「登らなければ狂ってしまう」MERU メルー Kenjiさんの映画レビュー(感想・評価)
登らなければ狂ってしまう
気になるレビューがあったので引用
「狂気のエゴイスト。
「山に何故、登るのか」との問いに「そこに山があるからだ」と答えたのは、ジョージ・マロリーという人らしいのですが、私であれば、例え、そこに山があったとしても、決して危険を冒してまで登山することはないでしょう。山岳遭難のニュースを見るたびに、山に対する恐怖心は昂じてきます。
この映画の監督、ジミー・チンは仲間が滑落し、瀕死の重症を負っても、再度、登山に挑戦させます。映画を観ていて私はこの連中は完全に狂っていると、思いました。自分のまわりの人々をいたずらに悲しませてはいけないのです。自分の命を粗末に扱うような行為を生きがいにしてはいけないのです。何の苦労もしていないかのように、飄々と経験談を語り続けるエゴイスト、ジミー・チンの姿を見ていると怒りがこみ上げてきました。
このレビューは登山という行為を全く理解できない(理解したくもないのです)いち個人が書いた文章です。登山に理解のある人は私の意見と180度違う感想を持つことでしょう。」
このレビューを受けて、確認しておかなければならないことがある。それは、ただ一つ大事な、彼らの人生と山との関係において核心的な事実は、決して彼らは自分の命を粗末に扱っているのではないということである。それは、彼らが山に挑戦し続けないのであれば、その生き方は彼ら自身を悲しませる生き方になることに他ならないからである。
なぜなら、彼らは登らなければ狂ってしまうのだから。
なるほど、その点においては、このレビュアーはこの映画を実によく観ている。
ジミー・チンは自ら命を捨てる狂気である。
一方で、作中に「登山に命の保証はない、登山は正当化できない」という登山家の言葉があった。私はそこに、命をかけている人間にしか出せない、言葉の重たさを感じ取った。家族に悲しみを与える葛藤も描かれていた。
なぜそこまでして登るのか。登らなければ、それがなければ狂ってしまうというほどに、なぜ、何に人は命をかけるのかということを改めて考えた。
この作品を見ながら、ふと落語家の桂枝雀の生き様を思い出した。彼は、笑いに命をかけてその命を失ったが、枝雀とこの映画の3人の精神状態に大きな差異はないのではないか。彼らは、自分の人生のために、命がけでそこに立ち向かう、立ち向かわざるを得ないのである。だからこそ狂気的に映るのであるが、そこに人間としての魅力を見いださざるを得ない自分がいることに目を背けることはできなかった。
「Because it is there.」が、本来のマロリーの言葉で、「どうして、そんな思いまでしてエベレストに登る(挑戦する)のですか」という質問に対する答えが、この言葉だったそうです。というわけで、「it」は山ではなく、まだ誰も登ったことのないエベレストのことを指すそうです。