劇場公開日 2017年6月1日

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「父から父へ。そして子へ」LOGAN ローガン チンプソンさんの映画レビュー(感想・評価)

4.0父から父へ。そして子へ

2017年6月1日
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鑑賞方法:映画館

泣ける

悲しい

興奮

X-MENは2000年に公開された第一作しか見ておらず、
今回これを観たいと思ったのは、ヒーローあるまじきビジュアルとシリーズ通してみると対称的な子役の存在があったからのと、
元々アクションメインな映画は食指が動かない傾向が自分にはあるみたいで、今回はヒューマンドラマのような第一印象を感じたからというのが理由。
それと、ヒュージャックマン演じるウルヴァリンの性格や予告から暴れん坊な少女のコンビというのが、ゲーム「THE LAST OF US」のジョエルとエリーにダブって見えたというのも観たいという気持ちに助力した。

全編に渡ってアメリカのトランプ大統領の政策を暗喩していると感じずにはいられない差別が盛り込まれているが、元々X-MENの第一作から差別を取り扱っていたりしていたので、恐らくはシリーズの要素をより現実と繋がるようにしたのか。どちらにせよメキシコ関係の話が頻繁に登場して、その度に現代を感じさせる。
第一作しか見てない自分でも序盤は悲しい思いを感じた。暴君なローガンとチンピラとのやり取りは、この映画の本筋を暗喩させる。ヒーローにも最期があると。

ローガンにとっての父はプロフェッサーX。彼からミュータントの力の使い方を学び、生きてきたと言える。まさしく生き方を教えた。
しかしプロフェッサーXが与えた生き方は縛られた生き方でもある。なぜならミュータントである以上、ミュータントとしての立場の弱さが付きまとうからだ。
今まではその立場の上で歩みを進めてきた。それはヒーローらしく勧善懲悪。他者から認められる存在になればミュータントの立場は認められていく。
しかしその道は一本道で、別れ道は無い。悪を倒す(殺す)ことこそが真のミュータントとしての生き方であると縛っていた。
そして歩みを進めた先、世界はミュータントを受け入れたかどうか・・・結果は愕然とするものだった。

世界は変わった。ならばミュータントも変わらなくてはならない。
今まで歩いてきた道を忘れ、新たな生き方を見付けなければならない。心身をミュータントに捧げたプロフェッサーXはそれが苦痛だった。
違う生き方、我々からしてみたらごく普通の生活を一瞬だけ感じ取ったプロフェッサーXは涙を流す。

ローガンも同じく、プロフェッサーXから与えられた生き方をおくってきたが、彼もまた何かを背負っている。それは殺人という罪だ。
相手が善だろうが悪だろうが関係なく、生まれ、育てられ、成長した人間を自慢の爪で一秒経たないうちに終わらせてきた数々の罪。
それを背負って生きてきたローガン。幾多の罪を償うための死を、ローガンはミュータントであるが故に迎えないし、その死は逆に父とも言えるプロフェッサーXの思いを踏みにじることにもなる。

そんなローガンのもとに現れるローラは、二人とは逆になにものにも染まっていない。
なにもかもリセットされた世界で無色透明な状態のローラ。
彼女がローガンと関わっていくうち、ローラは何かに染まっていく。殺しを背負ったローガンか、あるいは別のなにかに。

ローガンというヒーローが父にあたる存在から何をもらい、何を抱え、
そして純粋無垢な子供に何を与えるのか。何も与えないのか。
一種のファミリームービーとも言えるか・・・しかしアクションシーンはローラの大人顔負けな、手加減する気が全く感じられないもので凄かった。
若干テンポ悪く、上映時間が若干長く感じてしまったが、ファンなら必ず観るべきと言えるし、第一作だけでも全然構わない。
まぁX-メン自体を知らない人にはわかりづらいかもしれないが

チンプソン