劇場公開日 2017年1月21日

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「身も蓋もないのですが‥‥」沈黙 サイレンス 琥珀さんの映画レビュー(感想・評価)

3.5身も蓋もないのですが‥‥

2017年1月29日
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当時のイエズス会宣教師たちの一生を描いた作品として捉えると、その過酷なドラマに胸を打たれますが、現代に通づるような普遍的なテーマ(製作者側にそのようなものを描く意図があったのかどうか分かりませんが、大作だけに、ついついそういったものを期待してみてしまいました)が見出せませんでした。

人権という概念が確立した現代であれば、あの場面での宣教師の棄教は、勇気ある決断として讃えられることはあっても教会から断罪されることはないのではないかと(⁉︎)思うし、現代社会における個人の内面的な葛藤に繋がるようなテーマとしては想像力が追いつかない。また、安定期に向かう初期徳川幕藩体制のなかでは、朝廷や幕府以外の絶対的な存在(デウス様)は社会不安のもととして取り除かなくてはならないわけで、長崎奉行所の対処方法は警察、官吏として極めてシンプルで合理的、そして有能だったのかも知れません(人間性の一面として目的達成が見えてくるとエスカレートし易い、という負の側面はあったにしても)。

誤解を恐れずにいえば、合理的な話し合いで分かり合えそうにない固定観念に縛られた集団(幕府側から見れば、ということです。決して信仰を否定したり、揶揄する意図はございません)への対処方法‥‥転ばせるための有効な方法‥‥として拷問という手段をとっただけで、奉行所の人達や当時の日本人が人間性として残虐ということではないと思います。事実、棄教した人は無罪放免となり社会復帰できるわけで(たぶん)、むしろ棄教した人を責めるのは仲間だった切支丹の人達で、責め苦を負わされた上での殉教、つまり、拷問死以外の選択肢が許されないような雰囲気に追い込んでる(もしかしたら、苦しみが大きいほど、天国が近いという思い込みすらあったのでは?)のは切支丹の方達自身とも言えるのではないかと思いました。

本筋とは全く違う方面にばかり目がいってしまいましたが、信仰という意味でも、哲学的な意味でも、神の存在について思索する機会がない私のような世俗的なものには、テーマを見出すのが難しい映画でした。

グレシャムの法則