サーミの血のレビュー・感想・評価
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アイヌと似ていた
クリスマスイブに家内と見た。見ている最中から、生活様式、顔つき、音楽(ヨイク)がアイヌに似ているなーと(私は北海道在住)思いながら見ていた。サーミ人にはモンゴロイドの遺伝子があり、アイヌとの交流があることをウィキで知り、ビックリした。
差別への多角的な眼差し
スウェーデンの被差別民サーミ(ラップ人)に生まれた老女の回顧、もしくは老境のロードムービーといった感じ。
ストーリーテリングやカメラワークといったテクニカルな面は、何というかどこも教科書的で秀才感がするけれど、今年見たなかでは『クーリン街少年殺人事件』に並ぶくらいの良さ。
テーマゆえかもしれないけれど、アレハンドロ・イニャリトゥ作品がしばしば感じさせるような詩性がある。
あと、『花様年華』に流れる「夢二のテーマ」がそうであるように、チェロの低い擦弦音がとても情念的で深い。
見ながら考えていたのは「差別のあり方」と「環境を変えようとする意志の強さ」。 この作品は差別というものをとても多角的に描いている。
主人公エレ・マリャらサーミの少年少女が受けるスウェーデンの初等教育は、スウェーデン語を強制し、スウェーデンの臣民として教育する一方で、民族を同化させることはなく、見た目(衣装)にも不可視的部分(教育科目の多寡)にも区別を設けている。
高成績ゆえに進学を望むも制度の壁に阻まれるエレ・マリャが、差別者側/被差別者側のいずれにも属することのできない(赤坂憲雄的)「異人」と化すのは必然といえる。差別者側のシステムでのレールに乗ることを志す彼女は、自分の育った集団からは完全に浮く。
その一方で、この秀才の少女には差別が強く内面化されている。差別者から「臭い」と言われ続けた彼女が、自分の体臭を気にして、髪のにおいを嗅いだり、何度も体を洗うシーンが何度も出てくるが痛ましい描写だ。この内面化は、図らずも差別のシステムを強化している。
幾度と屈辱を味わいながらも苦境から脱しようとするエレ・マリャの姿は逞しい。
ラストシーンも、とても秀才的な画作りだけどとてもよかった。作り手は、きっとすごく勉強するタイプの人なんだろうな(と、勝手な想像)。
丁寧な心の描写が胸を打つ。
友人のススメで観ました。ひどい人種差別を受ける少女の心の移り変わりを丁寧に描写していて、手を握りしめながら身を乗り出して少女を応援したくなる、そんな映画でした。社会問題とは別次元で語られる「差別」のリアリティ。映画で語られなかった時間への余韻。美しくも残酷な自然との共生。深い感銘を受けました。
主役の素晴らしい演技と知らなかった歴史
アップリンクにて、気になってた『サーミの血』鑑賞。意外と人多かったー。主人公の演技は必見、葛藤が伝わってくる。スウェーデンにこんな歴史があったなんて知らなかったので、歴史を知り、彼女の演技を感じ、ラップランドの美しい地を見るだけでも価値アリかと。欲を言えば、銀のベルトを手にした後、どうやって彼女がサーミ人としてのアイデンティティを捨て、スウェーデン人として生き、教師になり、家庭を持ったのか、その人生が見たかった。クリスティーナと呼ばれ、ママと呼ばれる人生がとても気になったので、ラストがちょっと残念。
個人的にはタイトルが気になった。原題は SAME BLOD. 公式に出てくる英語タイトルは SAMI BLOOD. 同じ血 なのに サーミの血。同じ人間なのに 差別される民族。
知らなかったことを美しい映像とともに知れるいい映画だったけど、彼女の先の人生が見たかったので、評価はちょい低めに。
世界のどこにでもある根深い問題を正面から抉ってくれていました
スウェーデンのラップ民族差別を扱った作品。ラップランドと言えばサンタクロースの良いイメージしか無かったので、映画を鑑賞して、北欧の平和で知られたあの国にもあのような暗黒の歴史があったことを初めて知りました。差別されたまま生きることを受け入れず、スウェーデン人として生きることをを求めて故郷を出奔した主人公。自分の出自を否定し続けて生きざるを得なかった彼女の葛藤は壮絶なものであったと容易に想像できます。都会に出るためお金を盗んだり、ウソを騙って人の家や学校に転がり込んだりする主人公も敢えて見せることで、綺麗ごとでは無いこの問題の根深さを浮かび上がらせていたと感じました。都会の学校に入ってからの彼女の生き様も観てみたかったな。
身を売った姉と留まった妹、それぞれの選択肢
「ホテル・ルワンダ」を見た時にも思ったことだけれど、差別というのはどの国でもなくなることなく必ず起こるものなのだなぁと改めて感じる。「ホテル・ルワンダ」を観ても、見た目にはフツ族とツチ族の違いなどは日本人である私にはさっぱり分からないほどであったし、この「サーミの血」を観たってサーミ人とスウェーデン人の違いなどさっぱり分からない。けれども、そこにははっきりとした区別と差別があって、蔓延っては人々を貶めている。昨今、なぜか一部の日本人が憧れの対象に掲げている「北欧」で、私たちの知らない差別があるということを直視させられて、「あぁ、やっぱりどの国でも同じなんだな」と思わされた。
この映画で面白いのは、サーミ人として生まれた姉妹がそれぞれ別々の人生を送っていく点だ。主人公となる姉はスウェーデン人を偽って、スウェーデン人に擬態することを選択する。しかし妹はそんな姉を訝しく思い、どこか憎しみのような感情を抱いているということ。主人公は姉なので、妹は前半と終盤にしか登場しないが、主人公が「クリスティーナ」という名の少女として生きている間にも、その背後には故郷ラップランドに留まった妹の影があるような感じがして、身を売った姉と留まった妹の対比が上手くはたらいていたし、それぞれの人生について想像を掻き立てられるエンディングも良かったと思う。
姉の選択とその後の生き方に関しては「サーミ人としてのプライドはどうなるのか?」みたいなことが一瞬だけ脳裏をよぎって、しかしすぐさま打ち消した。その考えもまた「出自による拘束」という差別だと思ったからだ。サーミとして生まれたんだからサーミとして生きろよ、と口で言うだけは簡単だけれど、そこから逃げたいほどに切実な差別があってもそれを強要するのはやっぱり違うだろうなと思う。そこで生きてくるのがやっぱり妹の存在で、「サーミの血
」を捨てようとしている姉のことを批判できる唯一の人物が、同じ血を分けた妹だというのは実に筋の通った話。
差別が大きなテーマの作品だけれど、どことなく青春映画のような空気もある。クリスティーナと名乗って生きている間、そこにはスウェーデン人として生まれていればごく当たり前に手に入ったであろう青春があり、そういったシーンはとても瑞々しく描かれている。しかしそれらは、サーミ人として生まれた者には遠く手の届かないもので、主人公は(必ずしも勉学や教師という職業だけでなく)きっとこういう瑞々しい青春にも憧れていたんだろうなぁ、と少女の気持ちを考えると、差別に立ち向かえるほどは強くなれず、スウェーデン人を偽ることで逃げ切った主人公の葛藤がとてもよく分かる気がした。
差別をテーマに描いた作品としては、内容自体は想像の域を超えることはなく、ある一定のところに落ち着いたような印象が強かった。しかしこの映画がなければ、私はスウェーデンにサーミという民族があり、そこに差別があるということを知らないままだっただろうと思う。きっとこの地球上には、私の知らない差別がたくさんあり、それと闘っている人がいるのだと、この映画を観ながら改めて思った。偶然マジョリティに生まれたからと言って、無頓着ではいけないと、身を律したい気持ちになった。
日本人は真の人種差別を知らない
少数民族の問題はなかなか難しい。
日本にもアイヌがいるが、今はほぼ和人に同化している。
アイヌは遺伝子でいうと現在の日本人の中で一番縄文人に近いらしいからそもそも和人とは類縁にあるともいえる。
東北地方までアイヌが進出していた時代もあるので、和人との境界線も曖昧である。
遺伝子で判断しても東北地方以北の人々は日本の中で一番縄文人の特色を持っているらしいので、アイヌとの混血はかなり進んでいたのではないだろうか。
また明治時代には和人のアイヌへの差別が相当激しかった時期もあったため、和人との結婚が急速に進んだようだ。
ただし法の下では平等に日本人であり、アイヌの子供も和人と同様に教育を受けている。
現在は両親がともにアイヌであるアイヌは減少し、アイヌ語を流暢に話す人間も狩猟で生計を立てられる人間も存在しない。
なおアイヌ問題に絡めてアイヌを政治利用する動きや、そこに群がる利権の問題などもある。
実は日本にはアイヌ以外にもニブフ(ギリヤーク)やウィルタ(オロッコ)という少数民族がいる。もちろん彼らも現在は和人にほぼ同化している。
南樺太や千島列島が正式に日本の領土だった(基本は今も放棄しただけで終戦のどさくさに紛れて火事場泥棒のソ連が奪い現在もロシアが実行支配しているだけ)時にそこに多く住んでいた。
彼らは彼らからすれば力の強いアイヌに圧迫されていたこともあるというから民族問題は本当に難しい。
また本作のサーミ人もそうだが、遊牧民族や狩猟民族が伝統文化を残すのはかなり大変である。
かつては漢族はもちろん、ヨーロッパの一部まで支配下に収めてしまった世界最強の遊牧民族であったモンゴル人ですら、現在は定住者が国民の3分の2を越えている。そしてその割合は年々増えているという。
本作でも描かれている遊牧は定住生活に比べて過酷である。人は便利さに勝てない。
日本のアイヌの人々も自分たちのアイデンティティーを示す職業としては、伝統文化を活かした観光ビジネスぐらいしかない。
本作ではサーミ人の中で都会に出て行く人間と地元に残る人間に分裂する様が描かれているが、おそらく世界中どこの国の少数民族だろうが、多かれ少なかれ同じ問題が起きているだろう。
また政府が少数民族をどこまで保護するかも新たな問題になっている。
アメリカのインディアン居留区のインディアンなどは補助金で生活できるため肥満が増え、無気力化していると聞く。またその利権に群がる人々もいるらしい。
これは私見になるが、文字の有無は民族存立の基盤の1つであると思う。
アイヌ神謡集を読んだことがあるが、アイヌ人は独自の文字を持っていなかったために原文はローマ字で書かれた。
文字がない、または普及していない社会では、現代的な観点の政治経済の発展は難しいだろう。
さて異民族弾圧で史上最も残忍なのはスペイン人に異論はないだろう。
プエルトリコ、ジャマイカ、キューバなどの先住民100万人を絶滅させ、制服して100年も待たずにインカ帝国住民を1100万から10分の1に、1100〜2500万人いたアステカ帝国人を100万人まで激減させるなど南米のインディオに暴虐の限りを尽くした。
あまりの非道ぶりに同国人のラス・カサスからもその残虐さを告発されている。
イギリスから入植した白人を中心に、アメリカでは1000万人いたインディアンの人口が95%滅ぼされ、オーストラリアではアボリジニが10%まで激減した。
アジアでは現在も漢族によりチベット人やウイグル人、南モンゴル人が民族浄化の憂き目にあうなど、大国と少数民族の闘争は今も続いている。
我々が本作のような映画を観てサーミ人の実体を知ることができるのも、スウェーデンという国で制作されたからこそであろう。
むしろ過去にあったおぞましい民族大虐殺や現在進行形で行われている民族弾圧が描かれなければ真の民族差別は明るみに出て来ない。
筆者は大学生の時、上海出身の留学生とチベット弾圧のことで議論したことがある。
マーティン・スコセッシ監督作品の『クンドゥン』を観たからである。
本作のような映画から少数民族やその差別の実体を知るのは素晴らしいことだと思う。
本作は父親がサーミ人、母親がスウェーデン人のハーフであるアマンダ・シェーネルが創った映画となるが、見方によってはシェーネル自身のアイデンティティーを探す旅のようにも見える。
シェーネルの祖父母はサーミ語を捨ててスウェーデンへ同化する道を選び、本作の主人公エレ・マリャ同様にサーミ語を使うこともサーミ人の親戚に会うことも嫌がるという。
本作で印象的な演技を見せるエレ・マリャ役のレーネ=セシリア・スパルロクは実際に今も家族で放牧をしてサーミの生き方をしているらしい。
なお妹のニェンナ役は彼女の本当の妹であるミーア=エリーカ・スパルロクである。
1919年パリ講話会議において日本は世界で初めて「人種平等」を訴え、人種差別撤廃の提案をしている。
しかしオーストラリア首相のヒューズはその場で署名を拒否して席を立ち、11対5の圧倒的多数で可決したにもかかわらず、まだまだ黒人差別が当然だったアメリカの大統領であるウィルソンによって葬り去られた。
歴史は常に大国の勝手によって振り回されている。
社会派映画。差別問題の難しさ
北欧スウェーデン、
ラップランド地方の先住民族
サーミ人(ラップ人)の
迫害について描かれた作品。
サーミについて、
何も知らなくても理解できる内容、
ストーリーでした。
また主人公エレ・マリャの
少女時代を演じた
レーネ=セリシア・スパルロクさんから
セリフ以外の仕草、表情だけで
感情・思考が伝わってきて、
差別をされる側の辛さが
とても伝わってきました。
今作のベースは
人種差別の話ではありますが、
私たち、日本人の日常に
当てはめて考えると
より身近な内容の映画として
考えさせられるなとも思いました。
サーミ人がなぜ差別されるのか?
要因として、脳レベルの低さ
(脳の大きさの違い)も
有るのかもしれませんが、
もっと簡単に考えれば、
「貧困」「職業」「体臭」に対する
差別と言えると思います。
私も小学生の頃、貧困を理由に
イジメられている子を見た事があるし、
体臭に限らず、誰だって臭い処には
近寄りたくないですよね?
今、日本で農業・漁業を見下す人は
少ないと思いますが、
アルバイトなどの「非正社員」に対して
職業差別意識を持つ日本人は、
けして少なく無いと思います。
(私も時々、理解ない人に蔑まれます。)
この3つの課題のうち
体臭については作中で触ていて、
あまりお風呂に入らない人など、
体臭があまり良くない人にも
ぜひ見て、セリフを聞いて、
気付いて欲しいなと思いました。
大学生、民族・歴史に興味がある人
以外にも、
小・中学生の子の親子、
驕りがちな大人など、
色々な人の目に触れて欲しいな〜
と、感じる作品でした。
人間の差別意識
スウェーデンに住む少数民族サーミ人の物語
サーミ人であると言うだけで 侮蔑の目を向けられ
脳の知能が低いと言われ 観ていてつらかった
しかしもし自分が同じ立場であそこにいたら
同じく差別してバカにしていたかもしれない
現在日本だって いじめや 自分と違うと排除したり
ここに出てくる人々と変わりはないではないか
この映画を観て 人間は平等だと言うことが
いかに難しいかを思いしらされた
憧れることって。
何者かになりたい。それが若者なのかも知れない。時に家族や故郷、分厚い日常の幸せを唾棄したとしても。
どこかでそのことに気づくときが来る。
捨てたことの罪悪感に苦しみ続けることになる。
でも、何かが残っている。大きな何かが残っている。捨てたはずのものが、大きな財産になっている。
そこから進むしかない。取り返しがつかないこともある。でも、そこから進むしかないんだ。
安心しろ。還る場所はあるんだ。
素晴らしい映画でした。
ただしこの映画、キャッチコピーが悪すぎる。『忍び込んだ夏祭りであなたに恋した 家族、故郷を捨ててでも少女が願ったのは自由に生きること』…なんか微妙にテーマがズレている気がする。
意義ある作品だとは思う
少数民族が差別的に扱われている現実は数多くあるわけで、この作品はその氷山の一角だろうし、そういった点においては意義深い作品だとは思う。実際、サーミ人の迫害の歴史などは知らなかったわけだし、それを知っただけでも重要な作品だった。
しかし、細かな展開にあまりリアリティーを感じることができなかったし、美しい映像と相俟って、まるで神話のように思えてしまうところが残念なところ。とはいえ、そういった見解はあくまでサーミ人に対する知識に疎い輩が持つ感情だろうし、その歴史をよく知る者がこういった作品をつくろうとした哀しみが漠然とながら感じる。
現代の日本でも
「汚い」「臭い」と罵られ、暴力を振るわれる差別の苦しさ痛みは、想像を絶するものだけれど、
「私は差別なんてしません」というような優しそうな顔をして、好奇の目でもって接されることの悔しさも、また同じように計り知れない。
現代の日本に生きて、人のことを罵らない、暴力は振るわない、差別なんて絶対しない、と思っている私も、実は後者の意味で加害者になっているかもしれないと思うと、胸が騒ついた。
舞台は遠い昔、遠い北欧だけれど、決して人ごとと思ってはいけない映画だと思う。
今年下半期暫定1位
全く前情報を入れてなくて、ただただ時間の都合がいいからと映画館に足を運んだ作品。めちゃくちゃ良かったです。去年の東京国際映画祭で受賞とかされてたそうです!
この作品はスウェーデン映画。過去に存在したスウェーデンでの民族差別が根底に存在しています。
でもこの映画は社会派ではあるけど社会派だけな映画じゃなくて。主人公は「サーミ人」ではなく「エレン・マリャ」。彼女がどんな状況でどう行動したかが描かれます。そこには彼女の性格、年相応の好奇心だったりたくさんのものが詰まっていて。
主人公に誰しもが見入ってしまう。
それは本当にサーミ人であるこの新人女優さんの演技の力も大きかったです。
この映画はカメラワークがとても良いです。そしてロケ地が本当にいいです。圧倒的な映像美。自然美。そんな面でもツボでした。
回想という構成や細々とした演出は映画の手法の基本をとても忠実に守っている印象で。とても落ち着いて見れました。
今のところ今年下半期で1番のオススメな作品です。
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