五日物語 3つの王国と3人の女のレビュー・感想・評価
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このダークな世界観は癖になりそう
強烈なるイマジネーションの連続。音楽の高鳴るような叙情的な演出は最小限にとどめ、むしろリアリスティックな筆致の中で幻想的な美しさが展開していく。衣装や美術、いや何よりもその世界観の醸成が研ぎ澄まされており、デル・トロやギリアムが描くダーク・ファンタジーともひと味違う。複数のおはなしが同時進行していく様はマッテオ・ガローネ監督の過去作『ゴモラ』を彷彿とさせる巧さ。そのボルテージが静かに、しかし確実に登場人物たちの運命を狂わせ、翻弄していく様に惹き込まれずにいられない。 各話ともに欲望や願望、それに対する大いなる代償を伴うエッセンスが核となるが、端から見ると狂気の沙汰であっても、各々の決断に至る人間たちの表情は真剣そのもの。それを成立させる演技と演出が観る者の同情や共感を導き出す。そして運命を決めるのは赤。誰もがこのカラーに身を浸し、胎内から生まれ出でくるかのよう。大いなる誕生、再生の物語。
昔々あるところに美しいお妃様がいました。ところが
彼女は優しい夫である王様に塩対応、子どもができないことに悩み常にイライラ。王様の命と引き換えに得た物を食べたらすぐに妊娠し王子が産まれました。当然溺愛。その物を調理した処女の料理女も同時に妊娠し男の子を出産し長じて二人の男の子は仲良くなりますが、女王は気に入りません。化け物牝鹿の姿になって仲良い二人の少年を追いかける王妃は息子に殺されました。
次はノミ好きの王様のお話。お城はなんと!カステル・デル・モンテ!不思議で美しい八角形のお城!ノミでなく天文学とか数学とか外国語に堪能な、そのお城を本当に造らせたフェデリコⅡ世のようだったらよかったのに。早く結婚し城から出て大人になりたい娘の王女は、愚かな父ゆえに化け物を夫にせざるを得ませんでした。苦難を経て自分の力で化け物を殺し全身血だらけで父に見せつけました。白馬に乗った王子様という夢物語は未熟で愚かな妄想だと身を持って理解した王女は、夫どころか父も不要なことがわかり自身が女王になったのでした。
そして最後は二人の老婆姉妹の話。歌声が美しい故に女好きの王様に迫られる姉・老婆。姿見せずにどうにかうまく行ったがばれてしまい森にほっぽりだされました。そこに現れたのが魔女。彼女の力で、皺だらけ白髪混じりでボサボサ髪の老女はあっという間に、スタイルも顔も肌も髪も美しい若い女になっていました。女好きの王様が放っておくわけもなくご結婚!でも化けの皮が剥がれるのも時間の問題。若返りの理由を知ろうともしないお馬鹿な姉は、妹・老婆に適当に残酷なことを言って妹は全身血だらけになりました。
と、どの物語にも共通して一旦は結婚するも色んな理由で王様も女王もパートナーがいません!なんてアクチュアルなんでしょう!
このお話『ペンタメロン』(五日物語)の構成は『デカメロン』(十日物語)から、そして中身はナポリ方言で書かれた50のお話から成る子どものための童話集で、グリム童話最終版の200年も前に作られたんだそうです。グリム童話初版よりもずっと残酷で血みどろ。女は強くよく喋りセックス関連も開けっぴろげ!教訓なんてない!あるとしたら;何事も過剰に追求するのはやめましょう、自分の頭で考えましょう、魔法や権力者に頼るのはやめましょう!それとも、フィレンツェ野郎は話を作るのに10日もかけたがナポリの人間は5日で作りあげたのだ!勝った!という自慢かもしれません。
子どもの頃、話に夢中になってページをめくるのがもどかしいような、めくりたくないような気持ちになってワクワクと本を読んだ自分を思い出しました。アルバ・ロルヴァケルも出演していた!監督はマッテオ・ガットーネ!衣装、色彩、音楽、自然、庭、お城の外と中;すべての美しさに夢うつつでした。楽しく笑えて先が知りたい気持ちで一杯、至福の134分でした。
チルコ
3つの王国を舞台に願いを叶えた女性たちの奇異な運命を描いた話。 子供が欲しい王妃とその息子をみせる「母となること」、美しい声を持つ老女と彼女と共に暮らす妹を描いた「若さと美貌」、娘離れが出来ない王様と結婚したい王女を描いた「大人の世界への憧れ」という3つの話しを行ったり来たりしながらみせていく。 あらすじ紹介に1編の物語とは記されているけれど、ストーリーそのものには交わりがなくて、オムニバスを細切れにしただけの様な…。 いずれも願いは叶うけれど対価が必要な感じのストーリーで、勿論それだけでは終わらないという寓話的ファンタジーになっており、行く末は各話の主人公をみるだけでも三者三様でなかなか面白かった。 ただ、教訓めいたものは特になかったのでやっぱりただのダークファンタジーなのかな…。
恐るべし民話のパワー全開。 幻想美の中、追い詰められる3人の王妃の...
恐るべし民話のパワー全開。 幻想美の中、追い詰められる3人の王妃の物語。 来ます、じわじわと。 ラストまで体、硬直しっぱなし。 鑑賞日:2017.1.7
ダークファンタジー
本当は怖いグリム童話。みたいなかんじ。 残酷でエロティックな感じなので大人が楽しめる映画ですね。 それぞれの欲望が3構成で交互に進んでいく。 母になりたい。 大人の世界への憧れ。 若返りたい。 これは現代の女性にも共通して言えることなのかも。 映像がとても綺麗でした。
嫌いじゃない(笑) なんか不思議な感じで魅入っちゃった‼︎ ジョン...
嫌いじゃない(笑)
なんか不思議な感じで魅入っちゃった‼︎
ジョンCライリー
奥さんのために
海獣⁇の寝込みを襲って
心臓ゲットしたけど無念...没
最初、ジェニファービールス⁇
サルマハエック?どっち⁈
って思ったけど
サルマハエックだったね
ノミ没(笑)
あの顔ワロタ
悲惨なのは
全皮剥ぎの妹?
いや...欲を出したから
仕方ない
やっぱ
鬼男から姫を助けた家族だな
一家惨殺ムゴすぎる〜
えろぐろ
西洋の物語って徹頭徹尾男は権力、女性は容姿が全てなのが凄い。 なかなかのエログロダークファンタジーで世界観は楽しめた。 ストーリーは昔話にありがちな理不尽な胸糞だった。 デカいノミがキモすぎる。 100
語られているメッセージと鮮烈な映像は、深く心に突き刺ささってくる大人向けの寓話
本作は17世紀にナポリ王国で生まれた民話集「ペンタメローネ(五日物語)」の中から、現代にも通じる「女の性」をテーマに3話を選んで映画化したものです。
3つのストーリーは、それぞれ三つの王国を舞台にし、3人の女性を主人公にした物語が、並行して語られます。ただ、ラストでは一つのステージに登場人物が集まり大団円を迎える形式を取っています。どうせ集めるなら、とってつけたようなエンディングでなくて、もっと結びつけて欲しかったという意味で★一つ落としました。
原作は、グリム童話の原点となった寓話だけに、痛烈なペーソスを纏ったダークな大人向けのファンタジー作品でした。
3話とも現実にはあり得ないような奇異な物語なのですが、それでいて不思議と物語の幻想世界へぐいぐい引き込まれるリアルさ持ち合わせている作品なのです。それもそのはずで、ハリウッドなら、手っ取り早くスタジオセットやCGで描いしまう三つの王国の背景を、実在する古城などで実写ロケ撮影したり、逆に現実感が乏しい怪物などは、あえて特撮映画のように造作で撮影するなど、マッテオ・ガローネ監督のこだわりと美意識が随所にちりばめられて、リアルな幻想世界を作り出しているのです。
黒ずくめの女王が、白で統一された広間で、赤い心臓にかぶりつく。緑の森の中に、深紅の布をまとった、白い肌の女が横たわる。絵画のような色彩と構図で描かれ表現される幻想的な世界や、剣と魔法の世界が舞台のゲームから出てきたようなキャラクターが、目を楽しませてくれました。エロチックで退廃的なシーンが少なくないのも、イタリア映画らしいところだと思います。
先ず1人目は、不妊に悩む女王が登場します。魔法使いの教えに従い、怪物の心臓を食べて、男児を出産します。しかし、怪物の心臓の調理を担当した女性も同時に懐妊し、王子とそっくりな青年へと成長するのです。二人はまるで一卵性双生児のように惹き付け合い、やがて王位を共有しあう密約まで交わしてしまいます。
その密約を知った女王は、脅威を感じて、ふたりをあらゆる手段で引き離そうとします。しかしそれは母親としても大きな犠牲を強いるものでした。そっくりな青年をなきものにしようとした、女王の企みは、誠に皮肉な結末を迎えてしまうのです。
さて2人目は、若さと美しさを求める老姉妹のお話です。
ある朝、お城のそばで美しい声が響いているのを、好色な王(ヴァンサン・カッセル)が聞き留めて、声の持ち主に魂を奪われてしまいます。しかしその声の主は、老姉妹だったのです。求愛に訪れた王をまんまとだました姉は、不思議な力で若返り、王妃の座に納まります。しかし本当の年齢がばれることを恐れるあまりに、お城にやってきた妹を押し返してしまいます。姉の若返りに嫉妬した妹は、自分も若返ろうと城下の人に尋ねて廻ります。とうとうとんでもない方法に暴走しまう妹は、最後に悲惨な結末を迎えてしまうのです。
3人目は、いつまでも王女を箱入りにしておきたい父である王(トビー・ジョーンズ)のお話し。この王様の趣味が変わっていて、ペットのノミを可愛がることでした。王女よりも、関心はペットにしかないほどの入れ込みよう。ただ王女も年頃になって、結婚して城の外に出たいと願い始めます。娘を手放したくない一心の父王は、娘の相手を王が出題するクイズを説いたものに決めることにして、国中にお触れを出します。なぜクイズにしたのかというと、父王はどうせ解けないとタカをくくっていたからでした。その出題内容とは、得体の知れない一枚の大きな皮の元なるものは何かというものでした。実はこの皮巨大化した父王のペットであったノミの亡骸から取ったものだったのです。誰が大きな一枚の皮を目にして、これがノミの皮であるとは、誰が想像できたことでしょうか?
醜い鬼が現れて、答えを言い当てたかにら、さあ大変!体面を重んじる王は、国民に約束したことを反故にすると、王の権威が傷つくといって、渋々醜い鬼に王女を渡してしまうのです。鬼と暮らすことになった王女の苦難の日々は続いて、さあてどうなるかというもの。
3つのお話しに共通するのは、願いはかなったが、過ぎたる願望のために災いが降りかかるというもの。いずれも因果応報というか、自業自得言うべきか、痛烈な皮肉交じりなのです。人助けをした者があっさりと命を落とし、裏切った者がいい目を見たまま終わることも…。
全くより良く生きるための教訓なんてあったもんじゃありません。寓話の世界は、ファンタジーに見えて、実は童話は怖ろしいものですね。ただ本作を反面教師として捉えれば、足ることを知るありがたみが感じられることでしょう。そういう点では、願望や快楽の追求が、苦しみなんだと喝破されたお釈迦さまの教えが身に沁みてきます。何が幸福に繋がるのか、凡人の私には見えてこないけど、少なくとも本作は、わたしたちの日常でおこりがちな悩ましいを、リアルに切り取っているものといえそうです。
ストーリーだけおえば、う~ん?と感情移入を拒む珍奇なものです。ただ語られているメッセージと鮮烈な映像は、深く心に突き刺ささってくるものを感じさせてくれたのでした。
とてもよかった
『パンズ・ラビリンス』以来のダークファンタジーの傑作の予感がして見に行ったのだが、そこまでではなかったもののとても面白かった。子供には見せられないエグ味がよかった。
結局のところ足元を見失ったらアウトといったような普遍的なテーマを非常に説得力を持ってつきつける。声がきれいで歌のうまい老婆を「魔女め!」と言って窓から突き落とす場面が面白かった。
鬼がかわいそうだった。彼もあんな女相手にしなければいいのにと思ったが、確かに気持ちは分かる。
王様が何人もいて別のお城の話なのかなと途中で混乱した。
考えちゃダメだ!
初めて『桃太郎』の昔話を聞いた外国人ってこんな気分かな? そもそもおとぎ話や神話と言うのは脈絡も突拍子もない。昔から読み聞かせられてるから「ああ、そうなんだな」と思うけど冷静に考えると「二人ともそれでいいの?」と疑問だらけ。 この物語も、たぶん昔から聞かせられて育った外国人の人なら「おー!」と思うだろうけど、チャキチャキの日本人の私は「え?なんでそうなる?ん?おいおい!」の連発。 A・B・Cの話が絡むこと無くオムニバスで進んでずっとAの話しだと思ったらBになって、なんとなく解りかけたとこでCの話し。 そして、またAに戻ると「……え?」な展開。全編通して『シュール』の一言。 おとぎ話を現代風に解りやすく整理したり繕う事無くまともにやったらこうなっちゃったみたいな感じ。 しかも、元になった『ペンタメローネ』とはなんぞや?と調べたら童話の原型。 そのせいなのか、童話には大人が子供を戒める為の教訓めいた物がオチになるけど、どの話しもオチがあるような無いような……。 EDが流れて「え?アレがオチ?ED終わったら何かやる?」と思ったけど会場内の電気がついただけだった。 映画の雰囲気とかは好みだけど内容は……。 ギリシャ神話のゼウスが頭痛くて斧で頭かち割ったらアテナが頭から産まれたとか、古事記の『海彦山彦』のトンデモ内容に突っ込まずにはいられない人にはオススメしません。
もやもやする
完全に理論的な作りを前提としてるわけではなく、原作から3つの話をチョイスして作られてるので、全体的な整合性とか気にしなくてよさそうです お伽話的な教訓とか啓蒙?を読み取って楽しむようなとこもあるので1人で観に行くともやもやする 観終わってから友達とお茶しながらああでもないこうでもないと語り合うとこまでがセットと思われます
期待を裏切る糞ファンタジー
ターセムっぽい雰囲気を予告編で期待してしまったのが間違い。 ダークなファンタジーなんだけど、頑張って世界観作ってる割に細部が雑だし そもそものストーリーも継ぎ接ぎで微妙過ぎ 架空のクリーチャーも作り物感半端なく安っぽい
大人の童話。
全体的に美しい作品でしたが… あくまでも童話といった感じで登場人物の掘り下げが、あさい感じが残念でした。 クリーチャーがクローネンバーグっぽくて、いいアクセントになってましたが、全体を通して見るとイメージビジュアルの印象ほど、心に残る作品でもありませんでした。
物語自身が持っている物語性を愉しむ
17世紀初頭、イタリア・ナポリで書かれた世界最初の民話集『五日物語(ペンタメローネ)』からの映画化。 3つの物語が、綾なすタペストリーのように語られていく。 デヴィッド・クローネンバーグ作品の常連ピーター・サシツキーによる、緑や赤が鮮やかな画面は、濃密。 アレクサンドル・デスプラの音楽も重厚。 そして、どの物語も、おとぎ話だからといって、めでたしめでたし、とは、なりそうもない。 なんらかの教訓を得ようとか、幸せになれてよかったとか、そんな着地点を求めず、どのような結末を迎えるのか、本来、物語自身が持っている物語性を愉しみながら観ていく。 そんな映画。 ただし、よくよく観れば、登場する女性たちは三世代。 若い王女は自由を願い、中年の王女は子どもを望み、老女は若さを求める。 そして、彼女たち皆が、その願いや望みを得るのと引き換えに、何らかの大きな代償が伴っている。 原本から、この3つの物語を掬い上げたのは、なんらかの意図があるようにも思えるが、そんなことは考えないほうがいい。 物語自身が持っている物語性を愉しむ。 それは「映像によって物語を語る」映画本来のの愉しみ方なのだから。
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