関ヶ原のレビュー・感想・評価
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耳が悪くなったのかと思うくらいセリフ聞き取れない。 有村架純さんエ...
耳が悪くなったのかと思うくらいセリフ聞き取れない。
有村架純さんエピソードいらんやろ。
詰め込みすぎなのか、フォーカス当てるところがズレているのか、いい絵は沢山あるのに勿体無い。
役所の家康
役所広司の徳川家康がいい。
太っているが、動きは軽快。
秀吉亡き後の天下どりを画策して、石田三成をはめた男。
石田三成役の岡田准一が、黒田官兵衛に見えてしまった。
島左近役の平岳大が抜群の存在感を見せる。
ハードルは高いが…
物語の背景についてある程度の知識は持ってたつもりですが、恐れ入りました。二度目の視聴で、「おや?」と感じる場面で都度調べてみたら、深いのなんの。いやあ勉強になります。一寸出の武将たちも史実と役柄に沿った演出、実に練りこまれた佳作ですね。
女忍者の件はフィクションでしょうが、嫌いじゃないです。三成は己の正義に殉ずるのみ、も儚くて良しではありますが、その宿願に共鳴する初芽が生き残ってくれたことに、救われる気持ち。
キャスティングと俳優陣の名演については言うに及ばず。わずかな不満は、松山ケンイチの直江兼続にもうひと頑張りして欲しかったかな。あと、加藤清正が憎まれ役過ぎてちょっと気の毒(笑。
そこそこの前提知識
小学生でも習う歴史上の事件だけど、関連人物や地理の下準備をしておくと良いだろう。知っている前提で説明を端折っているから。
その中でも人物を絞って演出するのは、原田監督お得意かな? 端折って、二人のライバルを際立たせたのは良かった。でも、であれば、大谷刑部や小早川・島津なんか、もっと削ってしまってもと思う。この辺りの割り切りが、原田組の苦手なところか? でも、リメイクのハンディもあった「日本の一番長い日」よりずっと良かった。
それにしても、方言はまだしも、会話がはっきり聞こえないのはキツイ。
"天下分け目"の全貌。
原作は未読です。
司馬遼太郎の同名小説を原作に、日本映画史上初めて「関ヶ原の戦い」にフォーカスし、群雄割拠の戦国時代末期、武将たちが権謀術数の中で繰り広げたドラマを迫力満点の合戦シーンと共に描いた歴史スペクタクル超大作。
石田三成を「義に厚く愛に生きた男」と捉えて、徳川家康を「智謀に長け、野心を剥き出しに生きる男」として比較し、両雄を取り巻く群像を中心に天下分け目の大戦さの全貌を描写。
原作の雰囲気を踏襲したドキュメンタリー・テイストを貫いて、原作の文章そのままのナレーションを挟みながら、発端から勝敗が決するまでを重厚感たっぷりに描いていました。
セリフが早口なので聞き取り辛い個所が多く、監督の作風なのかもしれないと思いました。時代考証故か聞き慣れぬ用語や言葉遣いも散見されるため、普段から時代劇を観慣れている人は苦では無いかもしれませんが、そうでない人は少し構えておいた方が良いかもしれません。また、登場人物の相関や出来事に特に説明は入らないので、予め鑑賞前に関ヶ原の戦いの概要を知っておいた方が良いかもしれません。
三成と初芽の恋模様など、想いの入り乱れるドラマが胸熱でした。各々が叶えたい夢、遂げたい野望を胸に秘め、己の全てを懸けて大戦に臨む姿に心揺さぶられました。
合戦シーンの迫力も見事。大作に相応しく、大人数のエキストラを動員し、シネマスコープの画面いっぱいに展開された戦闘はリアリティーたっぷりで、手に汗握りました。
日本映画草創期から培われて来た殺陣や様式美など、伝統と格式の世界と言っても過言ではないでしょう。時代劇作品がめっきり減ってしまった昨今、日本固有の文化であるそれを見直し、世に問い掛けなければ本当に廃れてしまいそうです。
日本映画がハリウッドに対抗し得る最後の切り札は、やはり時代劇の超大作だな、と…。絢爛豪華なセットや歴史的建造物での撮影、そして合戦シーンは、海外の大作映画にも引けを取らない日本独自の魅力に溢れているとつくづく思いました。
[余談]
同じスタッフとキャストで「城塞」を映画化して欲しい!
※以降の鑑賞記録
2019/? ?/? ?:Blu-ray
2020/04/05:Blu-ray
2020/05/17:Amazon Prime Video
※レビュー投稿記録
2018/04/22:初投稿
2020/04/05:再投稿
※修正(2023/02/24)
ド派手なチャンバラ劇だけ。
良かったことは衣装、セット、合戦シーンの人の数はお金がかかってて見応えがありました。
これだけお金をかけた映画は今の時代にはほぼなく、特に合戦シーンは実際の戦いを見ているようです。
ストーリー。
秀吉の天下統一から関ヶ原までを石田三成目線中心に語られるお話です。
本来、2時間枠で語りきれない話なので、ファン的には語って欲しい幾つかの大事な場面はカットされてます。また時間の制約があるため、語れるストーリーは状況説明もないまま、突然始まり、足早に場面が変わっていきます。例えば、説明なく「ウルサンでの戦いで貴殿の働きは、、」と突如会話が始まり、視聴者が心の中で「ウルサン??」と思った瞬間、次の話題に移っています。誰?今どこ?それ何?何の話?の連続です。
司馬遼太郎の原作と銘打ちますが全く異なり、原作のダイジェスト実写を期待するとガッカリします。
(これから見る人へ)
字幕オンは必須です。
豊臣秀吉が天下統一し、関ヶ原に至るまでの歴史は先に頭に叩き込んでおきましょう。背景の説明もなく会話が行われ、足早に場面が過ぎ去っていくので10分で挫折します。
歴史の話なので何が本当か?は分かりませんが、この映画で描写される武将を基本と思わない方が良いです。この映画上の武将は皆 間抜けですが、原作含め他の小説では三成を含め各武将はもっと思慮深く、それぞれの行動にやむを得ぬ理由があり憧れる人ばかりです。
ただ。
チャンバラ描写は派手で、映像は美しいです。
なので、ストーリーはおまけで、何なら消音にし字幕も消して、ただ映像だけを眺めるだけなら見応え充分と感じられると思います。
そんな映画です。
只々、武将達がカッコ悪く、救いが無いと言う映画です。
只々、武将達がカッコ悪く、救いが無いと言う映画です。
歴史は好きなので、公開された時に、観に行こうと思ったのですが、レビューが悪かったので、テレビで観る事にしました。
想像以上に悪かったです。時間を返してほしい。
全体像・相関・陣立・経緯のポイント、本当に全ての描写が足りない。
しかも時間に会わせた登場人数の絞り込みも出来ていない上に、呼び名がコロコロ変わるetcで、この時代の歴史を知らなければ、ストーリーがほとんど解らない仕様になっています。
にも関わらず、ストーリーに不要なシーンはなかなかに多い。
さりとて史実に忠実でもありませんから歴史好きが喜ぶ映画にもなりませんし、原作に忠実でもないのでストーリーが解ったところで、ストーリー的に面白い映画でもありません。
でも、この作品の問題点は、そんなレベルじゃないんです。
ともかく、武将達が只々 クズか無能でカッコ悪い。まるでそれがこの映画のメインテーマであるかのようです。
先ほど記載した、ストーリーに不要なシーンの多くが、クズっぷり、無能っぷりのシーンなのです。
そして、取って付けたような『大一大万大吉(一人が万民に、万民は一人に尽くせば、天下は幸福になる)』
良い言葉がですが、こんな超々マイナーな言葉を大して説明もせず、メインテーマにしても意味がないでしょう。
また、主役の石田三成すら、それを体現できていないので、心に刺さる訳でもないし、説得力もありません。
ですので、延々とクズと無能達が目的と理由のハッキリしない大騒ぎをして、結果として、救いのない世の中が始まるといったラストで終わる映画になっています。
ストーリーが解り辛いだけに、ほぼ全ての武将がクズか無能であるイメージ、救いのない世の中が更に悪くなるイメージ、そんなイメージのみが伝わってくる映画でした。
一緒に見ていた家族は、気持ち悪いと言うことで観るのを止めまていました。
ところで、この時代ってそんな時代でしたっけ?
「信長」「秀吉」「家康」は、戦国時代と言われる内乱で疲弊していた日本を統一、平和で安心な日本(当時としては)を作った立役者達ですよね。
一人では達成できず、三人がかりでの達成しましたが、
①織田信長、日本統一事業を開始し、軌道に乗せた。
②豊臣秀吉、信長の後を継ぎ、日本統一を完成させた。
(日本統一の前に信長が殺された為)
③徳川家康、統一日本をシステム化し、永続化させた。
(秀吉の統一は力づくで不安定、その死後、日本は、また分裂しかけた)
と、いった所。
彼らの統一事業で、争いが多く安心できない戦国時代から、平和な江戸時代(海外ではmiracle peace と言われる)になった。
そんな時代ですよね。
彼らに瑕疵がなかった訳ではないですが、偉大な事を成し遂げた事は確かで、そんな彼らの時代だからこそ、この時代は人気があると思うのです。
この映画が曲がりなりにもヒットしたのは、演者と映像と宣伝の力だけと言ってもよいのではないか?
そう感じるような映画でした。
ストーリーが面白ければ、歴史物で連続ヒットも狙えたのでしょうが…
歴史好きとしては、只々残念です。
【黑電影】關原之戰。
大一大萬大吉。
時代總是在變動的,日本戰國時期尤然。
豐臣秀吉統一日本後,市井人心依然浮動,他的晚年過得並不愉快,眾多部屬對於他的喜怒無常懷有畏懼與痛恨,大家都曉得權傾天下的太閤殿下已經逐漸遠去,接下來要牢牢抓住這個國家的人,或許是沉潛多時的三河國武士德川家康。
石田三成早就清楚德川家康的政治手腕多麼深沉,以他身為太閤殿下身邊最有權力的家臣,他或許有能力也有機會早早便阻擋下德川家康的佈局,然而,或許是性格使然、抑或理念之故,當然更包括彼此的地位立場的不同,石田三成雖不能完全認同豐臣秀吉晚期的諸多爭議事件,卻不能不替年幼繼任的豐臣秀賴守住這個天下。
比起家康的默默蠶食,想以大氣與正義解決問題的三成,果然被前田利家說中了,沒有足夠的城府,難以號令天下。
決定日本命運的「關原之戰」(関ヶ原)雖然從豐臣部屬之中分裂成西軍和東軍,其實該說是三成和家康的鬥爭,明眼人都曉得秀吉死後的日本就這兩個人最具接棒態勢,比起廣結善緣的家康,三成的堅持與個性使他少有盟友,起跑點就輸了的三成似乎也沒有打算放棄,因為不到最後一刻,沒人曉得會發生什麼事情,如此堅守武士道的傢伙終於還是逃不掉敗陣的命運。
比起以往多數描寫這段歷史的戲劇或小說多以家康角度切入,「關原之戰」則以三成的立場為主,將他描繪為不被權力迷惑且珍惜生命的忠臣,那確實是難得的角度;戰國時期各地大名無不想盡辦法提昇自己的地位、拿到更多俸祿,牆頭草比比皆是,只要選對了邊便一輩子無憂,最怕的是判斷失誤選到必敗的一方,株連九族的狀況更是戰亂的日常,小早川秀秋的極度擔憂與天人交戰可見一斑。
整個關原之戰雖然東西兩軍調動大批軍力,意外的是,戰役在短短一天之內就分出勝負,西軍秀秋的叛變是戰局風雲變色的重要因素,雖然三成結合了島津家與毛利家為共同戰線,擁有強大兵力的友軍卻選擇按兵不動,各懷鬼胎不難想像,最令三成受挫的是在新時代即將開始的當口,大名們依然只想著自己的利益與前途,沒人像他想要守住豐臣家、沒人像他只要爭個正義,既然太閤已故,家康還未必百分百拿走天下,三成是將失勢了,在那之前藉由參戰能為自己掙到多少籌碼,這得用耐心好好等待。
虎視眈眈的毛利、無法趕抵的上杉、心猿意馬的小早川,石田三成當然曉得戰爭本來就是那麼現實殘酷,只是時不我予的狀況真落在自己頭上,能夠依靠的只有一班明知會輸仍浴血抵抗的家臣和盟軍,豐臣家就要這麼陷落了嗎?
原來,一人為萬眾、萬眾為一人的太平夢想是那麼難以觸及?
岡田准一確實是愈來愈戲精了,堪稱少數時裝古裝都恰如其分的男演員,他飾演的石田三成懷有安撫天下的大志,卻碰上同樣想要一統天下且佈局已久的德川家康,隨著近代史料的陸續出土,早年史家與民眾對石田三成的負面形象逐漸得到平反,德川家康的深沉則愈來愈清晰,役所廣司飾演的家康確實有那麼強烈的氣勢,那正是將要統管國家的人應有的威嚴,追求公平正義只是口號,傻子才會當真,要讓諸國大名臣服得要有心機有手段,這一點,三成遠遠不比家康。
現有的史料無法判斷當時是否真有初芽這位女忍者服侍於石田三成身邊,但諸多小說都有類似描寫,不管她的出身與來歷,死腦筋的三成在世俗眼光之下仍做了隨心而為的決定,歷史或許沒有那些浪漫,電影卻不能不如此安排,有村架純的古裝扮像愈來愈有味道了。
東出昌大飾演的小早川秀秋挺揪心,正義與不義或許沒那麼難以分辨,難的是在現實與良心之取捨。
但是,整部電影最讓我讚嘆的是瀧藤賢一詮釋的豐臣秀吉,宛若活脫走出銀幕的死氣沉沉,那樣的秀吉難怪後繼者會想推翻政權取而代之啊。
劇場で観賞後、昨日DVDで!
昨日、発売当日に再観賞しました。劇場以来の2回目です。
さまざまなレビューサイトとかでボロクソにかかれていたおかげもあってか、日本語字幕もあって、初出の役者には役名が出るなどの配慮も。まあ、薩摩弁は当然字幕でもまったく理解できませんが、あれは「日本全国の武将が集まった大いくさ」を表現するための演出だから、雰囲気が伝わればいいのだと思う。
セリフ以外では、とかく「司馬遼太郎先生にあやまれ」的な論調が多いですね。思い入れがあればこそなので気持ちは痛いほどわかるんですが、おそらく「大人の事情」という制約の中で、「2部作、3部作にすることはできない」「2時間半程度に何とかまとめろ」「ヒロインはもっと現代にマッチするように改変を」などを求められて、それをクリアした結果だと思うんですね。
もちろん、直江状や小山評定、伏見城攻防戦、黒田如水の九州侵攻ほか、見たかったエピソードはいっぱいありましたが、皆さんとは逆で「よく、あの内容をこの時間内で収めたな」と評価してあげたい気分です。家康が母衣を編みながら語るシーンとかもきっとかなりの思い入れがあって入れたんだろうな、とか。人気の高い「島津の退き口」だって、「じゃ、そろそろ帰るか」「そだね」「どけオラー!」みたいなところでばっさりカットしてるので、かなりの確信犯だと思いますし。
でも、なにより重要なのは、「誰も見たことがない関ヶ原」という謳い文句ですよ。これはきっとあれだ。「劇場での本格関ヶ原作品の初上映」と言うことに加えて、「司馬遼の原作にもない新解釈」という部分が大きいと思うのですよ。
それが、あれかと。今回の金吾の扱いかと。
「それだけじゃ、ちょっとなー」というのが正直な感想でした。(かなり昔にかかれた)司馬原作に忠実である部分と、最新の研究の成果みたいな部分の狭間にジレンマを感じましたわ。「あまり大きく変えすぎると原作でやる意味ないし」、みたいな。
個人的には国広富之演じる金吾が、捕縛された石田治部少をこっそり覗いて見つかって怒られるっていうドラマ版の演出がかなり好きだったので、そこも少しがっかりしたかな。
あと、「朝鮮人の大砲職人が出てくるのが意味不明。彼の国の圧力で関ヶ原の歴史まで歪曲しようというのか!」なんてエキセントリックな意見も多くあったようですが、それは考えすぎというものでしょう。製作者や監督にそういう思想性があるのなら別ですが。そうでなきゃ偏見。
左近は豊臣政治を憎悪していて、その遺物である「朝鮮出兵時にやってきた大陸の若者」とからめることで、時代の永続性を表現したかっただけではないかと思います。でも、島左近は通説どおり銃で撃たれるシーンがあるので、自分のなかではあそこで亡くなってて、そのあとはファンタジーという割り切り方をしていますわ。
でも、改めてみると、みなさんがおっしゃるとおりやっぱりみんな早口で。リアリティというよりも「シン・ゴジラ」なのかなと思います。そして終盤の展開が速い。金吾⇒敗色濃厚⇒左近との別れ⇒爆死⇒逃亡⇒捕縛⇒「大一大万大吉」までが早い早い。本当にそれは思いました。
背景とかを深く知らずに映画を観るのもいいと思います。すべての映画を観る前に必ず予習なんてできませんから。で、観賞して何か感じるものがあったら、終わってから調べればいいんです。昔は図書館とか書店とかビデオで関連作品を探すとかしかなかったけど、今はWIKIとか便利なものがいっぱいあるんだから。「分からない」「理解できない」「切捨てだ」と断ずる前に、そういう映画の愉しみ方をしてみたら? 興味のなかった歴史も好きになるかもよ?
ポカーンとする
一部の台詞が聴き取り辛い。
三成の家臣がいつのまにか足引きずってて、その怪我いつ負ったのかの描写も説明もなく置いてけぼり。
そしてこの映画内で三成が豊臣に忠誠を尽くす要因が見当たらないのに、命賭けて戦う事に???状態。
演者も演技力も素晴らしいのに、勿体無い。
そして時間と鑑賞代が勿体無い。
「映画」になれば、「原作」など木っ端微塵
映画「関ヶ原」(原田眞人監督)から。
書籍「関ヶ原」(上・中・下)(司馬遼太郎著・新潮文庫)を
読み切る前に、待ちきれず鑑賞してしまったが、
全くの別もの、という感想を持った。
逆に、原作者の司馬遼太郎さんが生きていたら、
決してOKを出さなかったんじゃないか、と思うほどだった。
あの長編を149分にするところから無理があるのだから、
映画「64 ロクヨン」のように「前編・後編」に分けるとか、
小説のように「3部」に分けるとか、して欲しかった。
それでも「世の中、正義では動かぬ」
「将の上の将になるには、正直すぎる」
「戦さになれば、正義など木っ端微塵」
「動かぬ大軍を動かすことが大将の務め」などをテーマに
「気になる一言」を書こうと思ったが、それさえも気が引けた。
台詞も早口で、なおかつ方言交じりで、うまく聞き取れない始末。
申し訳ないけれど「戦さになれば、正義など木っ端微塵」をもじって
「『映画』になれば、『原作』など木っ端微塵」を残したい。
これだけ期待を外されたのは、珍しいなぁ。(期待しすぎ?)
一気に149分。
戦国時代の大河ドラマを一気に149分観たぞー!という感じ。
台詞が早いわ、展開が早いわ、方言が強いわで聞き取り辛い
部分は確かに多かったが最後まで飽きずに楽しめた。忍びの
登場が随分多いけれど、巧く溶け込ませていたので問題なし。
岡田ファンはカッコいい三成を堪能できたんじゃないかしら。
個人的にはやはり山本耕史のあの冷徹感がピッタリに思えて
こんな優しい三成?って感じだったけど。島左近が良かった。
そして何といっても役所の家康。どんどん肥えていく様子に
あんたはラッセル・クロウか?なんて思いつつ、ゴローンと
ひっくり返る場面に大笑い。役者揃いの豪華な顔ぶれは見事
としかいいようがないが、見せ場を持たせる間もなく次から
次へと展開を急いで(仕方ないけど)ザーッと流れていく感じ。
後半の合戦はさすがに見応えあるが、これもどっち側かやや
分かり辛い部分が多い。ともあれ一気に関ヶ原の三成だった。
愛と野望の激突って....
硬派の内容を期待しているとがっかりします。
三成が女忍びのことを想っていたなんてあるはずないでしょうし、これをもって「愛と野望の激突」とか言ってたのなら噴飯ものですよ。岡田さんや役所さんをはじめとする俳優さんは、がんばってるのに残念。
もったいない
戦国時代好きとしてはかなり楽しめた。
説明がなくどんどん話が飛んでいくので、知識がないと「?」となることが多いだろう。知識前提で楽しむ映画と見た。
方言が聞き取れないという意見もあるがそうでもなかったのと、東西南の大名が混ざっていたのだから、言葉も気風も違いコミュニケーションの難しいのが実態であっただろうから、むしろそれが感じられて面白く感じた。
三成の、力んでいて一人よがる感じが、岡田准一に合っていた。対して掴みどころがあったりなかったりするリアリストの役所家康の雰囲気も面白く、その対比がよく出ていた。役者としての年齢や幅の違いが投影されるようで面白い。
ただいくつか、もったいない。
関ヶ原とそこに至るまでを描くには2時間半では短すぎる。前篇後編で2作に分ける、あるいは料金を2倍にして4時間5時間構成にしてもよかったのではないか。
またせっかく冒頭で司馬さんの書き出しを使ってるのでそのほかの好きな文章を他のシーンでも出して欲しかった。
また合戦シーンは、せっかくだから監督の思うリアリティを追及してしまえばよかったのではないかと終始感じた。
腕も首も飛ばないし耳も削がれているわけでもないし混乱や興奮や恐怖もあまり見られず、整然と戦をしているように見えた。音楽も邪魔だった。
島の最後もあんなに風に大層にしなくてもよかった。
テレビドラマや他の映画にはない、この監督のこだわりや気合いを随所(忍びの在り方、家康の夜伽、槍の使い方、方言など)に感じたので、中途半端に折衷案とせずに、リミッターを外してもっと好き勝手やってしまってよかったのではないか、と感じ、あるいは監督の好き勝手にできない何かがあったのかと、見ながら邪推してしまった。
早口
まあ、皆様よく喋る。
会話劇のようであり、説明台詞が8割占めてんのかと思うくらいであった。
なもので、あまり趣きのようなものは感じられなかった。
史実なのか、事実なのか、それらしきものの羅列を150分間に渡り観せられる。
所々、舞台じみていて緊迫感にゾクッとはさせられるものの、台詞の調べが舞台のソレなので「作り物」である事が如実に浮かび上がる。所謂一つの形が見え隠れする。
そんな中でも、流石は役所さんである。
観せ方、聞かせ方が抜群である…。
まるで役者陣は、台詞を喋るロボットのようであり、そのスキルの高さが返って人間味を損なわさせるようでもあった。
合戦シーンは兎に角走ってる印象しかない。
まあ、でも、当時はあんなものであったのかもしれない。
百姓がロクな鍛錬も受けずに駆り出されるんだもんな…絵として全く面白くないけど。
そうなのだ。
全編を通して、あまり映画を観てるという印象がないのだ。
金のかかった資料映像を観てるようであり、楽しみが少ないように思えた。
ただ…ロケーションはすこぶる良かったなあ。引き絵が魅力的だった。
字幕ありきで観たら違うのかなと思うあたり…国内向けではなく、海外向けに作られたのかなと勘繰ってみたりする。
TOHOシネマズ府中にて観賞
原作はたぶん100に近い回数読んでいる愛読書中の愛読書。だからこそ、よくぞ映画化してくれたと嬉しく思う。
しかも、最近の大河ドラマのような温いTV局主導でなく、力ある監督による、これぞスクリーンでと言える力作だ。
是非、『城塞』の映画化に繋がって欲しい。
だが、しかし、やはり原作を愛する身として色々言いたいことはある。以下、箇条書きにて列記する。
一、原田眞人監督
監督は「当初、小早川秀秋、島津義弘を主人公に考えていた」と観賞前に読んだ雑誌取材で答えていた。
いや待て、あの原作を読んで石田三成以外の主人公があり得るだろうか。
小早川も島津も重要人物ではあるが脇役で掘り下げられてはいない。そんな彼らを主人公にすれば最早、司馬遼太郎『関ヶ原』ではない。
こういう一周回っていない戦国ビギナーの発想を原作に被せようという傲慢さは流石の原田監督だ。
この点は流石に回避されたが、冒頭でファンへの目配せのように司馬少年を登場させてから後は、名前だけを借りた得意顔の原田ワールドだ。
しかし、彼が行った改変は残念ながらどれも上手く機能していない。
二、改変① 初芽
原作では大阪城の侍女であった初芽が伊賀者に変更されている。
有村架純の凜とした動作を見ていると、これも有りかと思ったが、中盤以降は全く活躍が無いのだ。
中盤に囚われとなり、物語に怒濤の展開を期待をさせるが、その後関ヶ原に行ったにも拘わらず、三成と絡めずウロウロしてるだけなのだ。
私ならこうする。(以下妄想)
単身逃走する三成が東軍や落ち武者狩りに囲まれる危機に突然現れ、忍びの技で敵をなぎ倒す。三成を守りながら逃げ、阿修羅のように戦うが守り切れずに……(以上妄想)
原田氏以上に脚色が過ぎるが、少なくとも初芽を伊賀者にした意味は出るんじゃないか。男女逆で『ラスト・オブ・モヒカン』の「どれだけ離れても必ず捜し出す!」を壮絶にやってもいいじゃないか。
三、改変② 石田三成
二枚目スターが演じるせいか、弩や手斧を持って最前線で闘う格好良い新しい三成像だ。
だがしかし、この新三成像が原作で徹底的に描写された重要なテーマとも言うべき三成の思考・精神を厚味の無いものにしているのだ。
原作の三成は「自分は源頼朝の如き総大将である」との自負に満ち、臆病と言われようと介さず、大将の道として個の武を軽んじ、敗北後には当然のこととして逃亡することを選んでいる。
後世の高みから見ると滑稽にすら見えるが、これを通す故に三成の尋常ならざる信念が浮かび上がるのだ。
格好いい岡田新三成は、サービス程度にアクションを見せ、敗北時に「無駄死にはつまらん」と一言ボソッと言い走り逃げるのみだ。
逃亡前の三成こそ彼の人物像を見せつける場なのだ。ここがぼやけたら単なる卑怯者でしかない。
三成の望みが初芽との全国行脚であることも、いっそうこの三成像が不可解なものにしている。
彼は家康を倒すためだけに戦っているのか。否、その先の国家ビジョンがあるからこそ家康が邪魔なのだ。
恋愛行脚の夢を語るも良いが、それはもっと二人を盛り上げるエピソードがあった上だ。
男女の仲にもなっていない、相手を必要とするエピソードも不足する二人にそこまでの情念は感じない。幼稚すぎる。
四、脚色③ 伊賀者
伊賀者の蛇白と赤耳は映画オリジナルの人物だが、これがまたノイズになっている。
くノ一蛇白は、家康が信頼したとされる「阿茶局」と呼ばれるに至るが、家康に刺し貫かれる描写で終わる。
では、大阪の陣でも活躍した阿茶局は誰なのか?投げやりな脚色はただ単に混乱させられるだけで大迷惑。
老忍の赤耳も、家康を討とうという感情の変遷が不明瞭。脅されたからと初芽を狙い、次の出番では西軍に尽くすと言う。感情の演出が雑過ぎる。
五、脚色④ 島左近の最期
平岳大は原作でイメージした島左近像に近い。が、色々ノイズはある。
左近が三成に臣従したのが、秀次粛清の時というのも歴史的には色々おかしくノイズだが、それはまあ良しとしよう。(この時に壇蜜が出る意味も無いが)。
何より失望した脚色は島左近の最期、石田軍の壊滅の様だ。
後に東軍の兵が夢にまで見て恐怖したという島左近最期の突撃は無い……左近を含めた石田軍の兵は皆で合体して串刺しにされ、自爆するのだ…自分でも何書いてるのか分からない。何だこれ。
石田軍の砲術名人が李氏朝鮮からの渡来人である、これ自体は朝鮮の役後の状況を思えば有りな設定と思うが、終盤急に出てくる人物であり、左近の最期に被せるには唐突過ぎた。
あと、司馬遼太郎作品の決死の場面で指揮下を鼓舞するお決まり台詞 「ものども死ねや!」 を左近が叫ばないのはマイナス100点。原田監督には司馬愛がない。分かってない。
六、脚色⑤ 取捨選択
原作にない秀次一族刑死の場面はあるが、関ヶ原開戦前の駆け引きは軒並みカットされている。
この原作中巻の攻防は関ヶ原を舞台に決戦に至った重要なパートなんだが監督は興味ないらしい。
結果として両軍の位置関係、特に東軍を取り囲む小早川軍や毛利軍の配置の説明もないまま戦に入るから、ビギナーには一体何を三成が焦れているのか分かり難かったのでは。必勝の布陣だったのだ。
島津軍の退き戦「捨て奸」がない点は、戦国ファンも大落胆だろうが、カットされたと推測する。
そうでないと松平忠吉や長淳院をキャスティングしている意味が無いからだ。
七、キャスティング
役者は結構はまっていたと思う。
岡田准一は、演技の幅が狭いが、故に器量の狭く不器用な三成らしく見えた。
しかし、作品ページのポスターアートに主役たる彼の顔が無いのは納得いかない。自意識過剰な肖像権管理を行う芸能事務所は一切映画に関わって欲しくない。代わりになる役者はたくさん居る。
役所広司は大仰さの中に狡い味もあり、激高すらも謀略になる百戦錬磨の家康にぴったりだった。
滝藤賢一の秀吉も良かった。この役者は監督により良し悪しが大きく別れる。
八、劇伴
NHKのドキュメンタリー番組であったかのような高いコーラスの劇伴…新しいが上がらなかった。野太い音がもっと欲しかった。
九、殺陣
合戦での描写にて、足軽の槍と槍が組みあい運動会のように押し合う描写は、目新しく納得できた。
兜の飾りを取る描写は狙撃避けだろうか、これもなるほど。
だが、弓隊の少なさは気になる。
また、局地戦ばかりという感じで戦闘のスケール感は乏しい。
また、これという戦局を変える印象的な見せ場が欲しかった。小早川裏切りも描写が淡白。
中盤の有村架純の殺陣については、接写が過ぎた上、編集も巧くなく何がなにやら判らずで、個のアクションは明確に下手な監督だと認識した。
十、美術
大名が集まる間の畳が古い。ロケ地の現状で已む無しだが画が貧相だ。
秀吉の間にあった銀色の「何か」。観てるときは「鶴松の遺骸?」とゾッとしたが、どうやら監督選択の現代アートオブジェらしい。
監督の自己満足のお陰で、物凄いただのノイズを受けた。
十一、結論として
いっそタイトルを『俺の関ヶ原』にすれば良かったのに。それならこんな長々と文句も無かったのに。
タイトル目当てなら
ある程度歴史背景がわかってないとわかりにくいでしょう。
迫力ある映像でした。下●神社などすぐにロケ地がわかる私にとっては興味深いが違和感もある微妙な感じ
方言はいいけど、虫養ひ(むしやしない)はさすがに関西(京都)以外の人には、、、
確かに語尾が聞きづらかった点もありますがリアル感は出てました。キャストは苦労されたでしょう。気の毒なくらいです。
ラストのシーンや周辺の心の動きがよくわかり感動しました。
歴史好きには面白い映画です。
壮大な歴史ダイジェスト+媚韓?
司馬遼太郎の同名小説を映画化した作品である。
筆者は司馬遼太郎の幕末三部作『竜馬がゆく』『翔ぶが如く』『坂の上の雲』は読んでいるが、これは読んでいない。
現在まで続く坂本竜馬人気は『竜馬がゆく』を著したことで司馬遼太郎が作ったと言っても過言ではない。
見方によっては竜馬はヨーロッパ資本の世界戦略の一環における手先に過ぎなかったとも思えるし、筆者には竜馬よりも勝海舟や山岡鉄舟の方がよほど大きな人物だったように思える。
またロシアバルチック艦隊を大日本帝国海軍が破った日本海海戦の戦術面において実は秋山真之は決定的な役割を担っていないというのもよく言われることである。
しかしいずれにしろ司馬が取り上げることでそれらの人物は至高の存在に化ける。
司馬史観が現在の日本人に与えた影響は大きい。
だからと言ってそれが映画の成功を約束するわけではない。
監督は『ラストサムライ』に出演した経歴を持つ原田眞人だが、誰を主役にするかで二転三転したらしい。
まずは小早川秀秋を主役にしようと考え、次は島津義弘、結局石田三成に落ち着いたようだ。
近年性格の純粋さが見直されて光成の株は若い女子の間でも上昇中とのこと、そこへ主役に岡田准一を配しているので狙いとしては間違っていない。
筆者個人としてはNHKの大河ドラマで戦国武将はよく取り上げられるものの、九州の大大名が取り上げられることはほとんどないので、島津義弘ならより新鮮さを感じたかもしれない。
まず全体を通しての指摘が数点ある。
秀吉存命中から関ヶ原開戦に至った経緯を追い、関ヶ原を経て、最後は光成が処刑されるまでを2時間半にまとめたせいか歴史のダイジェスト映画になってしまっている。
1つ1つのエピソードがあまり深く掘り下げられないままただただ矢継ぎ早に流れていく。
筆者はある程度は戦国時代の歴史を理解しているが、あまり歴史を知らない人には厳しかったろうと思う。
2時間半にまとめたことが影響しているのか1人1人の会話が早口に感じ、間をほとんど感じない。
会話も当時のものにこだわっているのか難しい単語や言い回しがしきりに出てくる。
さらに島津は薩摩弁、秀吉子飼いの加藤清正や福島正則は名古屋弁のきついイントネーションで話される。そこへ音響が加わるなどがあってはっきり言って登場人物たちが何を話しているのかわからないシーンがいくつもあった。
筆者の斜め前の坐席にカップルが座っていたが、映画の間中しきりに顔を寄せ合って何か話していた。
男性の方は中盤からだれているように見受けられた。
筆者は会話がわからないせいか一生懸命聞き取ろうと集中するので2時間半という長丁場も眠くなることはなかったが、もしそれが飽きさせないための監督の意図であるならあまりにも変化球すぎる。
CGに頼らずエキストラを延べ3000人動員した合戦シーンはさすがに迫力があるだけにどうにももったいない。
どうせ聞き取れない会話ばかりならばいっそ関ヶ原前のシーンは大幅に削り、より関ヶ原の合戦シーンに時間を割けば良かったのではないだろうか。
2度目に主役にしようとした島津義弘には、関ヶ原で勝敗の大勢が決まったのを見届けるや退却するために東軍に自ら突っ込んで血路を開いて薩摩に落ち延び、その変わり自軍も九割以上の戦死者を出すという壮絶なエピソードがある。
このために島津を恐れた家康が薩摩の所領をそのままにしたとも言われ、関ヶ原の戦いにおけるハイライトの一つなのだが、本作では一切描かれなかった。
光成が主役の映画なので確かに描く必要はないが、その他の東軍と西軍の個別の戦闘でここまでの派手さはないので3000人集めただけに大画面でその迫力を味わいたかった。
今までも大河ドラマなどで関ヶ原の戦いは何度も出てくるが、この島津の撤退戦はほぼ観たことがない。
また細かいことになるかもしれないが、いずれも朝鮮半島がらみの見過ごせない問題がある。
実際の戦闘描写はなく会話だけのシーンになるが、朝鮮征伐の経緯が秀吉を中心として五大老五奉行を交えた会議で話し合われる。
確かに朝鮮征伐の際に光成と加藤清正・福島正則の確執が大きくなり、結果的に関ヶ原の戦いで加藤・福島が徳川家康の東軍に加わった原因にもなった。
この前振りは重要である。しかしあれほど他の日本人同士の会話では聞き取れないくらいの言い回しや薩摩弁などにこだわったのに、「蔚山」を「ウルサン」、「釜山」を「プサン」と韓国語で発音してしまう。
当時であれば「蔚山」は「いさん」であり「釜山」は「ふざん」であるべきだ。
また、銃器の扱いに慣れた朝鮮兵(捕虜)が唐突に登場するのだが、当時日本の銃器の数は50万丁を誇り世界一である。
ヨーロッパの強国と戦争しても勝利できるくらい圧倒的な数の銃器を持っていたと言われている。
現に朝鮮征伐では日本軍は寡兵であってもその銃器で明・朝鮮の連合軍を凌駕する。
朝鮮征伐で明・朝鮮軍は戦うごとに副将級や将官クラスが多数戦死しているが、全戦役を通じて日本軍で大大名は全く戦死していない。
むしろ加藤清正や島津義弘は数万の敵に囲まれても銃器を効果的に使用して逆に明・朝鮮両軍に万単位で戦死者を出させている。
明から派遣された名将と誉れの高かった李如松ですらあまりの日本軍の強さに戦意を喪失したり、日本軍は圧倒的な銃器を使用して味方に倍する敵をほとんど撃退している。
正史『明史』では「豊臣秀吉による朝鮮出兵が開始されて以来七年、(明では)十万の将兵を喪失し、百万の兵糧を労費するも、中朝(明)と属国(朝鮮)に勝算は無く、ただ関白(豊臣秀吉)が死去するに至り乱禍は終息した。」と総評されている。
朝鮮にも旧式の大砲はあったらしいが、銃器においては日本から相当遅れていたようだ。
そんな朝鮮からわざわざ技術者を連れ帰って来るだろうか。
また彼が戦死する際には「わが同胞よ!」と朝鮮語を叫ぶ。あまりにも不自然だ。
まさか韓国に媚を売っているのだろうか?
このような状況では、NHK大河ドラマをはじめとして、島津義弘や加藤清正を主役にした映画やドラマは当分制作されないだろう。
おそらく史実を辿っていくと、彼らの朝鮮征伐の際のとんでもない活躍を描かざるを得なくなってしまうからだ。
韓国ではあまり史実には依拠していないらしいが『鳴梁海戦』などの日本軍を倒すフィクション映画が制作されている。
もし日本と韓国が真に対等であるなら日本も韓国(朝鮮)を戦争で打ち負かす映画があってもいいはずである。
映画とは関係のないところでそんな感慨も抱いてしまった。
何か物足りない
岡田くんの歴史物。それも石田三成というので期待していました。ただどうして評価があまり高くないのかが不思議でしたが、実際に観て納得しました。
まずストーリーが薄っぺらい。三成がどうして豊臣を守りたい、義を貫くのかがいまひとつ肉付けが足りなく、歴史をあまり知らない人にはわかりづらい。
三成と大谷吉継の厚い友情もほとんど描かれていない。そもそも大谷吉継は家康に付こうとしたのを、その途上佐和山城に立ち寄ったところを三成に説得され、負け戦を承知で友情を選んだという名シーンがあるはずなのに、そこが全く抜けている。有村架純演じる初音を入れるのであれぱ、そちらに時間をかけてほしかった。またキャストも岡田くんが名優なのは言うまでもないが、クールで切れ者であった三成からすると何かが足りない。やはり真田丸の山本耕史の方が合っている。そして東出昌大の小早川秀秋。気位だけが高くて気が弱い秀秋のイメージに全く合わず太すぎる。ただ平岳大の島左近は良かった。知恵者で重厚感がある島左近にはまさに適役。
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