「言語と時間の関係、主体性と運命を考えさせられる素晴らしいSF作品」メッセージ nyaroさんの映画レビュー(感想・評価)
言語と時間の関係、主体性と運命を考えさせられる素晴らしいSF作品
英語の文法で主語、動詞、目的語、補語、前置詞等々習いますが、これは誰が何を何に対して何するという行動の方向性です。つまり、言葉に因果関係が組み込まれているということでしょう。
言葉に因果関係が含まれれば、我々の思考は因果関係に縛られる、つまり、現時点から未来は因果の先ですから見ることができません。時間の経過通りにしか物が見えません。
対して、ヘプタポッドの言葉は線形ではなく円形が象徴するとおり因果関係に縛られません。意味内容が恐らく誰が何をした、みたいなものでなく、もっといろんな含意がある状態あるいは状況を表しているのかもしれません。映像的なものかもしれません。それは過去、現在、未来を等価に表現したものだ、というのが映画からは読み取れます。明言はないですけど。
日本でも神狩りのような秀逸な言語をモチーフにしたSFはありますが、本作はは単なるモチーフやギミックではなく、言語の在り方が物語の中枢の哲学的なテーマになっていると思います。ここが非常にSFマインド…センスオブワンダーでした。
ヘプタポットは未来が見えるということになるのでしょう。としたときに、途中のアクシデントで死ぬことをヘプタポッドは自分の運命としてあらかじめ知っていることになります。
このとき、ルイーズの子供の問題が出てきます。子供を作るか作らないかという選択は主体的に見えて、実は運命なのだと言う風に見えます。これは死んだヘプタポットの覚悟の仕方の別の見方になります。子供が死ぬことがわかっているルイーズに選択の余地はあったのか無かったのか。
実存主義的な人間の選択つまり「予知できない未来と」いうのは実は無いと取るのか、分かっていても運命を逍遥と受け入れるとつらい選択を自ら行うのが主体性だと取るのか。それが問われている映画ではないでしょうか。
とってつけたような世界平和の話はかの国への忖度でしょう。むしろ、因果関係にしばられず、運命をそれぞれが受け入れたとき、本当の協力が生まれると取ればいいのでしょうか。ヘプタポットとの未来の協調関係も想起させます。そして人類の未来も。その辺はオープンエンディングですので、それぞれが考えればいいと思います。
なお、いまさらこの作品のレビューを書いたのはアニメ「地球外少年少女」を見たからです。内容は言いませんけど。