「転んでもいい」沈黙 サイレンス xtc4241さんの映画レビュー(感想・評価)
転んでもいい
学生時代、僕が読んだ小説のうちもっとも印象に残っているのがこの「沈黙」だ。
遠藤周作が書いたこの小説はキリスト教の神父が転向、棄教したあと、俗世に入り、日本人妻と結婚したという。棄教した元神父のあごは“つる”としていたと文章がすごく衝撃だった。その“つる”とした描写が実にリアルに感じられたからだ。その「沈黙」をマーチン・スコセッシ監督が撮ると言われていた。それから、何十年経ったろう。ようやく実現したこの作品は思い入れが強い。
予想はしていたが、実に重い映画だった。160分はちょっと長かったと思う。これでもか、これでもか、と過酷な拷問が行われる。スコセッシ監督だから、リアルに緻密に描こうとしたことはわかった。しかし、それでも長いと感じてしまったのだ。
そのなかで、キャストは秀逸だと思った。とくに日本人俳優。
裏切りと信仰を繰り返すキチジローの窪塚洋介、信仰に準じる農夫に塚本信也、信仰にこだわるなという通訳の浅野忠信、特に主人公ロドリゴに棄教を必要にせまる大名に
イッセー尾形がすごい。ひとくせ、ふたくせもある大名に表情、仕草、雰囲気で答えた。
さすがは本業の一人芝居で、鍛え上げた演技だと思った。eiga.comによるとアメリカで多いに評価されアカデミー賞にノミネートされるのではないかといわれているそうだ。
この映画のテーマは「転ぶ(棄教)」である。どんなに過酷なことがあっても「転んではならない」とするひと、いや、「転ぶということはもっと大きな信仰につながる」というひと。そして、そんな大きな選択のとき、なぜ沈黙しているのだ、神は、ということだろう。
僕は特別な宗教を信奉しているわけでもないので、「転ぶ」ことにこだわりはないのだが。
僕は「宗教」よりも「宗教的」であることを大切にしたいと思う。
キリスト教、ユダヤ教、イスラム教、仏教。いろんな宗教があるが、それぞれの教祖、はじめにその教えを伝えようとした最初のひとたち。イエスだったり、モハメッドだったり、仏陀に関して疑いを持っていない。純粋に与えられた教えを純粋に伝えようと努力した人たちなのだろうと思う。だた、その教えも何年も経って、人が介在してくると変容する。
「宗教的」というのは、宗教そのものよりも、その原初的なことばを聴こうとする、内なることばを聴くことが大切だと思っている。