ブレードランナー 2049のレビュー・感想・評価
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長い。果てしなく長い。無駄なシーンが盛りだくさん。好きな人にはたま...
長い。果てしなく長い。無駄なシーンが盛りだくさん。好きな人にはたまらないだろうが、ひとつの映画としてはどうだろうか?
映像はキレイだった。前作を丁寧になぞった感じ。
わかりづらい点が多数あるので、観終わってからいろいろ語りたくなる映画。その点では良い。
大名作
正真正銘の続編!
金字塔再び!
まず、この映画は主人公Kに感情移入出来るかどうかで意見が分かれると思う。
ウチはまるで1時間半あったっけ? という位の感覚でのめり込んだ。
多くは言葉に出来ない。そんな映画は多くない。「2001:宇宙の旅」や「永遠のこどもたち」のように、観終わっても、また寝て起きても、ずっと音楽も映像もテーマも頭から離れず、考えても言葉に出来ず。
ただ一言「素晴らしい! 長生きして良かった! 」
2050年問題のようで、その時人はどうするのか? の後ろにある「命とは? 魂とは? 感情とは? 」と言う根源と記憶の曖昧さとリアリティの欠如への恐怖実感(ウチは離人症をこじらせて解離性障害で治療中。記憶も生きている世界もリアリティがなく、現実なのか虚構なのかが曖昧な障害だけに)。
最後ウチはただただ涙が止まらず、観客が全員出た後も中々席を立てなかった。
ラストの驚愕部分は途中途中の伏線ですぐ分かるし、内容も難解で映像美ばかりに目が行きがちだけど、そこじゃない! 原作と比べたり、アクションのどうこうでもない! 映画は原作と別物であり、アクションはシークエンスの一つでしかない!
その底を観て味わって欲しい。
これは何度観ても新たな発見をする金字塔登録作になった。
やや、終盤が弱め!?
前作世代は見るべき作品
アメリカで大コケだとかクチコミの一部には低い評価があるとかで期待から躊躇に変ったけれど、やっぱり前作をリアルタイムで見ている世代としては、例えハズレでも “見るべき作品” と位置づけて楽しみにしての鑑賞。
結果、いまいちわからない部分があったりで、のめり込むまでは行かないにしても「見て良かった!大満足!」な作品でした。もちろん前作もよくわからない部分があったりと絶賛はしていないのだけれど、数年毎に複数回見ている作品であり一種の中毒性があることは否めず、そこには妙な思い入れが存在。そんな理由も後押しして、前述したように「見て良かった!大満足!」という感想に。
前作から続く退廃的世界観、今作で指揮を執ったヴィルヌーブ監督の生み出すビジュアルに身を置いての163分はあっという間の至福のひとときでした。また見たい作品です。
事前に公式HPで予習した方が楽しめます!
「問いかけ」に必ずしも「答え」は必要だったか?
確かに『ブレードランナー』の続編を今作るならこれ以上ない出来だと思う。でもヴィルヌーヴは生理に合わない。荘厳で重厚で美麗でそして何より「堅実」で…ただ物々しくて鈍重で冗長ともいえる。ロジャー・ディーキンスの撮影の美麗さだけは否定のしようがないが…
俺はフォロワー作品を観てから本家を観た人間やけん『ブレードランナー』を正当に評価できてない自覚はある。だからこそ『2049』をフェアに評価できると思ったんやけど…前作の「問いかけ」に「答え」を出す必要はないと感じた。こういうのは『フォースの覚醒』だけでいいよ(若干ネタバレか?)…
ライアン・ゴズリングは毎度のことながら良かった。あの空虚な表情によって本作が「個人の物語」であり続けることができたというか…事態が大きくなり過ぎないのが『ブレードランナー』だなと思った
音楽は微妙だったな。前作の冒頭の「チャララララン♪」に匹敵するインパクトのある瞬間は皆無だった。ライアンが2回ピアノに触れるんやけど2回目の時の音がプロフェッショナルの「ポーン」とほぼ同じ音で面白かった
しかしドゥニ・ヴィルヌーヴはほんまに合わんな…はっきり言って面白くないんよな。なんでだろう?
前作が好きなら必見
35年前⁇
人類とレプリカントとの間に生まれた奇跡
前作から30年後のロサンゼルスを舞台に描かれています。
ライアンゴズリング演じる新型レプリカントのKはLA市警の警官であり旧型レプリカントの居場所を見つけ解体処分を命じられているブレードランナーという役柄です。
話が進むにつれてKの記憶が呼び起こされ自身の過去が徐々に解明されていくのですが、真相に迫りすぎ逆に追われる身となってしまいます。
中盤すぎから元ブレードランナーのデッカードや旧型レプリカントのレイチェルといった30年前の話と繋がり、果たしてKとはいったい何者なのか誰を守ろうとしてプログラミングされたのか…
やはり見所は独特な荒廃で雑多な世界観は前作ファンならたまらないでしょう。音も最近みたメッセージに似た重厚感があります。話の進行はスローテンポで上映時間も163分間と長いため興味を引かない方には苦痛かもしれません。
やはり前作を復習してから観に行くことをお勧めします。
“K” 実存主義 キリスト教
本作はこれまでのSF映画と一線を画しています。
過去のSF映画は親子愛に訴えたもの(インターステラー)や世界危機を人類一団で乗り越えるストーリー(アルマゲドン、インデペンデンス・デイ)が主要でした。しかし、この映画は一味違います。
この物語はほぼ終始“K”を中心に進行します。しかし、それと同時に、彼の存在しない時・場所であっても、起こりうる出来事は着実に起こります。また、世界危機に関係する重大な情報を”K”が入手したとしても(あるいは入手できなかったとしても)、それは”K”という一人の存在にとって同様に意義のある事柄であるとは限りません。
彼の行動範囲はある程度に限定されてます。それは、現実世界での私たちの生活と全く変わりません。私たちの前には物理的であれ、精神的であれ、何かしらの「前提された壁」が佇んでいます。”K”は人間とレプリカントの対立の内に不条理にも漠然と存在し、それでも彼は自らの進むべき道を模索します。
映画観客は”K”を「近く」から見守るような立ち位置にあります。ただし、それは決して彼に同化することのない絶妙な距離です。彼は大衆映画のように遙か遠くにいる理想のヒーローでもなく、日常の風景に溶け込むエキストラでもありません。名を持たない彼”K”は、映画観客一人一人と同じくする一つの存在、どこまでも孤独で不安な存在者として観客の前面に現れます。
そして、映画の幕が閉じるとき、”K”という存在が反射し、私たち自身がこの存在者の「問い」を引き継ぐこととなります。
ところで、”K”の抱える「問い」とは何でしょうか。
「ブレードランナー」の社会において、レプリカントは人間に隷従する労働者として扱われています。そして、人間と違い、レプリカントには自身の存在理由(製造された理由)さえ問う余地がないように思われます。しかし、もし仮に、レプリカントが奉仕すべき対象やその理由を喪失したとすると、人間のように何ものかへの不安を感じ、そしてこのとき、彼らに自身についての問いが生じるのではないでしょうか。
他方、レプリカントの順従な行為を「他者への奉仕」と表現した場合、彼らは人間とさして変わらないように思われます。人間は他者を必要とする存在です。そして、他者への奉仕や慈悲といったものは「人間らしさ」の重要な要素でもあります。
こうして見ると、「人間らしさとは何か?」だとか「レプリカントに心はあるのか?」といった枠組みを超えて、一人の存在者として、「私は何者か?」「私は何を為すべきか?」という普遍的な問いに至ります。そして、”K”の選択はこれに一つの答えを提示しているように思われます。
”K”が最後に見出した「自由」は、不条理に抵抗して獲得するものでなく、寧ろ現前する不条理の中の一筋の道を「使命」として受け入れることで得られたものでした。これは愛・運命・奇跡などを絶対的な概念とする神秘主義や人類団結の正義を謳った全体主義などの決して到達できなかった実存主義的な領域です。
また、「天命」という観点から、本作をキリスト教的とも表現できるでしょう。しかし、この映画は「マトリックス」ほど都合良くはありません。少なくとも、”K”の出した結論は決して「神」に近い存在、特別な存在者ではなく、寧ろ彼の、あるいはこの世界の、第三の審級の不在に気づけたことが、彼の「自由」と「使命」の原点だったのではないでしょうか。
この映画は一見すると説明不足、あるいは中途半端な印象を観客に与えるかもしれません。しかし、それは、”K”の存在がどこまでも私たちの存在に近く、”K”の抱える問題がどこまでも私たちの問題と等しいということを伝えるための、意図的かつ必然的な演出だったのではないかと思われます。
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