「東京の夜空は」映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ 耶馬英彦さんの映画レビュー(感想・評価)
東京の夜空は
小説の手法のひとつに、表現したいものを直接的な言葉で表現するのではなく、それを取り巻く周囲を描くことによって表現したいものを浮かび上がらせる、というのがある。小説の場合は表現手段が言葉だけに限られているから、映像や音、匂いや触感などは読者の想像力に委ねるしかない。逆に言えば、読者それぞれの自由な想像によって作品が様々な方向に広がっていく可能性があると言える。
映画は総合芸術だから言葉と映像と音で複合的な表現ができる反面、観客の想像力を抑え込むことになる。映画という芸術の数少ない欠点のひとつだ。
この作品はそんな映画の欠点をカバーするために説明的なシーンをなるたけ排除しているように思える。
映されるのは登場人物たちの具体的で恣意的な行動ばかりだ。大した脈絡のなさそうなそれらのシーンがやがて朧気に繋がりながら、個々の人々が無意識に共有する鬱屈のような気分を浮かび上がらせる。それを時代と呼ぶのか、諸行無常と捉えるのかは観客の感性に委ねられる。
主役の二人は、価値観の定まらない流動的で不安定な時代を綱渡りするように生きながら、世界や人類のありようを模索する。
この難しい役柄を池松壮亮はさりげなく演じきった。なんとなく感じる不安や悪い予感を抱えて生きる若者の役は、もはやこの人の十八番と言っていい。相手役として池松に食らいついていった石橋静河のシリアスな演技もそれなりに評価できる。
空気の汚れか、都会の明かりのせいか、東京の夜空に星はほとんど見えない。しかし同じ東京の夜空の下に若い孤独な魂たちが、悩みながら、苦しみながら生きていることに不思議な共生感を覚える。それは多分、喜ばしいことなのだ。