「女相撲とアナーキストの自由を求める出会い」菊とギロチン とえさんの映画レビュー(感想・評価)
女相撲とアナーキストの自由を求める出会い
えらい感動した
大正時代。
どうにもならず、がんじがらめになっている若者たちが自由を求めてもがき苦しんでいる姿がとても心に刺さった
その頃、日本には語る自由が制限され、女性たちは男性たちの所有物だった
その中で、ギロチン社は国民の自由と平等を求めて戦い、行き場をなくした女性たちは女相撲に集まってきた
最近の「相撲」といえば「国技」という重圧に押しつぶされ、力士たちの不祥事が続き、「女は神聖な土俵に上がってはいけない問題」が語られる
特に相撲に興味がない私からすれば、力士にとっても、その周りで働いている女性たちにとっても「相撲」とは、とても窮屈なものに見える
この映画は、その、とても窮屈なイメージの相撲に対して、まるでケンカでも売るかのように女相撲を登場させる
その描き方は「女が相撲をとって何が悪い」とでも言いたげだ
しかし、これは架空の話ではなく「女相撲」は現実に存在していたのだ
さらに、そこへ自由で平等な社会の実現のために戦っていたギロチン社を登場させる
そうすることで、一見、何の関係もないかのような女相撲とギロチン社の間に「自由のために戦っていた」という共通点があることがわかる
しかも、その二つの団体が、まるで運命に導かれたかのように自然に出会うのが良い
そして、彼らが出会い、ありのままの若者らしく楽しそうに踊る姿を見て
「本当に自由で平等で幸せな社会とは、一体どこにあるのか」と思う
土俵に上がれば「神の怒りをかう」と言われ
朝鮮人だからという理由で殴られ
好きでもない男性との結婚を強要される
そんな社会が嫌になった中浜鐡は
「全ての人が自由で平等な社会を作る」
「100年後には、そんな時代になっている」
と言うけれど
100年経った今、時代は本当に変わっただろうか
未だに女性が土俵に上がれば苦情が殺到し
人種差別も性差別も無くなっていない
つまり、この映画は、大正時代の若者たちのもがき苦しむ姿を通して、
現代の社会に対する痛烈な批判を描いている作品だったのだ
中浜鐡の語る理想の世界は「ただの空想で現実味がない」と、映画の中では批判されていたけれど、
理想の世界を語れない世の中こそ、夢のないネガティブで悲惨な社会で、もう終わっている
大いなる夢を語ってこそ、その先に希望かあるのだ
いつの時代も、若者が大いなる夢を語る世界であって欲しいと思う