「花の色は」ジムノペディに乱れる よしたださんの映画レビュー(感想・評価)
花の色は
数々の邦画の監督を輩出してきたピンク映画。興味はあったが、一人で成人映画専門の劇場へ入る勇気がなく、これまでに一本も観たことがなかった。
一般映画(こんなカテゴリが適当なのかどうかは別の問題として)の劇場で、ロマンポルノ・リブート・プロジェクトとして公開された本作は、ピンク映画初心者にはうってつけの企画。劇場には日活ロマンポルノ世代のおじさんも多いが、比較的若い女性やカップルの姿も目立つ。
そもそもセックスを扱う映画をことさらに他のものと区別することに強い違和感を感じる。
殺人は犯罪である。しかし、これを描写する映画は星の数ほどあり、小さな子供でも観ることができるものがほとんどである。
セックスは犯罪ではない。ほとんどの成人が経験し、あるいは日常的に行っている行為であり、そのことが子供を成し社会を形作っていると言ってもよい。
このセックスをことさらに描写したものは、子供には公開することができない。そして、今の映画興行の慣行では、このセックスを主題とした作品は主にそれ専門の劇場での公開しかなされない。別に、ポルノを子供にも見せろと言いたいのではないが、かくもセックスを主題とする映画を隔離する理由が腑に落ちない。
で、初めて観たピンク映画はというと、改めてその思いを強くするものだった。
板尾創路演じる映画監督は、腹が減ってうどんをすするのと同じくらいの日常行為として、周囲の女性とセックスをする。個別の女性との彼のセックスそのものに特別な感情は伴わない。
ラピュタ阿佐ヶ谷でのトークイベントで板尾は、愛を注いで咲かせる花の色について語る。いったい彼にはどんな色の花が見えているというのだろうか。私には、彼の眼には色のない花が目の前を過ぎていくだけのように思えた。
映画の中で、板尾が山中貞雄の「河内山宗俊」のビデオを観ている。この戦前の大傑作に憧れる映画作家は、モノクロの映像の中に瑞々しい色彩を感じ取っているに違いない。
彼にとっての「愛の実体」がどのような色をしているのか。入院中の妻によって、ほんの少し観客に伝えられる。
「花の色は うつりにけりな いたづらに、、、、」である。