劇場公開日 2017年9月16日

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「日本人は真の人種差別を知らない」サーミの血 曽羅密さんの映画レビュー(感想・評価)

3.0日本人は真の人種差別を知らない

2017年10月18日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

少数民族の問題はなかなか難しい。
日本にもアイヌがいるが、今はほぼ和人に同化している。
アイヌは遺伝子でいうと現在の日本人の中で一番縄文人に近いらしいからそもそも和人とは類縁にあるともいえる。
東北地方までアイヌが進出していた時代もあるので、和人との境界線も曖昧である。
遺伝子で判断しても東北地方以北の人々は日本の中で一番縄文人の特色を持っているらしいので、アイヌとの混血はかなり進んでいたのではないだろうか。
また明治時代には和人のアイヌへの差別が相当激しかった時期もあったため、和人との結婚が急速に進んだようだ。
ただし法の下では平等に日本人であり、アイヌの子供も和人と同様に教育を受けている。
現在は両親がともにアイヌであるアイヌは減少し、アイヌ語を流暢に話す人間も狩猟で生計を立てられる人間も存在しない。
なおアイヌ問題に絡めてアイヌを政治利用する動きや、そこに群がる利権の問題などもある。

実は日本にはアイヌ以外にもニブフ(ギリヤーク)やウィルタ(オロッコ)という少数民族がいる。もちろん彼らも現在は和人にほぼ同化している。
南樺太や千島列島が正式に日本の領土だった(基本は今も放棄しただけで終戦のどさくさに紛れて火事場泥棒のソ連が奪い現在もロシアが実行支配しているだけ)時にそこに多く住んでいた。
彼らは彼らからすれば力の強いアイヌに圧迫されていたこともあるというから民族問題は本当に難しい。

また本作のサーミ人もそうだが、遊牧民族や狩猟民族が伝統文化を残すのはかなり大変である。
かつては漢族はもちろん、ヨーロッパの一部まで支配下に収めてしまった世界最強の遊牧民族であったモンゴル人ですら、現在は定住者が国民の3分の2を越えている。そしてその割合は年々増えているという。
本作でも描かれている遊牧は定住生活に比べて過酷である。人は便利さに勝てない。
日本のアイヌの人々も自分たちのアイデンティティーを示す職業としては、伝統文化を活かした観光ビジネスぐらいしかない。
本作ではサーミ人の中で都会に出て行く人間と地元に残る人間に分裂する様が描かれているが、おそらく世界中どこの国の少数民族だろうが、多かれ少なかれ同じ問題が起きているだろう。
また政府が少数民族をどこまで保護するかも新たな問題になっている。
アメリカのインディアン居留区のインディアンなどは補助金で生活できるため肥満が増え、無気力化していると聞く。またその利権に群がる人々もいるらしい。

これは私見になるが、文字の有無は民族存立の基盤の1つであると思う。
アイヌ神謡集を読んだことがあるが、アイヌ人は独自の文字を持っていなかったために原文はローマ字で書かれた。
文字がない、または普及していない社会では、現代的な観点の政治経済の発展は難しいだろう。

さて異民族弾圧で史上最も残忍なのはスペイン人に異論はないだろう。
プエルトリコ、ジャマイカ、キューバなどの先住民100万人を絶滅させ、制服して100年も待たずにインカ帝国住民を1100万から10分の1に、1100〜2500万人いたアステカ帝国人を100万人まで激減させるなど南米のインディオに暴虐の限りを尽くした。
あまりの非道ぶりに同国人のラス・カサスからもその残虐さを告発されている。
イギリスから入植した白人を中心に、アメリカでは1000万人いたインディアンの人口が95%滅ぼされ、オーストラリアではアボリジニが10%まで激減した。
アジアでは現在も漢族によりチベット人やウイグル人、南モンゴル人が民族浄化の憂き目にあうなど、大国と少数民族の闘争は今も続いている。
我々が本作のような映画を観てサーミ人の実体を知ることができるのも、スウェーデンという国で制作されたからこそであろう。
むしろ過去にあったおぞましい民族大虐殺や現在進行形で行われている民族弾圧が描かれなければ真の民族差別は明るみに出て来ない。
筆者は大学生の時、上海出身の留学生とチベット弾圧のことで議論したことがある。
マーティン・スコセッシ監督作品の『クンドゥン』を観たからである。
本作のような映画から少数民族やその差別の実体を知るのは素晴らしいことだと思う。

本作は父親がサーミ人、母親がスウェーデン人のハーフであるアマンダ・シェーネルが創った映画となるが、見方によってはシェーネル自身のアイデンティティーを探す旅のようにも見える。
シェーネルの祖父母はサーミ語を捨ててスウェーデンへ同化する道を選び、本作の主人公エレ・マリャ同様にサーミ語を使うこともサーミ人の親戚に会うことも嫌がるという。
本作で印象的な演技を見せるエレ・マリャ役のレーネ=セシリア・スパルロクは実際に今も家族で放牧をしてサーミの生き方をしているらしい。
なお妹のニェンナ役は彼女の本当の妹であるミーア=エリーカ・スパルロクである。

1919年パリ講話会議において日本は世界で初めて「人種平等」を訴え、人種差別撤廃の提案をしている。
しかしオーストラリア首相のヒューズはその場で署名を拒否して席を立ち、11対5の圧倒的多数で可決したにもかかわらず、まだまだ黒人差別が当然だったアメリカの大統領であるウィルソンによって葬り去られた。
歴史は常に大国の勝手によって振り回されている。

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曽羅密