素晴らしきかな、人生のレビュー・感想・評価
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寓話的で美しくてセリフも良くて。
好きな人と記念日に楽しむのに最適。
原題は、Collateral Beauty。
傍流の、相並んだ、枝葉に分かれた、副次的な、付帯的な、コラテラル。
枝葉に分かれて複雑に絡み合う、美。まさしく。
ほんとは⭐️4。誰が付けたのこの邦題、でマイナス1
この古風な題名は まるで 場末の三本立て映画の中の
見るまで期待しなかったけど、見たらまあまあだった、みたいなやつ。
この題名で8回は選択スルーした。
さて
題名にケチつけた後で言うのも なんですが
言葉に頼る生き方。
その言葉だけ に心動いたりしない。
この映画でこういう風に感じる人は、あまりいないと思うが、
誰かが誰かに 何かを言うその言葉に動かされるとか
このセリフが、とか。
私の夫はそういう風に生きなかった人だった。
語彙の少ない人だったし、自分の感情を言語化する事が苦手な人だった。
時々喧嘩の途中で
「今の言葉の意味、俺は知らん。知らないけどめっちゃ腹立った」と言った事もあった。
言った本人も聞いた方も 何に反応したのか分からず
「はあ〜? なに?」ってなったんだった。
そんな人と四半世紀暮らすと、
言葉に心動かされるという事が、誤魔化しのように思えて来る。
だから、この映画の
このセリフが〜! というのは全く思えないんだけれど
ただただ 本当に ただただ悲しいという事を
表現したら こうなる そういうウィル・スミスを見た。
ところで
三人の役者は、本当は 実際に存在しない人。
って事でもいいのよね?
数字は人間が考えた概念
6歳という若さで亡くなった娘。
だがそれは数字でみると少ない時間かもしれないが
時間の重さで考えると、、
悲しい経験の中にも
得るものもある、
時間、愛、死について
考えさせられた
ウィルスミスの表情も良かった
collateral beauty
愛と時間と死の話。
すべての物に愛が宿ってる。
人生の時間は短いようで本当は長い。
死は逃れられず、多くの人に影響する。
そして人と人との繋がりの話。
死ぬまで絶つ事のできない人との関係、
それこそが「幸せのオマケ」
(collateral beauty)。
主人公だけの救済ではないのが良い。
他3人の様子をもっと描いてたら、
文句無しの★5だった。
たくさんの…
素敵なセリフがあったような気がします。
というのも、みた記憶を呼び起こしながらの
レビューです。
自分的には可もなく不可もなく
良い意味でスーッと
ゆったりみれた映画でした。
詳しくないけど
ウィルスミスはこういう映画
他にも出てたりするのかな?
人間が悲しみを消化する過程
ウィルスミスがどん底に悲しい役第2弾。以前は7つの贈り物で婚約者を亡くしていたが、今回は6歳の娘。
物心もついているし、成長してきて出来る事話せる事も増え、思い出も沢山の6歳児を亡くしたら、死を受け入れたり乗り越えたり早々できるはずがない。珍しい病気故なので、覚悟する時間が多少はあったかもしれないがそんなのいくらあっても足りないのはよくわかる。本作では、3年経っても全ての物事に興味を失い生気を無くしている。
そこで、彼が経営する会社の同僚達がこのままでは会社が立ちゆかないと、会社を売却するために、彼がまともな精神状態ではないと証明する証拠を撮ろうと劇団員を数名雇うのだが。
元々ウィルスミス演じるハワードは、「人は愛・死・時間」どれかのために行動し価値を見出すと信じる行動理念で、会社でもそれに沿った広告を作っていたほど。しかし今は、どれだけ愛してもどれだけ時間が経っても娘は戻らないのだから、愛も死も時間もどれもが憎らしく腹立たしく、愛や死や時間に手紙を書くほど。
なので、ならば劇団員が愛や死や時間に扮しハワードに話しかけ、再起のきっかけを与えようとするものの、思うようにはいかない代わりに、ハワードは彼らに悪態や怒りをついにぶつける。そして、見えないはずのものが見えている自分に不安も感じ始め、同じ境遇の人達と経験を語り合うセラピーの輪のような集会に参加し始める。
その集会を開いている女性マデリンも娘を亡くし、子を亡くした親の8割が辿ると言われる離婚を経験した経緯がある。娘の人工呼吸器がはずされる時に、「死の先には幸せのおまけがあるから見逃さないで」という助言をある女性から受けていた。そして、娘の死後一年経ってやっと、何をしていても涙が出てくるようになり、でも悲しいのではなく、全てと繋がっていると感じられるようになった、これが「幸せのおまけ」だと気づいたと話してくれる。
ところが、このマデリン、実はハワードの妻だったというオチ。お互い思い合っていても、娘を亡くし失意に暮れて、離婚を選択した時に、ハワードが「もう一度他人同士で出会えたら、、」と書いた手紙を渡していたから、マデリンはハワードとの再会で他人のように接したのだろう。子を亡くした事実は永遠に変わらない、元には戻れないのに、大好きな妻と、夫婦2人変わらず何事もなかったかのように愛し合ってはいかれない、と考えて離婚を選択する夫婦8割やハワードの気持ちは容易に想像がつく。でも、同じ子を持ち、その子を亡くした痛みを最も共有し癒し合っていかれるのもまた妻で。
結婚前や、結婚後の不倫だなんだを経ての復縁を描いた作品は数あれど、夫婦にとって最も悲しい子を亡くした後に復縁する究極の夫婦愛を描いている作品。
で、不思議なのは、妻に幸せのおまけの助言をくれた女性は、実は劇団員の中で、死の役を演じていた年配の女性。彼女は、ハワードの同僚の中で末期の病を抱える男性にも、死について家族にも覚悟する時間が必要、など助言をしており、おそらく大切な人を亡くした経験がある人。
今は当事者として辛さ苦しみ空虚感にもがくハワード夫妻だが、「時」を経て、その「死」の経験さえもが誰かの気持ちを楽にし誰かを助ける「愛」に変わりゆく事がその女性から予見させられる。
所謂みんなが思う「愛」は、不倫の末離婚した女好きなハワードの同僚が劇団員の若い女性を少し色めかせたりという場面に象徴される「恋」や、不倫して娘を失いそうになって初めてどれだけ娘が大切か気付く「家族愛」に近い物が多いが、愛は必ずしも恋人同士や家族間にだけ存在する物ではなく、精子バンクから得た子供や、それすら年齢的に難しければ養子で得た子供とでも愛に満ちた関係性を作る事は可能であると、別の男性劇団員がハワードの女性同僚に助言する場面もある。しかし、愛を注ぐ機会を突然奪われる場合もあるからこそ、愛情を遠慮したり惜しむなというメッセージもあり、目の前の人々にどれだけ全力で愛を伝えているか考えさせられるとともに、絶対にどこにも消えないで!と今すぐ家族を抱きしめたいと思わせてくれる作品。
「死」は多くの概念では、別れではなく魂は永遠に生き続けるのだから拒まず受け入れろ、という内容が多いが、大切な人の死を実際に経験すると、拒めるなら避けられるのなら絶対に嫌なことだし、何年経てば消えるなどと人間が勝手に決めた時間の区切り方で簡単に計れるほどの悲しみではない。
せっかく人間は社会性を持ち、他の人間と関わる事で変化していける生き物なのに、人間だけができる、理性という名の感情コントロールが邪魔をして、人目を気にせず思いっきり悲しんだり、思いっきり愛したり、助けを求めたりができないことがよくある。そして、強いストレスがかかると、失語になったり喋り続けたり誰もいないのに怒鳴ったり、人間として持って生まれた機能が機能しなくなることすらある。
でも、それでも良い。一度人間としての機能が止まっても、気が済むまで時の流れを気にせず悲しんで、何度も何度も自問自答すれば良い。その過程を肯定してくれる話。人に話し説明し楽になり再起するなど、簡単にできなくて当然。
それでも、いつかやっと少しずつ心の中での消化が始まった時、少しずつ感情を外に出す行為ができるようになり、ふたたび、人間は会話を求め、会話を通して救われていくことができる。そして、周りの人に大いに支えられ、大いに共感し支えていくこともできる。人の気持ちを理解し、あえて放っておく優しさも、寄り添う優しさも、人は選ぶことができる。
人間って素晴らしい。
描き出している感情はリアルだが、話の展開はなんだか現実離れした突飛な発想の世界観。でも、キャスティングされているケイトウィンスレットに抱いている私のイメージはぴったり。
悪い映画とは思はないが私には辛い映画
愛娘の死から立ち直れず殻に籠ってしまった主人公を経営から外そうとする仲間たち、悲しみの重みは違っても背負っているものは皆辛そうだ。ファーストマンのアームストロング船長も愛娘の死を背負った悲劇の冒険者だった。立ち直るきっかけは人それぞれだろうし、一生泣いて暮らす親もいるだろう。4つ上の姉がいたが事故で死んだ、両親は死のうと思ったそうだ、母は「親孝行なんて考えなくていい、子供は3歳までで一生分の親孝行をしてくれた」と私によく言っていた。
人生を愛・時間・死に象徴し哲学的に時に戯曲のように擬人化して語るが終始主人公の辛さが通奏低音のように尾を引くからまるで疑似体験させられているようで辛くなる、正直、映画でまで味わいたくないテーマである。冷静に観ることができる人はある意味不幸とは距離がおける所にいるのだろう。ウィル・スミスというといつも笑顔でジョークを言っているようなイメージがあったが真逆の暗さは頭が混乱する、ヘレン・ミレンさんは例によってなんでもこなす名優、下手をすればコントになりそうなプロットをうまく騙してくれているから貴重な存在だ。悪い映画とは思はないが私には辛い映画なので星は暗い。原題の”Collateral Beauty”は字幕では「幸せのおまけ」と訳していたが難解だ、しかし邦題の陳腐さは何なのだろう、あの名作をパクリたかったのだろうか、こういう下品な配給会社のやり口は毎度のことながら辟易だ。
久しぶりにみた文学的映画
物語としては、とある核家族の一人娘が6歳でなくなり
深淵のような深い悲しみに直面した父親が、愛と時間と死をなぞっていく話。
娘が残してくれた幸せのオマケによって。
おそらくストーリーだけを追うだけでは、この作品の真髄は分からないだろうなあ..
◯時間の象徴の台詞
「時間なんて、人間が勝手に決めた概念さ」
たった6年しか生きられなかった娘の命を
短いだなんて決めつけては不可ないよね。
彼女の100%生きた人生を、概念的なものから短いと言っては不可ない。
家族だからわかるであろう、娘の命の重さと、その尊さを。
◯愛の象徴の台詞
「私はいるわ。その痛みの中にも」
悲しみに包まれていると、迷子になってしまうのが人間。
孤独になり、寂しくなり、全てを無くしたように感じる。
ただ、愛という前提があるから、悲しみを感じられることに気がついてほしいんだよね。
これはかなり、文学的な哲学。
◯死の象徴の台詞
「いざとなれば、私が愛の役もやるわ」
この台詞を聞いた時に、ハッとして閲覧者がいたらぜひ友達になりたい。
これが一番効いてる台詞だと思う。
死が訪れることで、愛の所在を知る。
どれだけ愛おしい存在だったか。
どれだけ大切な存在であったか。
ぜひ文学的な目線で見てほしい。
クライマックスの涙は、死の中の愛に気がついてしまったからなんだろうなあ。
なんとも好きなのは、後半のシーン。
ハワードが、時間 死 に対して怒号し、去るシーンがある。
次に愛に対しては、すがるように怒り、愛の方から離れてしまうシーンがあるんですが、これがいい。
人間は、時間や死に対しては、自ら立ち去ってしまうのに
愛の場合は、あちらから去って行ってしまうという切なさが本当に印象深い。
あのシーンは、映像化した価値がありますな。だいすき。
再生
まず、キャスティングが豪華!
中でもヘレン・ミレンが一番印象に残っています。
ストーリーは、娘を失ったな男の再生を描いた作品。ただ、主人公だけでなくサブストーリーもいい具合に描かれていました。
ただ、豪華キャストがもったいないような仕上がり感はいなめない。
希望を見出せない時にこそ、光が増し始めようと動き出すのかも知れない!
誰の人生にとっても、最大の哀しみと、苦痛である愛する人との死別。
この人生最大のイヴェントに真正面から挑んだ本作品を観た人の中で、主人公のように、愛する者との死別の悲しみを抱えている人の中には、きっと本作を観る事で希望の光を見出せる人も多いのではないだろうか?
本作の主人公のハワードは、愛する娘の死を受け入れられず、彼の人生の中では娘との死別以来、時間が止まったような苦痛の日々が続き、そんな彼を救い出すべく、会社の同僚3人が有る、計画に出るのだが、ハワードはまた人生に生きる力を取り戻せるのだろうか?
私は本作が、「プラダを着た悪魔」のデビッド・フランケル作品とは気が付かずに観たのだけれども、丁寧に主人公の心理を描き込んでいく演出の巧さに、思わずドンドン引き込まれて行った。そして本作が、フランケル作品と知り納得した。これまでのフランケル監督作品もテーマは違っていても人間の悩みや、人生の喜怒哀楽を巧みに描いて来ている作品ばかりだ。
そしてまた俳優陣が芸達者な人材で揃えられている点も映画の説得力の要因として大きな裏付け力となっている。
そして脚本の見事な事!人の人生は時間軸に支配され、時間が有限有るからこそ、死別が存在し、有限な時間軸に支配されている人生故に愛は無限で有っても、死別の前には乗り越えられない壁に為り得ると言う、この生物に与えられている自然の摂理のパワーとサイクルを巧みに描き出している事には心底脱帽する。
愛も時間もそして死もその総てが人生その物であり、時間・死・愛が複雑に絡み合い人生が美しいタペストリーとして、貴方らしい人生を構築し、この3者の絡み合いの変化こそが、その人それぞれの固有の人生を完成させる。どれ一つ欠けても人生は成立しないのは当然の理だ。
余談だが、私はこの夏に母と死別して、4か月を間もなく迎えようとしているが、一向に気持ちが元に戻らない事に苦痛を覚えていたが、本作のハワードに救われた。中々受け入れられない事実だけれども、時間経過と共に徐々に受け入れて行く迄の心の準備期間を辛抱強く自分自身が諦めずに待ち続けて行く事の忍耐を許していく事なのだと感じる。
幸せのおまけは本当に存在するのかどうかは、来年の宿題と思って楽しみに待つ事にしようと思う。
本作のラストが描き出すシーンに付いては、現実なのか、或いは幻想なのか?その解釈は個人個人異なると思うけれど、これこそが大いなる神の成せる御業だと信じたい。
それにしても、ヘレンは素晴らしかった!だが、いくら覚悟を決めたつもりでも、死別の寂しさの前ではどんな覚悟も無力で成す術を失うものだ。
また来年、幸せのオマケを確認出来たかどうか、観直してみたい作品だ!
時間なんて、人間が勝手に決めた概念さ
『時間なんて、人間が勝手に決めた概念さ』
なにを始めるのにも遅いも早いもない。
動き出した、その一瞬から全てが始まる。
今がどうだとか、過去がどうだとか、世間体とか、
人の目とか、そんなものどうだっていいじゃないか。
がんばってみようかな。
なんだかやる気が溢れてくる、そんな作品。
3人の役者の謎
ラスト、マデリンについては何となくそうだろうなと思っていたので、納得の結果。
しかし病院で隣に座っていた女性の正体にはええーっと驚かされました。
3人の役者については結局のところどうなんでしょう。ハワード以外の同僚もそれぞれ問題を抱えていたので、果たして実在する人物なのかどうか。
会社を救うという目的もありましたが、苦しむハワードを助ける為に、何とかしようとしてくれる同僚の優しさは良かったです。
シナリオが素晴らしい
シナリオが素晴らしい。その点で際立っている作品。ヒューマンドラマなわけだが、序盤の引き込む要素として「役者」を登場させる。面白いな、とそこで思わせるわけだが、それは重厚なテーマの敷居を低くして見やすくするため、でもありそう。
終盤の「役者」は仕掛けの役目を終え、フェードアウト。そのあたり投げっぱなしなところもあるわけだが、その後深く胸を突く事実へ導いていく。
後味も清々しく良作と言えるんじゃないでしょうか。
お涙頂戴で終わらない
一人の男性を救う(陥れる)はずが、一人一人が救われていく。予告からは予想していなかった展開から、さらにファンタジーへ。
邦題はもうちょっと、なんとかならなかったこなぁ。
いい映画です。
タイトルは、名画があるだけに
よろしくない。中身もキャプラほど心を揺さぶらない。コラテラル ビューティのままか、オリジナルの訳にしておいて欲しかった。
最もダメなのは、人生を見失ってうつ状態の主人公が、会社存続のための最終のサインをする時になって、3人の悩みを全て知っていて最善の決断をする場面。あそこだけ主人公が冴え渡っていて全く共感できない。この手の映画は、観客が主人公を自分に置き換えて、どう解決していって安らぎを得るのか、体験するようにカタルシスを得るものでは? 少なくとも自分は、ストーリー概要を読んで、そういうつもりになっていた。ストーリーとして3人の友人の方が助けられるというどんでん返しを見せたかったのか、死にそうな主人公が突如、スーパーマネジメントを発揮してはついていけない。でもって、"子供を亡くした親の会"の他人のような女性が、これまた、実は元妻でしたってどんでん返しを見せられては…。
ヘレン・ミレンに免じて "コラテラル スター" を1つ付与してあげます。
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