劇場公開日 2017年4月1日

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「最後に「あんなこと」しなくても主役になれたのに!」暗黒女子 流山の小地蔵さんの映画レビュー(感想・評価)

3.0最後に「あんなこと」しなくても主役になれたのに!

2017年4月2日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

悲しい

怖い

萌える

 一見趣味がよさげな空間で女子たちが繰り広げる、浮世離れの悪趣味な物語です。
 読んだら嫌な気分になる「イヤミス」の小説が原作だけに、冒頭に示させる伏線から予想される悍ましい結末の予感は当たってしまいます。なのでそういうムキが嫌な人には無理に鑑賞をお勧めできません。常に殺人やアンダーグラウンドが付きもののミステリーの世界では、ホラーやスプラッターとは、描き方一つで紙一重の違いではなかろうかと感じた次第です。

 ただ本作はラストのネタバレシーンまでは、「イヤミス」を封印。女子校で起った文学サークルの前会長白石いつみ(飯豊まりえ)の不可解な死を巡って、疑いの目を向けられた文学サークルのメンバーらが朗読で、各々犯人と思う人物を告発する物語を再現ドラマ風に描かれました。
 朗読される小説は、現会長の澄川小百合(清水富美加)が進行役となり、「前会長・白石いつみの死」がテーマに出題。それを5人の部員がそれぞれ自分の視点で前会長を死に追いやった犯人を断定して、断罪するもの。
 各メンバー内の小説の内容は、他の5人のメンバーのうちの一人が犯人であると告発し合うような内容でした。当然発表される内容は、メンバー間で矛楯していました。けれども、小百合は発表内容に矛楯があるとしながら、訳知りに微笑むだけで、いっこうにそれを気にせず、朗読の進行をそそくさと進めてしまうのでした。
 普通なら同じサークルのメンバー同士で、人殺しはあなたであると名指しをする私小説を朗読しあったなら、険悪な空気が流れるはずなのに、何事もなかったように淡々と進むのです。それは朗読会という形式で、小説というスタイルを取っていたからなのかもしれませんが、メンバー各々に描かれている内容に思い当たるフシがあって、むやみに反論したくなかったのかもしれません。そして、いつみからの犯人を示すダイイングメッセージとされていたスズランの花は、メンバー全員が関わりを持っていたのです。スズランの花は、いつみが学園の屋上から転落死したとき、握りしめていたものでした。
 ということで、ラストのネタバレシーンの直後までは、「裏切りエンターテインメント」というほど、メンバー間の争いや葛藤が描かれなかったのです。むしろいつみがそれぞれのメンバーに愛と慈悲の精神で接してきたかという、彼女の人徳が浮かんでくる内容でした。学園ドラマとして、充分許容される内容であり、5人の発表者の視点の違いによって、全然見ている世界が違って見えてしまうという展開で楽しめました。

 けれども、ネタバレによっていつみの抱えていた秘密と裏の顔が描かれるとして、最後の小百合による大どんでん返しには、全く必然が感じられませんでした。「あんなこと」しなくても小百合は充分いつみの死後に、いつみの後任会長として主役になれていたからです。「あんなこと」とは秘密です(^^ゞ

 ところで皆さんにも、他人に言えない秘密をお持ちのことでしょう。本作では、他人の秘密を握ることによって、その人生までも支配しようとすることが本筋の物語です。
 タイトルの「暗黒女子」とは、自分を輝かせるためなら家族や親友でも自分の道具として活用し、邪魔者とみたら平然と抹殺することも厭わないという、自己保身や自己顕示などの暗黒面を指したものです。人間を道具と見なすなんて、と恐ろしい結末。
 ただ一面的な正義感で、本作の内容を断罪しがたいところも認めるべきでしょう。作品で描かれる自己保身や自己顕示は大なり小なり、私たちも持ち合わせている感情です。聖書で、娼婦のマリアを断罪しようとた群衆に向かってイエスさまが、制止しようとしたように、皆さんもこの作品の登場人物を裁くほどに、聖人であるものでしょうか。

 誰もが「主役」として目立ちたいもの。そして、「主役」を奪われそうになり初めて闇に気付くのかもしれません。ただ多くの人は普段から闇の中と出たり入ったりしているのに、それに気付かないことが本作の核心にあると思います。それでも人は、すべて自分のことは分かっていると思い込みがちです。だから自分の置かれた立場を当然と思い、それを死守するためなら、笑顔でうそをつくこともできてしまうのです。仲間を平気でだまし、欲望に振り回される姿は痛ましくも滑稽でしょう。
 ただ主役の座を巡っての激しい裏切り合戦とは描き切れておらず、衝撃のドンデン返しに持っていくには、伏線が不足していて、強引な結末と感じずにいられませんでした。

 ところで本作には当代きっての実力派若手女優が集結しています。特にいつみ役の飯豊まりえと平祐奈は、いま公開中の『きょうのキラ君』でも共演しており、あまりのイメチェンぶりに驚かされました。演技の振れ幅が凄いです。

 そして本作のドンデン返しの原動力となっているのが、小百合役の清水富美加が繰り返す訳知り顔で微笑む演技。本当に難しい役どころでしたが、彼女が出演していなければ、本作はもっと嘘くさくなっていたことでしょう。

追伸
 本作の冒頭は、宮部みゆき『ソロモンの偽証』と似ていて、盗作説を唱える出版関係者もいるほどです。盗作はオーバーでしょうけれど、インスパイアされた作品といえなくもないでしょう。それだけに結末は強引に「イヤミス」に持っていきたかったのか?と穿ってしまいました。

流山の小地蔵