海は燃えている イタリア最南端の小さな島のレビュー・感想・評価
全17件を表示
難民の島で育った少年の未来が健やかであって欲しいと願う。
地中海に浮かぶイタリア最南端の島で、12歳の少年、サムエレがおじさんの船に乗って一緒に網を引いている。家ではお祖母ちゃんがマンマのご飯を用意して2人の帰宅を待っている。まるで、"小さな島の物語・イタリア"(注:毎週イタリアの村々の日常をリポートするドキュメンタリー番組・BS日テレ)の一コマを見るようではないか!?しかし、同じ頃、島の対岸には命からがら祖国を脱出して来たアフリカや中東からの難民たちが次々と漂着している。沖に浮かぶ難民船の地下室では命が持たなかった人々の死体が無残に折り重なっている。生き延びたとしても、あまりに過酷な船旅のショックからおかしくなっている女性もいる。そんな、決してニュース映像では映さない島民と難民の対照的な表情から、効果的な難民対策など到底見つかりそうにもない、この社会の絶望的な乖離を実感させるドキュメンタリーの最後で、さらに強烈な一撃が待ち構えている。実際に島に住みながら島民たちと交流したという監督が(恐らく)偶然手に入れたに違いない幕切れの何と不気味なことか!?ラストショットには、難民問題と根底でリンクしている戦争とテロの時代を覆う危険な空気が充満して、一瞬心が凍り付く。今の世界を凝縮したような島で育ったサムエレの未来が、どうか健やかであって欲しいと願うばかりだ。
それでも海を渡るのか!
2022年10月16日
映画 #海は燃えている ~ #イタリア最南端の小さな島~ (2016年)鑑賞
イタリア最南端にあり、アフリカや中東からの移民・難民の目的地となっている小さな島ランペドゥーサ島を舞台に、島の少年の日常と命がけでやってくる移民・難民の受け入れを対比したドキュメンタリー
観る人に全てを委ねる映画
島の日常描写がひらすら流れる。ボートピープルが来て、とりあえず助けて、遺体処理をする。
受け入れ側からは医者だけが現実を語るワンシーンがあるだけ。
難民から発するのはどうせ死ぬなら異国の島に生き延びる運に賭ける、というラップ。
作られた台詞は無い。観る人は想像するしかない。考えざるを得ない。
そこまで追い詰める何がアフリカでおこっているのか。
上陸したものの、そのあと彼らはどうするのか。この小さな島に仕事はあるとは思えない。
島の少年と、上陸した漂流民は共存するのか。島の少年が興じるパチンコの標的は何なのか。
日本の海はどうしているのか。
ドキュメンタリー映画の凄味を観た。
現実の世界のポリフォニー
ランベドゥーサ島、Google Mapで見るとイタリアの最南端、シシリア島のさらに南、マルタ島とアフリカ大陸のチェニジアの中間にある小さな島。
この島に住むサムエル少年は母はいないが、漁師であると父と祖父母と長閑な生活。夕食は採りたてのイカを煮込んだスパゲッティ。つましい食卓だが、そこには安心、安全、優しい光と静かな時間が流れる。サムエルはまだまだ海が苦手、友達とパチンコで小鳥を打つのが大好きだ。
その冬の周辺海域には、粗末なゴムボートや木造船に満配に積み込まれたアフリカ人の乗る難民船。そして、黙々と懸命に海に向かうイタリアの救助船とヘリコプター。真っ暗闇の彼方を捜す、スポットライトの光が慌ただしく、大きく波打ち恐怖と絶望の顔顔顔を照らし出す。悲劇を淡々と報告するコンピューターを前にする医師の呟きと、サムエルのお婆ちゃんの台所から流れる、島のリクエスト曲のラジオからの調べが交錯する。
映画でのサムエル家族たちと難民の人びの映像は、一切関わることなく、全く別々の二つの旋律として流れ、そしてフィルムは終わる。観客である我々は初めて知る。今、目の前に展開されているのが、我々が生きているポリフォニー、現実の世界なのだと。
すぐそばと世界が動いてる
ごく普通の日常が行われている、同じ島の中で、世界を揺り動かす事態が動いてる。
イタリアの最南端の島では、ローマ帝国の時代から、そうだったんだろうな。
ドキュメントとしては、とても良い、分かりやすい作品でした。
海燃
島民と移民、結局どこに主題があるかわからなかったけど、黙々淡々と映し出される風景は映像的価値は高いと思う。
結局一番伝わってきたメッセージは、“パチンコの威力そこそこエグい”ってことと、“イタリア人にもパスタをズズーッてすすって食べるヤツが少なからずいる”ということ。
決して面白くないわけではないが、エンドロールが出てきたら「やっと終わった!」とほとんどの人が思うと思う。
40
ボーダレス
タイトルとは裏腹に、この映画の海はおだやかだ。
おだやかだが、うねりが大きい。
うねりが大きいのに、きわめて静かだ。
イタリアの、地中海の、難民たちを呑み込む海も、母なる海。
致命的で、かつ、救いの海。
海は何も言わない。
登場人物たちが、話し、笑い、駆け回る。作業に集中する。料理をし、料理を待つ。沈黙し、涙する。
驚異的だ。
カメラの前で、カメラを意識しないのだ、誰も。
ショットのタイミングがよすぎるし、セッティングしているのか、とも思った。
台詞が決められて、演技をしているのかとも。
そうとうカメラは存在を消すほどに被写体に馴染んで馴染まれているのだろう。
(島に1年半住んで撮ったのだという)
そしてカメラは狭い場所でも雄大な自然を写すようにゆっくりゆっくり横にパンする。
家も人も海も悲しい事件も、すべて俯瞰している神の定点観測のように。
これが観察映画だというのなら、僕らはこの神様のカメラに常に観察されているのだろうか。
イタリアの南、シチリア島の南の、マルタ島のもっと南、ランペドゥーサ島。
その小さな小さな島には、5500人の住民に対して年間5万人を超える難民が、アフリカから中東から、命からがらたどり着く。
頻繁に上がる遺体の検分は、たった一人の医師には負担が大きい。
サムエレ少年はおじさん顔だが、まぎれもなく12歳で、手作りの木製パチンコに夢中。
将来の職である漁師になるために、船酔いをなくす練習をする。
切実な現実に苛まれるそばで、小さな希望の光もまた日々を送る。
(筋書きのある)ふつうのドキュメンタリーよりも、脈絡がなく余白に満ちて想像が膨らむ。
ふつうの物語よりも、詩情にあふれたドラマ。
フィクションとドキュメントのあいだのボーダレス・ゾーンがいちばんドキドキする。
ジャンフランコ・ロージ監督は、前作『ローマ環状線、めぐりゆく人生たち』でもドキュメンタリーでベネチア金獅子をもらい、今作でも同様にベルリン金熊をもらった。
独特のドキュメンタリー術は、「観察映画」の再定義を必要とするかもしれない。
未体験の人は一度体験してほしい。
初めは眠くなるが、そのうちじわじわとくる。
個人的意見だが、前作よりも今作の方がおすすめ。
移民を受け入れると言うこと
移民を受け入れていない日本は
基本的に口を出すべきことではないのかもしれない。
ただこのまま労働人口が減って行くと、
いつかはぶち当たる問題。
今までの「普通だった」生活にどう入れていくのか?考えていく一助として
知っておいて損はない。
古典的作品
美しい絵が積み重なった記録は、まさに古典的なドキュメンタリー映画といったところ。撮影技術やカメラワーク、あるいは構図といったものが素晴らしすぎて何ら劇映画と変わらない。それが良いか悪いかは意見が分かれるかもしれないが、作品としては間違いなく洗練されたもの。
みる前提として、これはあくまでイタリアのある島を描写した作品であり、難民問題を扱った作品ではないということ。難民問題などという事柄は付随してくるだけで、決してそれがメインではない。
確かに、難民に関する描写は強烈な印象を与える。しかし、それだけを注視しようとすると、その他諸々の描写が無意味になってしまう。そうなると、この作品の価値は全く見いだせないような気がする。
とはいえ、作品自体決して楽しくも面白いものでもないわけで、移民問題など社会的背景と結びつけて見ないことには、なかなかこの映画に対しての意義を見いだせづらいのも事実。作品が評価されているのは間違いなく移民の描写にあるはず。
優れた描写と絵づくりという観点から時代を超えても残っていくだろうとは思うけれど、鑑賞するにはかなりの忍耐を要すること必至。
少年の存在はなかなか面白いものだけれど、素直に笑っていいのかどうか一瞬ためらってしまう。内容に緩急をつけているのかなと思わないでもないけれど、とにかく全てにおいて難しい作品であった。
大火傷しちゃった
どうにかならなかったんでしょうか。
くそつまんなかった。
少年の生活を映画として流すことは必要?
ああいうのはテクニックなのでしょうか。
僕は理解できませんでした。
それならもっと難民の苦しさにクローズアップして欲しかった。
初めて知ることがいくつもあった映画だけに残念。
難民のことを真摯に向き合って、心がもがれるくらいの映画なのかなと期待していたのですが、全然そんなのじゃなかった。
これならニュースとか池上彰さんの番組とか見た方が良かった。
映画館を見終わった後、劇場の外で並んでチケットを買っている人たちに、思わず「やめといた方がいい」と声をかけたくなりました。
薄っぺらい
少年達はなぜパチンコを持つのか?
なぜ機関銃を撃つ真似をするのか?
難民が島民を豊かにする訳ではない。
親達が何を子供たちに話しているか。
イタリア人の人道的な面は良く分かる。
だがそれだけで解決するのだろうか?
全17件を表示