「分からなかったので原作読んだ」メッセージ toukyoutonbiさんの映画レビュー(感想・評価)
分からなかったので原作読んだ
この監督の作品が好きなので、こちらも見た。
見終わって、たとえば未来が分かったとして、自分はこれからも生きようと決められるだろうか、という不安に襲われた。未来に何が起こるか分かったとしてそんなつまらない、ともすれば恐ろしい人生を歩みたいなんて思わない。
けれど、主人公のように未来のことが分かればより良い選択ができるんだろうか、あのラストの中国国家への電話のように…あれ? そしたらなんで娘が死んじゃう未来は避けようがないことのように、これから起こる遠い未来の不幸のように描かれているんだろう?
選び取れる未来への選択と、避けようがない不幸の違いは何? 他国へ電話したあの時のように、娘が死ぬのを回避する未来を見せないのは演出?
とあれこれ疑問が湧いたので原作を読んだ。結論は、原作の映像化の成功には至っていないと思った。ここから先はその違いについて、自分の理解なりに書いているだけ。
原作は、人とかけ離れた宇宙人「ヘプタポッド」が人と違う理解形態を有していると示すことで「時間に対する人間の概念の捉え方」を文章で形にし、また変えられない未来を知った上で、そこから人生に自分のオリジナルの選択はある、と言えるのか(いや存在し得ない)というテーマがあった。主人公が、ヘプタポッドの言語と理解形式を取得していきながら、半ば取得したがゆえに「母親である時代の自分」と「ヘプタポッドと出会った頃の自分」と並行して描かれている。
この並行部分も映画ではそのまま表現されてるんだけど、これは原作を知らないと演出と取られて終わると思った。映画の後半までいけば「ああ主人公は未来のことが分かるようになったんだな」「未来を垣間見たんだな」と伝わるものの、未来予知が宇宙人からの贈り物と解釈した観客は多いんじゃなかろうか。(というか私はそう思った)
彼女が本来知り得るはずのない情報(奥さんの最期の言葉)を、未来の主人公へと彼が教えたあのシーンを、どうして彼女が活用できたのかは謎のままだ。「あの時電話でこう言ってくれたね」と言われた未来を主人公が見て、未来の会話から主人公が言葉を出す、という流れだ。そもそもの入手経路、0のスタート地点がなく、過去と未来が尾を飲み込む蛇のように繋がっている。
主人公は、未来での会話から遺言を入手し、他国の暴走を止める。
未来の知識から現在を変えられるのなら、娘の不幸も避けられそうなもんだけれど、娘の出来事については不可避のようなのが疑問だ。
監督が、時間、過去と未来についてこの作品内でどんな考えで取り扱っているのか明確な理解が私はできなかった。原作からすれば、未来に起こることは決まっているので、主人公があの言葉を未来予知の能力で知ることも決められた未来、娘が死ぬことも同様に決められた未来ということなのだろうか。
良かった点は、未来が分かっていても生きていく主人公に希望を感じたこと。
個人的に残念な部分は、人の理解に対する挑戦的な、概念という捉えにくいものを物語として形に成し得た原作が映像ではいまいち活かされなかったこと。普通だったらこんなものは論文で長々と論じられているか、思考実験のような分野だと思う。
映画はエンタメ要素も盛り込んで作り上げる必要があると考慮しても、映像と文章ではそれぞれ伝えられるものが全く違い、不可能な部分があると印象を受けた映画だった。
toukyoutonbiさんへ
「♥共感」ありがとうございました。
“選び取れる未来への選択と、避けようがない不幸の違いは何?”確かに基本的な疑問です。原作の内容も教えて頂きありがとうございます。私は時というものは現在しか無いと考えているので、タイムパラドックス物は、相当上手く処理しないと成功しない難しい分野かと思っています。今後とも“映画.com”でのお付き合いのほど宜しくお願いいたします。