを伝えるのだが、情報が多すぎると感情移入できないし、少ないと想像ができない。しかもガイドの主観とも言えるコメント(どんな表情なのかを表すのに「希望に満ちた」のような)は感情操作とも言えるし、とても難しい作業であることも初めて知った。
声が描くもの
以前に見たDVDに予告編が収録されており、音声ガイダンスに関わる映画に少し興味があったので今回レンタルしました。
視覚しょうがいを持つ方のための映画製作過程と、視覚しょうがいの現実を描くシーンが不可欠であるため、全体のトーンはやや重いものとなっています。また、ヒロイン自身も家庭に重い問題を抱えている設定ですから、「娯楽として楽しむ」という作品ではありません。
ただ、「であるが故に」深く感じるものもあります。
失ったもの、失っていくもの、失ったかすら確認できないもの・・・
最初は嫌悪感を抱いていた人間に、自分でも理由がわからないうちに憐れみを覚え、それがいつしか愛と区別がつかない混沌に発展すること、私はあると思う人なので、ヒロインの行動(夕日のキス)についても違和感はありませんでした。
劇中映画は最後に樹木希林さんのガイドが入った完成版で上映されますが、そのガイド音声が劇中映画のためだけのものではなく、本作自体の完成型に不可欠なものでもある点に感服しました。良作だと思います。蛇足ですが水崎綾女さん、存じ上げなかったのですが、良い女優さんですね。
普遍的な心の触れ合いが
美佐子が中森に対してコミュニケーションしようとするのが、児童書の獣の奏者みたいな、全く違う生き物(目が見える/見えない)の間に横たわる断絶を知ってもなお語り続けるのを止めないような、美しいけれど不毛な、美佐子だけが疲れ続ける関係に目えたんですが、最後に、私は逃げたり消えたりしない、だからそこで待っていてというセリフで、伝わっていたんだ!と感動しました。目が見えるとか見えないとか、映画の音声ガイドという珍しい仕事など関係なく、普遍的な心の触れ合いがこの映画にはありました。最後の樹木希林さんのガイド、目の先には、光、でタイトルが回収されるのも素敵。面白かった。
いいんだけど、主人公がなんだかな。
映画の音声ガイドを作成する仕事をする女性と、視力を失いつつあるカメラマンの交流のお話。
これは、ラブストーリーに分類されるのかもしれませんが、ラブ部分がいっきなりくるので(山でいきなりぶちゅー)、私としては唐突に思いました。
いいところいっぱいありますが、主人公ちゃんがなんかバカで、いらっとしました。
永瀬正敏を怒らせるセリフとか、ちょっとあまりにもデリカシーがなくって。
わざとそのセリフを選んでるんだろうと思うのですが、ぎょっとしました。役者がどうのというより脚本や撮り方の手段が、なんかはまれない感じがしました。
たぶん、主人公ちゃんは「普通の」若い女性として描かれているのだと思うのですが、この映画で意図された「普通」がね、私にはとっても前時代的というか、稚拙に感じられてね、もやっとしました。
もうちょっと知的な「普通」のが、個人的には好ましかったなーなんて。
結婚式の招待状捨ててる理由は、式場のバリアフリーよりも、まずわけありの相手からなんちゃうかなーって想像が、先に来ない人って、鈍感すぎない?あたしぜったい好きにならへんと思うのですがね。
よかったところは、映画の音声ガイド作成という仕事の雰囲気を知れたところです。NHKのサラメシとか大好きなので、知らない仕事を知るのは喜びです。そしてそこで働く人の横顔は、やはり美しいですから。興味深かったです。
見えない人がどう映画をとらえるかということを、外から眺めるという視点は今までになかったので、新しい発見でした。
ある映画が劇中劇として出てきて、その試写会の始まりと終わりが光という映画の始まりと終わりでもあるという、構成も素敵と思いました。
永瀬正敏もとっても良かったですし。
あと、近鉄奈良駅前とかの奈良の町がね、懐かしいなーと思っていました。
神野美鈴は劇中劇に出演する役者であり音声ガイド製作の責任者っぽかったですが、どういう立ち位置なんでしょね。
主人公にまつわることは、結構いちいち気になりました。
お父さんへの執着の意味がよくわからないです。
お母さんへのためらいも匂わさせておきつつ、よくわからなかったです。
ちょっと認知症っぽい感じがあったので、一人娘としては重く感じていたってことなんでしょうか。お父さんのお財布(懐かしいお札!)を大事に眺めてた理由とかが全然わからずでした。
あと、時間の経過が、なんかよくわかんなくて、この映画での省略は、はまらなかったです。
光をください。
音声ガイドという仕事を詳細に描いているのが興味深かった。
普段聞き慣れない説明調の言葉をどう感じるか。これは見て
語る立場と見ず理解する立場ではかなりの大差があると思う。
ヒロインは白黒つけたがる若き美人女性、実生活では苦労を
抱えているが果敢に仕事に挑んでいる。カメラマンは弱視で
いよいよ見えなくなる日が近づいている。ヒロインのガイド
に堂々と文句をつけ突き放すが、二人は反撥しているようで
実は似た者同士、互いを傷つけながらも徐々に近づいていく。
自身が見える立場なことから、音声ガイドをどう感じるかは
難しいが、映画にはやはり余白と間が必要だと思う方なので
あまりの説明過多は邪魔に感じると思う。また観る側も流し
聴きするか入り込むかでまた違う。どれも人それぞれ、故に
総勢が納得するガイドなど作れるものなのかと思ってしまう。
押しつけの定義も難しい。それを親切ととるかおせっかいと
とるか。藤竜也がいうように演出の意味合いはグレーであっ
ていいと思うほうだ。解釈するのも感じとるのも自由だから。
ラストのガイドをあの女優が務める。声の感触が変わるだけ
で受け取り方がこんなに変わるものかと観客は気付くはずだ。
(永瀬正敏は完璧。カメラを取り返すところなんかゾクゾク)
光の映像
登場人物の生い立ちについては詳しく映されていなかったが、その人物の心情・感情が繊細に表現されていた。
視覚障害がある中森さんは表には出さないカメラに対する思いや佐和子に対する思いが内に強くあって胸が熱くなった。
印象に残ったシーン
・中森さんが後輩カメラマンにカメラを盗まれ、見た事ないくらい取り乱したところ
・夕日の前での佐和子と中森さんのキスシーン
・佐和子の母が認知症で行方不明になったところ
・音声ガイドのラストシーン
配給会社の思惑がチラついて冷めた
監督の前作「あん」は非常に共感できる内容で素晴らしかったが、今作は共感が難しく、おおきな感動も無かった。
映画館にはかなり年配の方が多かったのでもう少しおっさんになれば感動も違うのか?w
まず「珠玉のラブストーリー」等と全面にラブストーリーを推しているが、どこが?wって感じです。
別にラブストーリーを楽しみにしていた訳でもないが、何か監督の意図とは違った配給会社の思惑等が感じられ気持ち悪い。
ラブストーリーを全面に推していた事で夕日の中でのキスシーンが薄っぺらい感情の上の行為なのか?と冷めてしまいました。
監督がどういう意図で撮影したのかを調べればわかるかもしれませんが、もうそこまでする気にもならない作品かなと感じました。
作品的には視覚障害者に向けた音声ガイドをテーマにしている新しい切り口の作品で、知らない事が見えてきて面白く感じましたが恋愛のテーマは不必要では?と思います。
これじゃあハリウッドの安い映画と変わらんね。
素晴らしい!!!!
全てのシーンに魅力が詰まった映画で、本当に本当に本当に素晴らしかったです!!!!
「見ていたい、感じていたい、忘れたくない」、、、こんな純粋な想い、私たちは日々感じてるでしょうか。永瀬さんの純度の高い演技に、胸が熱くなりました。
映画の素晴らしさを劇中で言葉にしてるんですけど、言葉だけじゃなくて映像や音からもぐんぐん伝わってきて、もう受け取れないんじゃないかっていう心地よい疲労感も感じました。
一番大切なものを失う瞬間。言葉にならない苦しみが涙に変わる。でも、永瀬さんの声が優しく響いて、もう本当に愛しかったです。二人の幸せを心から祈ってしまいました。
珠玉の作品です、、!明日を精一杯生きたい、迎えたいと思いました。
真ん中よりも後ろの席で観て欲しい
「萌の朱雀」で魅了されてから
河瀬直美の作品は定期的に観ている。
娯楽色が薄い作風なので
気軽に友人に勧めたりも出来ない。
前作の「あん」もそう。
派手さはないけれど
あんなに余韻を楽しめた映画は
なかなかないと思った。
劇場の薄暗い照明の中とはいえ
恥ずかしいくらい号泣したのを
覚えている。
なのでどうしても
前作と比べてしまうのだか
前作を超えられたかというと
難したかったかな。
前作「あん」では
樹木希林の神がかった
演技に魅了された。
今作ではその役を
永瀬正敏に期待した。
期待しすぎたかもしれない。
そのぶん水崎綾女は
期待以上の女優さんだった。
いつもながらの河瀬直美の
演技を感じさせないセリフ周り。
この空気感が好きで
見に来たんだなと再認識。
音声ガイドをみんなで
話し合いながら決めて行くシーンは
ホントにドキュメンタリー番組の
ワンシーンを見ているかのよう。
その中での水崎綾女。
自分の仕事の力量の無さを
指摘され悔しさで涙するシーン。
まるで自分がその会議に
参加しているかの錯覚を起こすくらい。
それほどリアルで生々しく
これぞ河瀬直美という感じだった。
かなり人物に寄ったアングルの
画面構成に賛否あるよう。
私も序盤はとても見辛かった(^^;;
張り切って前の方の席を
キープしたもんだから尚更のこと(^^;;
物語が進んで行くうちに
これが中森の見ている世界?
なのかもと思った。
これから見る方には
真ん中よりも少し後ろの席を
お勧めします(^^;;
さすが河瀬直美!
という作品だった。
だからこそ!
あそこでのキスシーンは
本当に必要だった?との思いが残る。
しかも貪るようなキスシーン。
せめてたどたどしく触れ合うくらいの
キスシーンなら...。
けれど観て欲しい映画。
今まで知らなかった世界が覗ける。
河瀬直美初心者なら
前作「あん」を観てから
劇場に行って欲しい。
永瀬正敏の迫真の演技力
ある映画の音声ガイドの脚本をつくる仕事をしている女性。私は今回、偶然にも字幕つきの上映を見ることができたのだが、これは、音声を聴くことの出来ない聴覚障がい者用のバージョンだったわけだ。台詞も音響効果も字幕で読むのは忙しいことがわかった。
この作品では、視覚障がい者が多くでてくる。
映画を音だけで楽しむというある意味、一般の観客より高度に作品世界に入り込んで鑑賞する上級の観客たちである。キャラクターを半分以上自分で作り上げ、建物や景色を自前で作り上げる。
光を失った世界で生きている人々。私にはなかなか想像出来ない世界である。しかし、この世の中には、視覚や聴覚を失って生きている人たち、失いつつ生きている方々も大勢いる。想像力や記憶力では健常者とは比べものにならないすごさがあるような気がする。
この作品では、視覚障がい者用のガイドをつくる仕事と視力を失いつつあるカメラマンという二つの主要なテーマを交互に見せている。
これに、主人公の痴呆症の母親と老いの進んだ映画監督に老いたる人の代弁をさせている。
カメラワークは特殊だったが、とてもためになりました。
永瀬正敏の光を失った目
視力を失った有名カメラマン中森と視覚障害者向けに映画の音声解説の文を作る女性、尾崎美佐子の出会いの話。全体的に暗くて重い。中森の作った解説文を、実際の視覚障害者の意見を聞いて改善していく作業を軸に話が進む。他の視覚障害者が美佐子に気を使って当たり障りの無い意見を言う中で、中森はズカズカと忌憚ない意見をぶつける。その意見は美紗子の視覚障害者の想像力を理解出来ていないことからのものだったが、美紗子は反発する。中森は中森で視力を失ってもまだカメラにこだわり、心が頑なになっている。そんな頑なな中森の意見を素直に受け容れられず、反発する美佐子の未熟さが痛々しかった。
他のエキストラさんらしい視覚障害者のモニターの方々も個性的でリアルだった。特に場の雰囲気を和ませようとする中年の女性。喋る時、微かに口の端に泡を作るのだけど、障害ゆえに周りの反応を見て気にするということが出来ないんだろうなと想像出来て、本当の視覚障害者ならではの演技だった。またこの女性、場を和ませるだけではなく、結構鋭い意見も言ったりして侮れない所も良かった。
中森と美佐子が交流を経て、中森はカメラへの拘りや頑な心を和らげ、美沙子は自分の未熟さを受け入れ視覚障害者への偏見を見直し、中森という人間も理解していく。まわりくどくも感じるところもあったけど、丁寧に描いていると思う。
永瀬正敏の演技が良かった。ちょっと近寄り難い影を持つ中年男の演技ならこの人、という存在になった^^
見事!
冒頭から結末までひとつの円のように繋がった見事な作品である。
主演の永瀬正敏は去年の映画「64ロクヨン」や「後妻業の女」では物語の鍵を握る重要な役柄を上手に演じていたが、本作品ではさらに一段上の演技に昇華されている印象を受けた。
かつては高い評価を受け、それなりの名声と地位を得たカメラマンが、カメラマンの命とも言うべき視力を失おうとしている。いまは微かに見える視力にすがって、いつまでも見ていたいと願う気持ちがあり、自分は時間を切り取るカメラマンだという自負もある。一方ではまったく見えなくなることへの不安と恐怖がある。非常に難しい役柄だ。
他の登場人物も鋭い洞察力と感性に溢れる役柄ばかりの中で、唯一凡庸な登場人物が相手役の尾崎美佐子で、意図したものかどうか不明だが、プロの中にひとりだけ素人が混ざったような演技をする。最初の打ち合わせのシーンで特にそれが目立った。
劇中映画の監督兼主演役の藤竜也は、大らかで優しい、思索に満ちた役柄で、訪ねてきた美佐子を掌で転がすように応対する。そこにまた美佐子という役柄の軽さが出てしまう。
そういった演技が、映画が進むにつれて彼女の気持ちが変化するのを表現するために必要な演技なのかどうかは評価が分かれるところだが、もしこの見事な映画に僅かな疵があるとすればそこだろう。
しかし美佐子を演じた水崎綾女の演技自体はそれほど悪くない。特に涙を流すシーンは、それぞれのシーンの涙の理由や心情をよく表現できており、美佐子が肩肘を張って仕事を頑張っているプライドだけの女性ではないことがわかる。目に力のある女優さんで、哀しい笑いや嬉しい泣き顔などができるようになれば、もっと演技の幅が広がって、今回の役者陣とも渡り合えるようになるだろう。
映画のハイライトは、カメラマン中森が美佐子に請われて連れて行った山で、これまで大切にしていたローライフレックスの二眼レフを夕陽に向かって投げ捨てるシーンだ。ずっとカメラマンとしての自分にこだわり続けてきたが、見えなくなったいまとなっては、カメラマンとしての生き方を捨て去るしかない。カメラを投げ捨てたのは自分自身にそれを覚悟させるためだ。横にいた美佐子は、捨てたカメラの方向に顔を向けながら黙って佇む中森の表情に、たったいま過去と訣別した男の孤独な魂を見る。そして深く気持ちを揺さぶられる。
冒頭の映画館のシーンの続きがラストにやってくる。美佐子が悩みに悩んだ劇中映画のラストシーンの音声ガイドの言葉だが、ようやくここで結論が出る。劇中映画の終りが映画の終りである。途中でもさんざん涙が流れたのに、この結末にさらに涙が溢れ出る。カンヌ映画祭でスタンディングオベーションが10分も続いた理由がよくわかる。輪を描くようなストーリーと映画のタイトルがひとつになった、忘れ難い印象の作品である。
失われてゆくものほど美しい
今回河瀬は失われてゆくものの美しさというものを描いている。
前回の「あん」の内容に通ずるものは、少しはあるものの作品の奥深さは格段に素晴らしいではないか。
今回は、フィルムの音声ガイドを仕事としている人間に焦点を当てているが、導入部の巷の情景とその風景の説明。作品にずるずると引き込まれていく安心感というのかゾクゾク感が堪らない。
尾崎から中森へのテスト映像のラストのガイドについて無音部分が続くが「(みる側の)想像力に任せるlと言う尾崎の意見に対する中森の厳しい指摘。中森の言い分に納得。
終盤に向かって、中森と尾崎が見た風景で彼が、夕陽に向かって「心臓lを投げ捨ててしまう場面に涙がこみあげてきた。
気楽にはやれん仕事やね
水崎綾女はけっこう気楽に映画の音声ガイドを始めたんじゃないかなあって気がすんの。最初のガイドは物語を開かなきゃいけないところで「その表情は生きる希望に満ちていた」とか閉じていっちゃってるし。
その気楽な人に向かって「想像力で映画の中に入っていける」「映画ってすごく大きなものだ」「それを言葉で壊されると残念」って言うモニターの人も凄い。水崎綾女に期待してんのかも知れないけど。
視覚障害者はどうも見えないがゆえに見えるものがある「映画を観るプロ」なんだよね。
それで水崎綾女は映画監督に会いに行って「そういう曖昧なものではなく、この映画にはハッキリとした希望が欲しい」と言い放ったりして、これは河瀬監督が誰かに言われたんだろうな。劇中の映画監督は「あなたに会えて良かった。この映画があなたの希望になってくれたら嬉しい」って肯定的に言って別れんのね。これも河瀬監督は言われた時にこう思ったんだろうな。
「観るプロ」に促され、「撮るプロ」に会い、この両方に負けないように音声ガイドをする感じになって、もう大変なんだよね。気楽に始めたんだろうに、クリエーター同士の闘いに巻き込まれてる感じなの。
「撮るプロ」が創った作品を、「観るプロ」が満足するように翻案しろっていう。どんだけ難しいんだよ。
それで「水崎綾女どうすんだろうな?」「河瀬監督はどうケリつけてくんだろな?」と思いながら観てて、最後はまあまあ納得かな。ここが突き抜けるようなラストだったら「参りました」っていう大傑作だけど、それは、普通に、難しい。それができたら、どんな作品でも大傑作になるからね。
と思いながら観てたんだけど、本線のストーリーはちょっと違うところにあったね。永瀬正敏と水崎綾女がぶつかり合って互いを理解して、それを通じて水崎綾女が何かをつかむみたいなところがあった。
この主演に水崎綾女を抜いてきたのはすごいね。ムチャクチャ演技がうまい女優さんではないと思うんだけど、はまってた。
そんなこんなで全体としては「河瀬監督すげえな」と思ったので、他の作品も観てみようかな。
光
今まで見た映画とは違った感覚で見ることができる作品でした。
永瀬さんの演技にとても引き込まれます。
音声ガイドの内容を話し合っているシーンは演技っぽさが全くなく、本当に自然でした。
樹木さんの音声ガイドのシーンはついつい目を閉じて見てしまいました。
あん同様、自然の風景がとても印象的です。
木々のざわめき、夕日の美しさがとても良かったです。
困難な理想?
障害者でない人間が、障害者の気持ちなど、
本当に理解出来るのか?
「かわいそう」の言葉の複雑な意味。
単なる同情ではないはずだが。
半分は同情と、解っていてもうれしいのか?
障害者は、真の理解など、あきらめているのか?
健常者のそれは、永遠の愛情に変わりうるのか?
年老いた母の面倒をみながら、
盲目の男性と本当に一緒に暮らしていけるのか?
中森に、一瞬の光を見せて、その後もっと暗い闇を見せる事にならないか?
母の、「あなたが、幸せなら、幸せ」が、
切ない。
切り取られた光りの記憶
見える人には、思考の妨げになる言葉
も使い形によっては
見えない人にとっても邪魔になる。
状態を表現するときに
主観を混ぜるとうるさくなる。
日常的な会話でもたまに
感じることです。
それは、
あんたの考えでしょ、とか
心のなかで反芻するのを
思い出しました。
言葉のやり取りから始り、
傷付けあいながらも、肌を通して
お互いの存在を確認していく
綾女と雅哉の交流に
知らぬ間にひきこまれました。
視覚障害者の創造力はすごくて
スクリーンの中から映像に参加する
そうですが、見える観客も同じで
本当に同化する錯覚にとらわれる
作品が稀にあります。
永瀬さんは、本作撮影前にそれまでの
魂をおいてきて、
撮影に挑んだそうですが納得でした。
作品の世界で生きているようでした。
どのシーンも日常のひとこまをそのまま写したような現実感で心情がかぶさってきます。
本作は、差し込む光りもこだわって
撮影されたようで
映像は観客の人生と繋がって、
目に焼き付いているものが甦る
ようでした。
美しい、夕焼けの黄昏や昼間の
太陽光のプリズムは、観る人それぞれの
場面を呼び覚ましてくれます。
私は小学校の夏休みの日射しや
大切な人と過ごした夕暮れと
重ねていました。
琴線に触れる出来事が最近ないなーと
思っている人に是非体験してほしいです。なにかを考え直す機会になると
思います。
おすすめ。
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