「美しく妖艶な雪女」雪女 耶馬英彦さんの映画レビュー(感想・評価)
美しく妖艶な雪女
ラフカディオ・ハーンの「怪談」は、柳田国男の「遠野物語」にも通じるような、静かな語り口の物語集である。ストーリーと若干の説明以外に余計な情報はまったくない。教訓めいた言葉も、縁起や因縁に関する言及もない。物語の底流にあるのは、未知の、理解不能な存在に対する恐怖だけだ。
キリスト教やイスラム教のようにすべてを司る唯一の神の存在を崇める一神教の精神性と異なり、八百万(やおよろず)の神という概念が古来からある日本では、万物に神が宿っている。神は崇高な存在ではなく、人間と同じように欲望があり、怨みもすれば嫉妬もする。
雪女もその神のひとつだと思われる。人間と同じように我儘勝手だが、人知を超えた能力をもつ怖ろしい存在である。しかし神なので怖ろしいだけではなく人知を超えた美しさを持つ。一般に雪男がどこまでもモンスターの範疇を出ないのに対して、雪女は自然に対する畏怖と憧れの混じった複雑な思いが生み出したユニークなキャラクターなのである。
雪女を演じた杉野希妃は顏も身体も美しく、妖艶である。それを強調するためにも、巳之吉役は偉丈夫であることが望ましく、青木崇高はまさに適役であった。
惜しかったのは登場人物に経年変化があまり感じられなかったことだ。娘のウメが大きくなった頃には、巳之吉がユキと出遭ってから15年も経っているのだから、巳之吉もハルもばあばも相当に老けていなければならない。そうすれば、ユキだけが歳をとらないのが際立ち、物語の異様さも増すはずだ。
しかし巳之吉もハルもばあばもユキが家に来た頃とあまり変わらない。ばあばの歳を考えると、15年経ってもまだ生きていさせるために、周りも含めてあまり歳を取らない設定にしたのかもしれないが、ユキも見慣れてくると凡俗の女に見えてきてしまうから、やはりまったく歳を取らない、人知を超えた美しさを表現すべきだったと思う。
その点をのぞけば、娘役の山口まゆもとても可愛かったし、静かな緊張感に満ちた、いい映画だったと思う。ユキの最後のシーンは意外にあっさりしているが、怪談はそんなものだ。むしろ最後は、老衰した巳之吉を看病する、14歳からまったく歳を取っていないウメのシーンがあれば、尚よかった気がする。